命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
胎内記憶についての証しを紹介
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     一人の牧師夫人から、息子さんの胎内記憶について記した証しをいただきました。本来はある集会での証しのために記してくださったものですが、大変意義深いもので、一人でも多くの方にお読みいただきたく願い以下にご紹介申しあげます。長い文章ですが、一気にお読みいただきたいので、分割せず一度に掲載します。胎内において胎児が神様とも、また人とも人格的交わりを持っていることを伺わせる証しとして受け止めていただければ感謝です。

    「創造主の眼差し」


     多くの方にとって自分の子どもを授かるというのは特別な祝福であると思います。私にも息子が一人いまして、この子を通して親としての喜びとまわりの方々との出会いや交わりの機会をいただいてきました。実はもう一つ、息子が運んできた恵みがありまして、それは「創造主の愛のまなざしがどのようなものか」を知らせてくれたことです。

     妊娠がわかったとき私は36才でした。高齢出産のリスクを考えると無事元気に生まれてきてくれるだろうかという不安もありました。しかし、そのために母親としてお腹の子にしてあげられることは何もないなあと思いました。そんなときに、次のみ言葉が心に留まり大変励まされました。

     詩篇
    139:1316
    「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。」

     造り主なるお方は、生まれ出る前の小さな存在を愛し慈しみ、守り育ててくださり、さらにその子の将来を描いて送り出してくださるのだと教えられ、あとは神様に信頼してお任せすればいいのだと思って平安をいただきました。

     そののち、息子が3才の頃に一冊の本と出会いました。いのちのことば社から出版された「幼子に導かれて‐ターミナルケアに見た神の恵み‐」という本です。著者ダイアン・コンブはアメリカ人の小児科医で、長年多くの子どもたちの死を看取ってきた人です。彼女は無心論者でしたが、子どもたちとの関わりの中で信仰を持つに至ったそうです。
    本文の中から少し紹介します。

     「子どもは神に造られたばかりの存在で、神から送られたかわいい伝道師。子どもに耳を傾けるとき、信仰への道を捜すことができる。…小さすぎるのは私
    (著者)の神。彼(6才の小児ガンの男の子)と彼のすごい神は、平和な国の秘密をともにしていた。彼はこの世が決して彼の本当のおうちではないことを知っていた。…霊的起源の感覚は非常に小さいときの本能によるものだ。ときたま、死が近づくと、ヴェールが一部あげられ、その向こうの天使やイエスの姿、天国の光景を垣間見るように思われる。…子どもの霊的感性に通じておられるイエスこそ、理想的な小児科医。…もし、これらの死に行く子どもを知るという特別なことがなかったら、私の人生はどうなっていただろうか。その後の人生で最も重要な神の国への窓を見出すことができただろうか。…」
    また、本の中には子どもたち自身が語った言葉も紹介されていました。
    「私は神様の一番小さな声(普通の人には忙しくて聞こえないほどの声)が好き」
    (10代のダウン症の女の子)
    「神様のことを話してちょうだいよ。ぼくは忘れそうなんだもの。」
    3才の男の子が生まれたばかりの弟に)
    「ママ、ぼくは神様の次にママが好き。神様はママよりもうちょっと好き」5才の男の子)

     この本を読んで、私の中にいくつかの疑問が湧いてきました。
    「神様はこのような子どもたちには、特別にご自身を表わされるのだろうか?
    世の中には胎内記憶を持つ子もいるというが、そのこととの関連はどうなのだろうか?
    果たして私の息子はどんなふうに神様を認識するのだろうか?…」
    息子がちょうど4才の誕生日を迎えた頃にこんな質問をしてみました。「お母さんのおなかの中にいたとき、どんなふうだった?」そこから息子は折に触れていろいろと話してくれるようになりました。

     「お母さんのおなかの中は、明るかったり暗かったりしたよ。
    (昼と夜がわかるらしい) お風呂の中にはいってるみたいで、気持ち良かった。おなかの中では揺れていた。お母さんが寝ているときと階段を上るとき、わかったよ。お母さんの声ははっきり聞こえたけど、お父さんの声は聞こえにくかった。お母さんが聖書を読んだり賛美歌を歌ってるのが聞こえたよ。」 なるほど、胎内環境というのはそういうものなのだろうと思いました。

     また、このようにも言っていました。「早くお母さんに会いたいなって思ってた。お母さんがぼくのことを呼んでいるのがわかったよ。お返事したけどお母さんには聞こえなかったでしょ。」不思議なことに、胎児は自分が母親の胎内にいることを知っており、まだ見ぬ母を慕っているのです。誰がそれを教えたのでしょうか?

     そして、一番びっくりしたのはイエスさまについて話し出したときです。「イエスさまがいっしょだったから、さびしくなかったよ。ずっとイエスさまがいてくれたから、安心だった。イエスさまがお世話してくれたから、とってもとってもうれしかった。イエスさまはいつだってぼくにわかるようにお話してくれたよ。おなかの中はよかったなぁ。イエスさまが一緒だったから。最後に、イエスさまが『もうすぐバイバイになるけど、天国でまた会おうね』って言ってた。」

     それから、生まれてくるときの記憶も持っていました。「おなかから出るとき、狭くて出にくかった。ギューッと押されて苦しかった。もうあんなのはイヤだよ。おなかから出てきたら、本当にイエスさまとバイバイになっちゃったんだよ。びっくりして、不安だった。『お母さんはどこだろう』って捜したの。声でおかあさんだってわかったよ。」
    そしてこんなことも言っていました。「一番好きなのは神様。その次に好きなのは人間の中ではお母さんだよ。ぼくを生んだのはお母さん。でも、ぼくを造ったのは神様だよ。」

     赤ちゃんは誕生して初めて人間として認識されることが多いのですが、胎内にいるときから五感をいっぱいに働かせて力強く生きており、生まれ出る日を心待ちにしているのですね。一番驚いたのは、胎児は自分がどなたによって形造られているかわかっているし、イエスさまと過ごす時間をとても楽しみ喜んでいるということです。

     息子の話を聞くときに私はいつも最初は驚くのですが、「なるほどそういうことだったのか」と納得できることが多く、しかも話の内容に一貫性があり確信を持って語るので、単なる想像の世界のこととは思えません。
    これらの言葉は息子がおもに4〜6才の頃に話してくれたものです。13才になった今でも胎内記憶がわずかに残っており、一番大切で大好きなのは神様、二番目が母親であることに変わりはありません。

     私は息子の胎内記憶について話をするとき、少し躊躇する気持ちがあります。なぜなら、赤ちゃんを生みたくても流産してしまったり、事情があって生むことができず人口妊娠中絶を余儀なくされたことで人知れず苦しんでいるという方が意外と多いと聞くからです。そういった方への配慮をもって語ることが私の課題だと思っています。また、人によっては「はじめくんってスゴイね」と言われるのですが、私はそれで終わってしまっては困ると思っています。確かに、胎内記憶をはっきり持っていて私に話してくれたという点では、特別な使命を持って生まれてきたと言えかもしれません。

     しかし、ヨハネ
    1:3には、「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」 と書いてあります。私たちすべてがこの神様の愛情深いみ手によって形造られたのです。
     
     また、箴言
    8:30,31には、「わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった。わたしは毎日喜び、いつも御前で楽しみ、神の地、この世界で楽しみ、人の子らを喜んだ。」と書いてあります。イエスさまは生まれる前の小さな私たちと共にいることを喜ばれ、その時間を楽しまれたのです。
    神様はそのことを皆さんに伝えたくて、私と息子に使命を与えられたのだと理解しています。

     ほかにもみ言葉は、生まれ出る前の存在についていろいろと語っています。
    ヨブ31:15「私を胎内で造られた方は、彼らをも造られたのではないか。
    私たちを母の胎内に形造られた方は、ただひとりではないか。」
    詩篇22:9.10「あなたは私を母の胎から取り出した方。母の乳房に拠り頼ませた方。生まれる前から、
    私はあなたに、ゆだねられました。母の胎にいた時から、あなたは私の神です。」

     詩篇
    119:73「あなたの御手が私を造り、私を形造りました。」
    イザヤ46:34「胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。あなたが年をとっ
    てもわたしは同じようにする。…」

     イザヤ
    49:1「主は、生まれる前から私を召し、母の胎内にいる時から私の名を呼ばれた。」

     ルカ
    1:41「エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内でおどり、エリサベツは聖霊に満
    たされた。」

     ローマ
    9:20「形造られた者が形造った者に対して、『あなたはなぜ、私をこのようなものにしたの
    ですか』と言えるでしょうか。」

    さて、ここで新たな疑問が私の中に浮かんできました。
    「果たして胎児及び新生児の能力とはどのようなものなのだろうか?
    胎内記憶についてはこれまで客観的な調査.研究がなされてきたのだろうか?」
    私はそれを知りたくて何冊かの本を読んでみました。内容を抜粋してご紹介します。

    1.「誕生を記憶する子どもたち」 心理学者のデーヴィッド・チェンバレン著
    多くの能力が出生の時点からおとな同様にそなわっていることが証明された。赤ちゃんは生まれるずっと前から個人として行動している。彼らは生まれたそのときから親密な人間関係を結び、力強く自己を主張し、好き嫌いを言い、他人に影響を与えはじめる。出生の記憶を口にする人たちの話によると、「赤ん坊」の思考は思いもよらないほど成熟しており皆個性豊かであった。親を愛し気づかっていた。人格や性格に未発達で幼稚な感じは微塵もなく、最初からそのままのかたちでそなわっているように見えた。

    2.「ヒトの意識が生まれるとき」 鹿児島大学教授の大坪治彦著
    人間の一生は外界に出る「誕生」とともにはじまると考えられていた。しかし「誕生」は通過点であって、「受胎」が出発点である。誕生直後の新生児が示す多くの能力はそのスタートが誕生にあるのではなく、母親の胎内ですでに活動していると考えるべきである。胎児のときに、すでに他者との「交流」が行える能力が存在している。胎児は音を聞くことができ、母胎の揺れを感じることができ、さらに、自分自身の「運動」によって「応答」する手段も明らかに備えている。赤ちゃんは、母親のお腹のなかにいるときから、他者からの働きかけを待っている。

    3.「おぼえているよ。ママのおなかにいたときのこと」「赤ちゃんと話そう!生まれる前からの子
    育て」 産科医の池川 明著
    3601組の親子にアンケートを取りその結果を本にまとめた。それによると、回答があった人々のうち、胎内記憶がある子は33%、誕生記憶がある子は20.7%であった。
    記憶は6才を過ぎると急激に消えてしまうようだ。(息子が「その通り」とうなずいていた。) おなかの中にいるときから、お母さんと赤ちゃんの絆づくりは始まっている。おなかの中で赤ちゃんは意識があり、すでにいろいろ見たり考えたりしている。おなかの中からすでに人生は始まっている。

    4.「かみさま どこにいるの」「かみさま おねがいがあるの
    ダニエル.アンジュ司祭が子どもたちから聞き取った言葉
    かみさまは そらになんか いないよ。ぼくの こころのなかに いるんだ。
    かみさまを しんじるってことは かみさまの きている シャツを しっかり にぎって、ぜったい はなさないことさ。
    かみさまは ひかりをきてるんだよ。
    かみさまの しごとは あいするっていうこと。
    あかちゃんはね、かみさまのことばを しゃべってる。だから ぼくはね、かみさまと もっと はなしができるように あかちゃんと はなしをしてるんだ。
    おいのりするっていうことは、かみさまを めでみなくても すきになることだと ぼくは おもいます。

     私は息子の話を聞いたりこれらの本を読むまでは、生まれたばかりの赤ちゃんというのは真っ白なキャンパスのような存在で、親がお世話をしたり生き方を教えたりして手助けする中で、子どもが自分の人生を描いていくものだと思っていましたが、すでに神様が備えてくださった個性と生きる使命を持って生まれて来るのだと思うようになりました。

     また、胎内にいるときから人との関わりを持つ能力が備わっているというのは大変興味深いことです。母親との関わり以前に、神様とのうるわしい心の通い合い、愛の流れる関係があったからだと考えるほうが自然ではないか、と私は思います。

     創造主であるお方のもとからやって来た赤ちゃんが、創造主との記憶
    (思い出)を鮮明に覚えていて私たち大人に教えてくれるとしたら、私たちは小さな子どものつたない言葉であったとしても、へりくだり恐れをもって聞くべきではないかと思います。そういう謙遜さをなくしてはいけないと、私は自分自身に言い聞かせています。

     さて、日本では「自分を愛せない子ども」が増えていると言います。彼らは自己肯定感に乏しく、自分の存在意義がわからないので、他者を信頼し大切にすることもできません。

     最近の新聞記事によると、3人に2人の高校生が「自分はダメな人間だ」と感じているそうです。歪んだ自己評価のために、能力は持っていてもそれを発揮できないというのはとても悲しいことです。
    どうしたら正しい自己評価ができるのでしょうか?「自分の存在価値は能力にあるのではなく、私を愛し大切に形造ってくださったお方が、あなたは尊い存在なのだよと言ってくださり、私の人生を描き、目的を持ってこの世に送り出してくださった。そして、今も見守り私の存在を喜び、行く手を導いてくださるのだ。また、どんなに私がまわりの人から理解されなくても、神様だけはいつも私の良き理解者としてかたわらにいてくださり、悲しみも喜びも一緒に受け止めてくださるのだ。」ということを知っていただけたらと思います。

     若者だけでなく、皆さん一人一人に向けられている「神様の愛のまなざし」が感じられるようにと願いながら、私は今日のお話をさせていただきました。
    私の息子は先天的に左目の視力がほとんどありません。そのことは本人もよくわかっています。

     彼が小学2年生のとき、私にこんな質問をしてきました。 「神様はどうしてぼくをこんなふうに創ったんだろうね。」 私はここでいい加減な返事をしてはいけないと思いましたので、しばらく考えてから答えました。「お母さんにもその理由はわからない。でも、神様があなたを愛していることは知ってるよね。」息子は「うん」と返事をすると、あとは二度と同じ質問をしませんでした。

     人間の価値は能力や健康や持っているものにはよらないのです。

     また、今は人の命が過小評価されている時代でもあります。自死も殺人も増えています。幼児虐待も大きな問題です。人工妊娠中絶についてのデータによると、日本での件数は届出のあるものだけで年間40万前後ですが、実数は1日約1万人と言われています。これは、赤ちゃんが1人生まれるたびに、3〜4人が胎内で殺されていることを意味するのだそうです。人の誕生は、人間の意志を越えた神様のご計画という厳粛なものであるのに、創造主を無視するとき人間の都合で何でも出来てしまうような錯覚に陥るのかもしれません。臓器移植や体外受精、クローン技術が話題になるときもありますが、私たちが「神様によって神様のかたちに創造された」ということの重みと祝福を覚えながら、これらのことについても慎重に考えていく必要があると思います。

     最後に、長年音楽伝道に従事している私の友人が作詩作曲した賛美を紹介します。

    「なんとも不思議なことですね 世界を造られた神が私を造られたとは
    なんとも不思議なことですね すべての上にたつ神が私の中にいるとは
    あなたは私を見つめている 愛する自分の子供として
    私があなたに献げる全てを あなたは喜び受け取って下さる
    …あなたのまなざしに見つめられて 私は喜び踊っている…
    この曲を聴きながら、5才の息子に質問したことがあります。 「赤ちゃんにとって、神様に見つめられているっていうのはこんな感じなの?」すると息子は、「うん、100%びっくりなこと、感動なこと」と言いました。「それってうれしいって言うこと?」と聞くと、「うん、そうだよ」という確信に満ちた答えが返ってきました。

     皆さん、私たちは神様の愛のまなざしの中に憩うことができるのです。やがて神様の御前に立つときが来たら、「ああ、神様は私をこんなにも大きな愛で愛していてくださったんだ!」と感動をもって受け止めることになるだろうと、私は楽しみにしています。その希望を胸に、今は与えられている所において神様にお仕えすることを喜びとして進んで行きたいと思っています。

    | | 妊娠・出産・不妊治療 | 06:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
    乳児死体遺棄関連ブログの紹介
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       先日の本ブログの記事「高3女子の乳児遺体遺棄事件を受けての切なるお願い」に応答して、「コメント大王」K死が優れた考察を記しておられます。キリスト者としての社会正義について、現実的でしっかりとした考察を記して下さっています。どうも、感覚、印象あるいは杓子定規な聖書の適用、極めて個人倫理的で偏狭な判断によって、こうした事件が論じられやすいように思います。私はこうしたブログ記事はクリスチャンがこうした社会事象を自己責任としてただしく考察するよい助けになると思いますので、ここに紹介申し上げます。

      ブログ「一キリスト者からのメッセージ」〜高校生の乳児死体放棄事件について思うこと

      http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=196


       特に記事の中、以下の文章は、適切な言葉によって「本来実現すべき公正からの逸脱」という本質が指摘されていると思うのです。

      「今回、一番やりきれないと思ってしまう原因は、組織のルールや通常の社会通念や学校という社会の規範のみから問題視されうる高校生の妊娠という問題が死体遺棄という重大な事件につながったところである。学校という枠組みを外れてもう一度問題をとらえなおす余裕のなさと、容疑者となってしまった女子高校生を支える支援組織があったにもかかわらずそれが利用されなかった点である。知識の不足でかたずけるには、結末があまりに悲しすぎる。

       とはいえ、当事者であるからこそ、余裕がなかったのだろうし、当事者であるからこそ、支援組織へのアプローチする余裕すらなかったのかもしれない。

       どういったところで、あまりにやるせない事件だと思う。考えれば考えるほど、公正を社会においてどう実現するのかの問題と、間違った思い込みが、本来実現すべき公正からどんどんずれていってしまい、人間を本来の目的から違うところへ追い込んでしまう可能性があるという問題を考えさせた事件であるように思う。

       以上です。小さないのちを守るためにも、是非ともご一読いただき、深く考察いただきたいと願います。
      | | 妊娠・出産・不妊治療 | 12:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
      「もし、妊娠したら・・・」事前指導の大切さ
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         昨日の記事に応答して、一読者からメールをいただきました。教育現場での対生徒へのものではなりませんが、「もし、妊娠したら」という事前指導の大切さを実感した証しです。その事前指導が周囲の犠牲に支えられ、どんなに大きな実を結んだか?その背後にあったものは何であったか?大変、有意義な実例だと思いますので、ご紹介申し上げます。(太字はこちらでの編集です)

         こんばんは。
        いつもブログを拝読しております。〇〇(地域名)で保育の仕事をしている、「いのちを守る会」会員のクリスチャンです。今日のブログを読み、思い出した出来事があり思わずメールいたしました。
        以前勤めていた保育園でのことです。

         飲み会の席で、主任保育士(50代女性)が若い保育士達(大半は独身)を集めて一言「もし子どもができたらすぐに言いなさい、悪いようにはしないから」と言ったのです。当時社会人1年目だった私は、なぜ主任がそんなことを言うのかわかりませんでした。

         しかしそれから1年後、この言葉の深い意味を知ることとなりました。1人の臨時雇用の保育士(既婚者)が、契約期間半ばで妊娠していることがわかったのです。既婚者とは言え、「1年」と期間の決まっている臨時契約の立場で妊娠など有り得ない、ましてや心身共にハードな保育園の仕事では周囲に迷惑をかけると考えたこの保育士は、涙ながらに退職を申し出たそうです。

         しかし、園長と主任は続けて雇用すると決めました。数か月間、つわりや検診での早退や欠勤は職員皆でフォローし、園児たちには「○○先生のお腹には赤ちゃんがいるから、乱暴にしちゃいけないよ」と伝えていきました。

         すると、普段は乱暴な行動の多い子も、この保育士の側では落ち着いた動きをし「ここに赤ちゃんがいる」という事実が子どもたちを優しくさせていきました。自分たちよりも小さく弱い胎児の存在を感じることや、自分もこうして生まれてきたのだと知ることは、園児たちにとってとても貴重な「いのちの教育」でした。

         もしも、この時の主任が「悪いようにはしないから」と言ってくれるような人でなければ、雇用は切られ、この「いのちの教育」は起こりませんでした。あるいは、雇用とお腹のいのちが天秤にかけられるようなことも起こりかねなかったのではないかと思います。

         後に、この主任保育士がクリスチャンホームで育ったクリスチャンであると知りました。お酒もタバコもやり、化粧は派手、「今は教会にはクリスマスにしか行かない」と言う「敬虔」なイメージからは遠いクリスチャンでしたが、この「悪いようにしないから」に含まれた、いのちを守る深い意味を思う時にクリスチャンの社会でのあるべき姿を考えさせられます。「あなたにも、赤ちゃんにも、悪いようにはならないように力になりましょう」と言ってくれる人がいることが、予期しない妊娠をした方には大切なように思います。

         
        | | 妊娠・出産・不妊治療 | 08:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
        高3女子の乳児遺体遺棄事件を受けての切なるお願い
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           今日のヤフーのトップページに悲しい記事が。

          「死体遺棄容疑で女子高生逮捕=ごみ袋に乳児遺体―警視庁」
          http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100921-00000042-jij-soci

           「届くことができたら」、「本会のことを知っていてくれたら・・」、正直、そうした思いがします。働きの中で、親や家族が発見、あるいはクリスチャンである友人や教会が妊娠を知ったから、本会がお力になれて、助かったいのちがあります。そうでなければ、同様のことになりかねないケースにいくつか遭遇してきました。決して多くはありませんが、家庭の事情やお腹の大きさなどで、本当に家族が気が付かず、出産にいたるケースはあるのです。「捨てるなら」「死に至らしめてしまうくらいなら」と私たちは思いますが、孤立してしまった歳若い妊婦は、そうした冷静で客観的な判断を失うものです。そして、誰にも告げられず、芽生えたいのちと自らにとって最悪の結果をもたらすのです。

           いのちを落とした子どもの父親に当たる人物は出頭もせず、指名手配もされず、女子高生とその家族だけが様々な面での制裁を受け、人生において不利益を被るのでしょう。これも、不条理です。この女子高生は犯罪の加害者であると同時に、身勝手な性の被害者でもあります。しかし、きっと男性は無責任な加害者に過ぎないでしょう。

           将来ある女子高生を、守ることができず(多分)身勝手な性の犠牲者にし、芽生えたいのちさえ犠牲にすることについては、私たち日本の大人たち全体の責任を認めざるを得ません。そこで、私から土下座する思いでお願いがございます。

          (1)どうか、日本のキリスト教会の責任の一部として受け止めて下さい。
           教会が、散らされた教会であるクリスチャン個々が、地の塩世の光として機能していれば、こうした事件は、避けられた可能性があるのです。クリスチャンである私たちは、まるで自分の責任と関係ないかのような思いでなく、「教会の力不足」「私たちの証しの至らなさ」として、こうした事件を受け止めていただきたいのです。そして、今の立場できる事を考えていただきたいのです。

          (2)教会とクリスチャンホームは性のテーマから逃げるのは止めて下さい。
           どうか、当事者感を持って下さい。教会に集う青年や学生、中高生の中には、こうした事件に発展してもおかしくない事例が既に起こっています。この事実から目を背けず、聖書が明確に記している性について指導者や親は教えていただきたいのです。ご自分ができないなら、できるように学ぶか、できる方に依頼して下さい。それは、子どもに対しての大人として最低限の責任だと思います。

          (3)本会の働きと存在をお知らせください。
           周囲の方々に機会があれば、本会の働きと存在をあらかじめ知らせておいて下さい。もし、その方や知人・家族が、妊娠した場合、本会の介入によって今回のような事件に発展することが避けられるのです。メール一通、電話一本で最悪の事態を回避できるのです。残念ながら、クリスチャンホームの子どもたちや教会に集う若者も例外ではありません。その現実を認めて、むしろ教会の中からお知らせいただきたいのです。

          (4)学校関係者の皆さんへ
           女子高生の妊娠が発覚すると、学校は生徒と親の敵になってしまいます。なぜでしょうか?妊娠したり、出産すると、事実上、退学をせざるを得ないからです。逆に隠れて中絶すれば、学校を続けられるのです。
           これは、決して学校が悪いわけではありませんが、結果的に、「学校を続けたいなら中絶」という選択を誘導していることになります。もちろん、教育現場とすれば、妊娠出産した生徒を指導対象とするのか?という意見もあるでしょう。しかし、そうした方針のままでは、これからも学校の体質がこうした事件を起こす背景にある原因の一つになっていくのではないか?ということだけは考えていただきたいのです。
           母親クラスが高校にあるアメリカは異常だと多くの方は思うでしょうが、学業継続のために中絶する女子高生やそうさせる親が大多数の日本社会はもっと異常です

           「もし、妊娠したら、学校に申し出るのですよ。希望すれば出産しても卒業まで学校続けていいですよ。」「高校生が妊娠出産するのは、無責任です。でも芽生えたいのちに対して責任をとる事を応援し、高校卒業までは、あなたの力になります」、きれい事の正論と言われても、私はこれが本来の教育だと思います。少なくとも他の教育機関と連携して高校卒業まで学業を継続できる道を与えてやって欲しいのです。教育現場で生徒に「正直者はバカを見る」と教えることがあってはならないでしょう。

           妊娠出産した女子生徒を卒業まで応援する学校、母親教室のある女子高校、そうした方針を打ち出せば、きっと、学校の評価は下がるでしょう。ですから、暴論を覚悟で書くのですが、学校継続のための女子高生の中絶や新生児遺棄を防止できる決定打の一つは、間違いなく学校側の方針転換です。

          (5)女子高生がセックスしていいかどうか?考えさせてください。
           今、一般の性教育も、「いのちの教育」あっての「性教育」という流れにあります。性にはいのちに対する責任があります。セックスすれば妊娠の可能性はあるのです。
           だから出産育児できない状況や年齢でのセックスは、とんでもない無責任であることを、大人たちは子どもたちに知らせて欲しいのです。

           「愛し合っているならいいのでは?」は間違いです。「芽生える可能性のあるいのちに対して責任がもてないから、してはいけない!」 それは宗教道徳に関係なく、常識です。セックスは愛の行為であるだけでなく命を生み出す行為なのですから。
           「愛し合っていたら当然」という風潮や声に勇気をもってNO!を言える大人たちが増えることが、こうした事件を減らしていくのでしょう。私たちの勇気の欠如が、子ども達を犠牲にすることがあってはなりません。

          (6)親としての責任を果たしてして下さい。
           母親である皆さん、どうか、女性の先輩として、娘さんが無責任な男性たちの性の犠牲にならないよう指導をお願いします。誠意ある男性の見分け方、自分を守る事の大切さ、交際の仕方など先輩として教えて下さい。「あれはだめ」「これはだめ」でなく「こうしましょう」「こうするといいよ」と具体的に示してください。いいえ、ご自分の失敗例を紹介してでも、娘さんを守って欲しいのです。

           父親は娘さんが愛情実感するように、親として接し、愛情を注いで下さい。女子中高生が無責任な男性に魅力を感じ、性を与えてしまう原因の第一は、「父親からの愛情実感の欠如」です。信頼できない男性、自分を大切にしてくれない男性をわざわざ選び、性関係を持つのは、幼児期から児童期にかけて受けられなかった父からの愛の補償行為であります。これは心理学の世界では定説のようです。
           もちろん、息子さんへの「愛するとはどういういことか?」「男性としての女性といのちへの責任」の教育もお願いします。親として、家庭教育の一部として、どうかこうした責任を果たしていただければと願ってやみません。

           改めて、読者の皆様には、失礼な表現や内容も含まれている事を承知の上で、どうしても、お願いしたいのです。このことは、子どもを不幸な性や無責任な性情報から守ろうとしない日本の大人たちの責任が重いのです。どうか、当事者感をもって、同じことがこれ以上起こらないためにも、ご検討いただきたいのです。

           この失礼で拙い記事を、誰か(特に親、教会指導者、学校関係者)に紹介することも、今できることの一つなのかもしれません。
          | | 妊娠・出産・不妊治療 | 14:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
          野田聖子議員の妊娠報道、「好き嫌いは本質に先立つ」?
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             「実存は本質に先立つ」とは実存主義哲学者サルトルの言葉。私が思うに日本大衆の哲学は「好き嫌いは本質に先立つ」ではないでしょうか?本質に視点を置き、それを考察に是非を断することから逃げているというより、そういう「面倒くさい事」を怠けているように私のようなおじさんは思えるのです。

             「本質を見るより現象を見る」、「本質について考察せず、現象に触れての印象で終わる」「考察の結果の判断でなく、印象、好き嫌いによる判断」というのが現代日本の大衆の「事象に対する反応」であり、それが世論を形成し、一定社会を動かしているように観察するのです。これはかなり危ない大衆社会ではないでしょうか?


             野田聖子議員の第三者卵子提供を受けての妊娠について、あちこちで報道がなされております。「生命に対してどこまで人間の介入は正当か?」といいう本質を問うような報道もある一方で、「女性の生き方・自己実現」という大切ですが表面的一方的な報道もあるようで残念です。

             高田・向井夫妻のように第三者が妊娠して産む姿は、印象として違和感を与えやすいでしょう。逆に、野田議員のように卵子提供を受けて自分が妊娠することは見える現象としては、あまり違和感を与えません。
             でも、高田・向井夫妻は遺伝的には夫婦関係の間の子どもであり、野田議員は異なります。事実婚の夫と別の女性との間の子どもです。日本では夫以外の第三者の精子による不妊治療はかなり一般的ですが、この点では野田議員の方に違和感を覚えるでしょう。

             どう感じるか?は大切ですし、時に理屈抜きの違和感が本質を示すことはあります。ただ、それは不確実極まりなく、本質に迫る前に、安易な答を出してしまうことも少なくありません。それは誤答であることが多いのです。

             他者やその人の行為や人格まで、よく観察し考察もせず、表面だけに触れて安易に「好き嫌い」「好感度・嫌悪感」で判断し、支持したり、バッシングしたり・・・。まさに「好き嫌いは、本質に先立つ」というようなあり方で野田議員の件に反応していては心配です。

             野田議員とその行為より以上に、芽生えた命、その命のへの責任、その命の意味、それが社会にもたらす影響、さらには人間がどこまでいのちの領域に介入することが正当か?女性の産みたい気持ちは、それに優先するか?という本質が問われるような報道、それが常に大衆レベルで、論じられる日本社会であればと願います。
            | | 妊娠・出産・不妊治療 | 08:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
            野田聖子議員に学ぶ女性のステージごとの決断と責任
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               ジェンダーについてはいろいろな考え方がであるでしょうが、生物学的に女性が産み性である限り、様々な制約はどうしても、生じます。ある場合はその制約を取り除くこと(出産育児休暇・身分保障等)が善でありましょう。しかし、生殖技術については、それを取り除くことが善と言い切れない要素があるように考えています。

               30代に「いい男がいないから」「出会いがないから」「結婚は不住だから」と結婚しない、あるいは願ってもできない。40近くなりやはり一生独身は寂しいからと、恋愛感情はあまりなく結婚。年齢的に卵子が弱り妊娠困難。「でも子どもは欲しいから」と不妊治療を継続。50近くになり、ようやく養子を考えても、断念せざるを得ない状況に・・・。

               野田聖子議員だけではないでしょう。女性の社会進出、晩婚化、男性への要求度の高さ、男性たちの草食化などにより、40近くまで結婚しないで過ごす女性は急増中

               そうした女性たちに考えていただきたいのです。女性が社会で働き、同時に結婚・出産・育児をして家庭を持ちたいと願うのは、何ら悪いことではありません。しかし、そうした決断や実行にはタイミングがあるのです。女性の場合、人生のステージについては決断実行の時期がどうしてもあると思うのです。

               野田聖子議員はそれを願い実現していくための女性独自のタイミングを逸してきたのだと思います。野田議員が30代の内にそうした人生を送る事をはっきりと願い、実行に移していたら、妊娠はできなくても、養子縁組はできたでしょう。子どもために夫が休職するか、ご自身が政治活動休止する選択もあったはずです。

               時々申し上げていますが、自立後であれば女性の結婚適齢期は死ぬまでです。神様の恵みと導きは一生可能性があります。しかし、女性が生物学的に産む性であること、子どもに対して責任を負うことを考慮すると、実子であれ、養子であれ、子どもを育てることを願うなら、人生のステージごとに責任ある決断をしなくてはなりません。

               野田さんのように公人であり、多くの方の期待を担う女性は、どうしてもそうした決断や実行を先延ばしにせざるを得なくなるのでしょう。同じように30代のクリスチャン女性と本音の話をしていると、「為すべき決断と実行」を分かっていながら、先延ばししていることを自覚しているようです。その上で「将来に対して不安を覚えている」か「ありえないようなことを信仰と称して信じているか(失礼!)」のどちらかであることが多いです。

               「ある年齢まで結婚をしないという選択をすること」は、「(実子・養子ともに)生涯子どもを持たずに生きる可能性を覚悟すること」を意味します。

               神様は女性を産む性として造られました。いのちを宿し生み出すことは大きな恵みです。だからこそ、女性は、その「恵みの管理人」であることを覚えて、主にある人生設計をもって頂きたいのです。もちろん男性もそうでしょうが、どうしても女性はその管理責任が厳しく問われてしまいます。

               そして男性とは違い、女性はその刈り取りをリアルに迫られます。
              「30代前半で真剣に伴侶を求めなかったから、今・・・・」
              「結婚のために具体的な努力をしなかったから、今・・・・」
              「あの時、欲を出さずプロポーズを受けておけば、今頃は・・・」
              「分かっていながら決断を先延ばしにしてきたから、今・・・・」

               女性だけではないでしょうが、私たちは人生において「あれもこれも」とはいきません。「あれかこれか」の選択をした方がよい場合があります。何かを優先し、何かを諦めなくてはいけないことは多いもの。

               女性はどうしても、独身の快適さを捨てること、社会で思い切り働くこと、教会で積極的に奉仕すること、自分個人の使命に専念すること、そうしたことを捨てないと、結婚や出産育児に歩み出せない立場になりやすいもの。

               それだけに、人生のステージのどこかで何かを捨てる決断をしないと、最終的に不本意な人生を送りかねません。出産育児を神様からの恵み、使命としてお考えなら、人生全体を見通して、「恵みの管理人」としての責任を、年齢にふさわしく考えていただきたいと願うのです。

               クリスチャン男性の少なさ、教会の結婚応援体制の不備など、課題は多々あります。ご批判やご不満はごもっともです。しかし、それを決断先延ばしの言い訳にすることは間違いです。(クリスチャン男性で、牧師のアンタに言われたくないわ!だって?その通りです。ごめんなさい)

               しかし、どのような状況にあっても、年齢相応の主にある決断と責任を自覚し、それを実現させてくださる主への信仰は捨ててはなりません。

               大変、説教がましい記事となりましたが、多くの婚活系クリスチャン女性の皆さんには、野田聖子議員の人生の歩みを実物教材として、学んでいただきたいと願うのです。何も捨てずに全部を実現しようとする「全能者的あり方」は女性として本当に豊かな生き方だろうか?そのために、当人も是非を迷いながら実行した「強行突破的決断」は正しく責任あるものと言えるでしょうか?

               主にある「恵みの管理人」として、あるいは「生物学的限界を免れ得ない主の被造物」として、御心をわきまえた責任ある人生を送っていただきたく願います。
               
              | | 妊娠・出産・不妊治療 | 11:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
              野田聖子議員、養子縁組を断念しての、代理母出産
              0
                 本日さっそく週刊新潮を購読。もちろん野田聖子議員の代理母出産についての当人からの記事を読むためです。

                 週刊新潮最新号のサイトはこちら!
                http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/

                 野田聖子議員はたくましく強い女性政治家であるのは間違いなさそうです。にも負けず風にも負けず、小泉首相からの刺客にも負けず、離党処分にも負けず(復党)、不妊にも流産にも負けず、養子斡旋断念にも負けず、代理母(第三者の卵子提供)により「それでも私は産みたい」と意志を貫いたようです。

                (解説:代理母には大きく分けて二種類あります。一つは夫婦間の受精卵を第三者の女性の子宮に移植し出産する方法、これは高田・向井夫妻の場合。もう一つは、第三者の卵子と夫の受精卵を妻の子宮内に移植するもの。これが野田議員の場合、多くの方にとっての代理母のイメージは前者でしょう。)

                 実は、私が今回野田聖子議員の代理母による妊娠を知って思った事の一つは「養子縁組は考えなかったのだろうか?」ということ。

                 野田議員は少子化対策をライフワークとしています。なおかつ、養子縁組に関心を持ち、その法規制の必要を感じておられたようです。

                 以下のサイトはあるクリスチャンからの教えていただいたものです。養子縁組に関する法規制を検討するシンポジウムのものですが、出席した国会議員の中に野田聖子議員の名前が。

                http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~okuda/symposium_adoption_service_law.html

                 どうも、少子化を考える一議員であると共に、不妊に苦しみ養子縁組を検討してきた一女性としての立場での出席であったとも想像できます。

                 週刊新潮にもそのことは書かれています。野田議員は「一度目の事実婚→不妊で苦しみ→不妊治療で苦しみ→事実婚解消→二度目の事実婚」という経緯をたどります。その時既に47歳

                 そこで一つの転機が訪れます。血のつながりに固執していたこと、自分のDNAを残すのだという思いを自らの「驕り」と悟り、養子縁組を考えます。

                 しかし、ここでも壁にぶつかります。特別養子縁組制度の趣旨は「子どもを願う親のため」よりむしろ「親を必要とする子どものため」です。ですから、子どもが自立するまでの安定した養育(経済・体力等)のために一定の年齢基準などがあります。また、養子は実子以上にふれあいを必要とするとされ、両親のどちらかが休職や退職をして育児に専念することが求められます。

                 野田議員は年齢や休職できないことで断念せざるを得ませんでした。そうでなくても、事実婚で1,2年の経過では養子縁組はできないでしょう。そうです。特別養子縁組とは、基本的に「子どもを願う親のための法律」ではなく「親を必要とする子どものための法律」なのです。ですから、子を願う親の気持ちを思うと残酷かもしれませんが、親に対して一定の資格や制限は求められるのです。

                 そして、今回、養子縁組の道も閉ざされて、第三者の卵子提供を受けての妊娠となりました。なぜ、事実婚なのかどういう経緯で代理母妊娠に至ったのか、不妊女性の痛み、不妊治療の苦労など、是非ともお読みいただきたい内容充実の記事です。何より記者のレポートではなく、本人が政治家として一女性として自分の言葉で書いていることが価値があります。

                 記事を貫いているのは野田議員の「それでも私は産みたい」との意志。それを野田議員は理屈でなく「女性としての私の本能」と自己評価しています。また、保守政治家として、その基盤となる家庭の絆を持ちたいとの強い思いも記しています。

                 女性の「産みたい」「家庭を持ちたい」との思いは尊いものであり、できる限り尊重され、実現されるべきでしょう。しかし、ほかのすべてに優先されるわけではありません。女性の自己実現が他者のいのちに直結しているなら、それは最優先されるべきではないでしょう。そのいのちとの関連で判断されるべきです。

                 どんな尊い思いも「いのちそのもの」には優先すべきではないでしょう。生まれてきたいのちに対する責任を忘れてはなりません。今回の記事で残念なことは、「生まれてきた子どもについての心配」はあっても「生まれてきた子どもにとっての自分たち夫婦」という視点に少し欠けていたことです。

                 「子どもにとって事実婚でよいのか?」「今の二人のライフスタイルで親としての責任を果たしうるのか?」「子どもが思春期になれば、自分はかなりの高齢者、それでよいのか?」など、子どもの立場になれば、自分たちが問われます。

                 養子縁組には、親側の情からすれば、ある意味厳しく冷たいとさえ思える制限や条件があります。しかし、それは子どものためなのです。もし、今後、金銭面で裕福な女性たちが、50歳以上の年齢になってから、正式な結婚もしないままで、第三者の卵子で妊娠出産するとしましょう。子どもが思春期になる頃には母親は60代半ばです。父親に相当する男性も多くの場合、定年です。経済的な心配も生ずれば、親との死別の可能性さえ高いはずです。契約責任より本人の意志に依存しやすい事実婚ですと両親が離婚している可能性も高くなります。その子に兄や姉がいなければ、さらに厳しい人生となりかねません。子どもに大きな不安を与えないで済むのはかなり裕福で健康で意志の強い方々だけでしょう。

                 不可能を突破して実現することは政治家としても女性としても多く場合賞賛される立派なことでしょう。しかし、ある事柄については、「できない現実を受け止めること」「そこまでしてでも実現してはならないとの判断」「道が閉ざされていることに秘められた深い意味を悟ること」なども、政治家として一女性としてさらに豊かで深い人生に結びつくのではないかと思うのです。少なくとも聖書は「女性の胎を開くか閉じるか」の主権神様にあると受け取れる記述に満ちています。

                 今回の週刊新潮の記事、野田議員の誠実な言葉を重く受け止めながらも、問題の本質の所在は違うところにあると思ってしまった私です。

                 (追記)WEBRONZAよりお訪ね下さった皆様へ
                 本ブログの過去の記事はカテゴリーごとに分類されております。サイトの右下の「カテゴリー」を誤使用いただきますと、不妊治療、中絶問題など、関心と必要に応じての記事をお読みいただけます。

                 また、このブログは小さないのちを守る会の代表、水谷が記しております。同会はキリスト教主義に基づいて人工妊娠中絶を防止して胎児のいのちを守る(生存権の擁護)団体です。関心を持たれた方は、本会のサイトをご覧下さい。

                「小さないのちを守る会」サイト
                http://chiisana.org/

                 また、常に入会やご支援をお待ちしております。入会やご支援はこちらにて、受け付けております。
                http://chiisana.org/support/


                 最近、初めて本ブログをお訪ねいただいた皆様には、続いてご愛読をいただければ感謝です。
                拙い記事の数々が少しでも、小さないのちが尊重される社会作りに貢献できればと願っています。
                | | 妊娠・出産・不妊治療 | 15:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
                野田聖子さんが代理母出産へ
                0
                   また、yahooニュースから。一度目の事実婚と解消、現在の二度目の事実婚相手と第三者の卵子を用いての代理母出産ということらしいです。この方の結婚観や家庭観を反映したあり方でしょう。

                   是非は置いて、まずはニュースをお知らせしておきます。
                  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100825-00000600-san-pol
                  | | 妊娠・出産・不妊治療 | 21:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
                  不同意堕胎に執行猶予付き判決確定
                  0
                     本日のyahooニュースによれば、執行猶予付きで確定したのだとか。

                    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100824-00000085-san-soci

                     現在の日本の法体系ではこうなってしまうのでしょうか?まさか執行猶予が付くとは思いませんでした。個人的には動機や経緯に極度の悪質さがあるので、実刑だろうと予想していました。

                     自主的に医師免許を返還したそうですが、そんなの当たり前でしょう。親は病院経営をする金持ちですから、これからの生活には困りません。加害者は社会的地位や家族を失うのでしょうが、それは当然のこと。それでも、裕福な暮らしが保証されていると思われるのは何とも釈然としません。

                     何よりも悲しいのでは、胎児は刑法上、人命として扱われないことです。現実に妊婦は胎児が自分の意志に反して、他者の暴力等によって流産させられたら、「殺された」も同然です。

                     これは、飲酒運転で人を跳ねたら、その場で救助をせずに、逃げて大量の水を飲んでアルコールが検知されないようにした方が得だとというのに、似ているのではないか?と思うのです。

                     つまり医療人は、相手女性が都合の悪い妊娠をしたら、地位を利用して、流産させる薬物を投与したらいいことになりかねません。ばれなければ、それで終わり、完全犯罪です。ばれても、実刑にはならないのです。地位や家庭は失っても、なんとか生きてゆけます。これはいくらなんでもまずいでしょう。これでは同様の犯罪を増やしかねません。もしかすると、「ばれなければ大丈夫、ばれても執行猶予付くから」と今後、不同意堕胎罪に該当するような形で、証拠隠滅を図る男性たちが登場するかも。

                     今回の判決は、日本の法体系の中では一定の妥当性があるのかもしれません。しかし、市民感情や一般常識、いのちを宿した女性の立場からすると、「ありえない判決」との感想を持つ方がほとんどでしょう。

                     民事でも、多分、被害者女性の心身の苦痛に対しての賠償となるでしょう。しかし、親が加害者である息子を経済的に援助するなら、その賠償額金額は、本人にとっては罪の償いをすることになりません。

                     そうです。刑法上で執行猶予。民法上で多額の賠償を命じられても、親が金持ちなら、加害者元医師は、市民感情からすればおよそ「償いの人生」とは思えない安泰で裕福な生活を続けていけるのです。これでは、実質上、法の下の平等など無きに等しいのでは?

                     そして何よりも生まれ来る日を迎えられなかったいのちに対しての償いがこの程度でよいのでしょうか?

                     私は重罰主義者ではありませんが、さすがにこうした全体像や、今後の社会への影響、加害者の更生等を考えますと、何が何でも実刑判決であって欲しかったというのが正直な思いです。
                    | | 妊娠・出産・不妊治療 | 17:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
                    幼児遺体遺棄事件の副産物?としての「救命目的・幼児遺棄促進システム」?
                    0
                       先日の幼児遺体遺棄事件の影響かと思われます。こんな情報が届きました。一人の人物が、ミクシィで『棄てたり殺したりする前に、いらない子は私が引き受ける』との趣旨を記述。実際に子ども託し棄てた人物が出現。結果的には待ち合わせ場所に、生後5ヵ月の赤ちゃんを置き去りにし、母親は行方をくらまし、その子は警察に連れて行かれたそうです。ちなみに、このミクシィの主催者の息子は警察官であり、このことの協力をしたというのです。

                       さらには、その件をミクシィ公開し、それに対して『子の命が救われた』と多くのメンバー方から賞賛を受け、また同様の募集を始めたそうです。

                       もちろん、疑問視する声、非難の意見もあるのですが、「命が助けられること」の一点を根拠に止めようとしないのだとか。もし、この情報が事実で(事実である可能性は高いです)あれば、安易な幼児遺棄を助長しかねません。

                       このシステムはいわば「一人赤ちゃんポスト」や「未公認赤ちゃんポスト」ではないか?問題は感じるが本質的に違いはないのでは?との意見もあるでしょう。しかし、本質が全く異なるのです。

                       俗称「赤ちゃんポスト」(本名は「こうのとりのゆりかご」)は遺棄にならないとの公的な判断と許可があって、行われていること。そして、その本来の目的は、ゆりかごが用いられないこと。つまり、ゆりかごに託す前に病院に連絡してもらい、母親不明とならず、最終的に赤ちゃんが母親に育てられたり、特別養子として家庭に迎えられること。目標においても将来にわたる子どもに対する責任性においても、社会の認知度についても全く異なります。

                       「殺したり、捨てたりするくらいなら、預けて」という発想は、「いのちを守る」という意味では正しいでしょう。しかし、その運用については、合法性が認められ、その後も生命への責任が果たされ、個人的ではないシステムであるべきでしょう。そうでなければ、救命よりも、犯罪行為である遺棄を合法化するという面が、強くなってしまいます。これが事実であるなら、やがて問題視され、犯罪行為とされかねないだろうと思われます。

                       情報源の方は、その該当地域の警察に相談すれば「犯罪と特定できないから対処できない」と返答され、同じく該当地域の児童相談所に相談すると「その子どもが特定できないと対処はできない」との返答されたのだとか。どこに訴えればよいか悩んでおられました。(私なりに訴え先はアドバイスはしましたが・・・)

                       何度も繰り返すように「事実であれば」という仮定の上でのお話しですが、この件は幼児遺体遺棄事件が生み出した副産物と言えるでしょう。それが主観的には正義の副産物なのでしょうが、客観的、社会的、全体性においては疑問視される副産物でしょう。そしてこのシステムが「救命を名目にした幼児遺棄促進システム」として機能することや「緊急性や主観的正義感が国民の思索や判断を麻痺させる現象」に発展することを危惧してしまいます。

                       「今、一人のいのちが失われようとしている」その現実を回避することは、極めて重要。しかし、それが絶対視され最優先されるあまりに、結局、生まれてきた小さないのちが大切にされない社会、親の責任放棄が安易に容認される社会になっては、結局、小さないのちのためにはならないでしょう。

                       今のところは、一日も早く、事実が確認され、適正な法的判断や指導がなされることを願ってやみません。
                      | | 妊娠・出産・不妊治療 | 08:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
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