命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
高二バスケ部主将の自死は他人事か?
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     事件報道を受けて、橋本市長は完全に防ぐことができたとコメントしています。公益通報があったのですから、本来なら、防ぐことができたはずでした。教育現場で、尊いいのちが奪われるまで、正常に問題が対処されなかったことの無念さを思います。今日の報道では、橋下市長直轄の100名体制で、小中を含む大阪市立の各校に本格的な体罰実態調査が行われるそうです。これが、同じ悲劇の予防となればと願ってやみません。ポイントは、以下の点でしょう。

    (1)暴力行為は、衆知の事実であった。
     教育現場での体罰は、規則違反です。たとえ、教育目的という名目で事実上、許容されるとしても、ビンタ数十回で口から血を吐くような体罰は、教育上の指導とは全く異なる暴力による支配と理解されるべきでしょう。

    (2)公益通報が機能しなかった。
     通報を受けた教育委員会が、学校に調査を依頼、学校は生徒には聞かず、一部教師にのみ聞き取りをして、「体罰なし」と回答。

    (3)実績があり、有能と評価されていた。
     バスケの顧問としては、突出した実績を持ち、担任教師としても有能との評価を得ていたとのこと。こうした実績、能力、知名度、貢献度故の学校側による隠蔽が疑われます。

    (4)教職者相互で改善できなかった。
     間違いなく、教員同志では、厳しい体罰のことは、広く耳に入っていたはず。管理職の指導や同僚からの忠告などはあったのか?生徒自死の前日に同僚が、目撃しながら、黙殺されているとの報道があります。どうも、強豪チームゆえに誰も、注意できなかったようです。

    (5)犠牲者が出てから、マスコミ報道後の責任ある対応
     死者が出てから、学校側は、ようやく正直な応答をしているように見受けられます。さらに、マスコミが報じて、対応が変化しているように思えます。

     私は今回の事件を悲しみましたが、本来なら湧き上がるであろう学校側への怒りは、ありませんでした。なぜなら、私たち日本の教会にとっては他人事でないからです。自らの心を痛め、悔改めました。自分にできることを考えました。

     (1)ー(5)は、他人事でしょうか?
    ある教職の逸脱行為の噂が一定知られていたこと。
    公益通報があったにもかかわらず、適切な対処がされぬままであった。
    実績のある有能とされた教職であったこと。
    教職者間相互、あるいは指導責任者からの注意、戒めがなかった。
    犠牲者(死者)が出たり、マスコミ報道をきっかけに責任ある対処が開始する。

     これらは、ここ何年かキリスト教会で、起こったこと、あるいは、起こったと疑われていることでしょう。他教会、他団体だからと他人事で済ませていいのでしょうか?お互いの所属教会や所属団体では、こうした公益通報が機能するでしょうか?犠牲者や死者を出さずに済むシステムがあるでしょうか?桜宮高校と同様のことは起こらない、あるいは、起こる前に正しい対処ができると言えるでしょうか?

     キリスト者たるもの、自らの痛みを覚えずして、桜宮高校を非難することがあってはならないと、私は思います。今、危機感を持って、こうした問題意識を共有して、具体的に対処する教団、団体も起こってきました。近年、各団体に相談室が設置されております。意義ある第一歩が始まりました、十分に機能するよう今後の充実が望まれます。

     桜宮高校の事件、テレビ取材に応じるいのちをたった主将の母親の様子を見いているうちに、知人の中では、この方が最もこの母親の心が分かるだろう方と思い、宮本晴美さんにお電話しました。宮本晴美さんの娘さんは、一牧師からの度重なる性暴力を受け、そのことを訴えた裁判の末に、自らいのちを断ちました。

     しばらくの会話の中で知ったのですが、宮本さんの元には、キリスト教会で起こっている同様の事例が多く寄せられているそうです。楽観できない現実は今も続いています。学校教育の世界では、教師の体罰や行き過ぎた指導で、これまでも生徒の生命が奪われてきたした。私の記憶では二件(岐阜県体罰死、校門圧死)あります。その度ごとに、教育現場では、真摯な検証がされ、再発防止が為されてきたように思います。しかし、今回の件は、それが風化していたように思えてなりません。

     宮本さんの娘さんの件は、風化するどころか、その検証の発表後も、まだ、教訓として十分キリスト教会に行き渡っていないように思います。時には悲しいほどの他人事感覚を感じることも。牧師の暴力による死者を二度と出さない日本のキリスト教会でありたいと願い、悔改めながら、自分にできることなどを考えているところです。

    | ヤンキー牧師 | 教会不祥事&AERA報道関連 | 15:46 | - | - | - |
    「オピニオン執筆者による自称牧師問題についての感想文」のご紹介
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       本ブログで、シリーズで取り扱った「自称牧師問題」。そのきっかけとなった「オピニオン」の執筆者が感想文形式で記事をしるしておられるので、ご紹介。

       この問題は一定の基礎知識や問題意識、具体的事例経験がないと、理解できなかったり、誤解をしかねません。そうしたことのないようにとの配慮もあるのでしょう。この問題の対処に苦慮する方々の心情によりそいつつ、記しておられる様子。何より問題提起の真意が改めて明確に記されていることの意義を覚えますので、紹介します。

      「オピニオン執筆者による自称牧師問題についての感想文」
      http://zios.seesaa.net/article/266395897.html

      | | 教会不祥事&AERA報道関連 | 17:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
      「自称牧師」問題を考える(追加)〜「オピニオン」の紹介
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         一連のシリーズのきっかけとなったクリスチャン新聞「オピニオン」の全文が、執筆者ご自身のブログ記事に掲載されております。大変密度の濃い内容で、深い考察と有益な指針に満ちていると思いますので、ご紹介申し上げます。ご一読をお勧めします。

        「クリスチャン新聞4月22日号オピニオン」
         http://zios.seesaa.net/article/265372844.html
        | | 教会不祥事&AERA報道関連 | 10:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
        「自称牧師」問題を考える(5)
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           今日でこのシリーズも終わり。「オピニオン」を執筆された大杉牧師は、以前にも紹介しましたが、こうした問題について既に優れた記事をブログに掲載しておりますので、再度ご紹介。


          「ある教団において免職された者が単立の教会の「牧師」を名乗って活動が継続されてしまうという、この困った現実に対する一考察」
           http://zios.seesaa.net/article/166835342.html

           非常に精密で行き届いた考察かと思います。私が先輩牧師から、お招きを受けて、伝道者として初めて特別伝道会で奉仕。その時に、拙い説教に熱心に耳を傾けてくださった救われて間もないクリスチャンであった「大杉兄弟」が、今は牧師としてこうした優れた考察をされ、キリスト教会に発信していることに感無量です。
          | | 教会不祥事&AERA報道関連 | 21:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
          「自称牧師」問題を考える(4)〜「身内の恥」か?「公同の教会の公益」か?
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             「不祥事牧師については、除名して自称牧師状態にすれば、教団や団体の恥ではなくなる」という発想は意図的ではないでしょうが、潜在的には起こりやすいことだと思います。つまり、「身内の恥」という聖書とは異なる日本的価値観を優先すると、除名して、その後は「関係なし」という対処をとりかねません。そうなると「オピニオン」が示すような「団体に留めて矯正」という対処は困難でしょう。

             そこで今回考えたい事は「身内の恥か?公同の教会の公益か?」ということ。自らの団体に所属する牧師が、不祥事などを起こし、除名せざるを得ない状況ともなれば、「我が教団の恥」などと感じる気持ちはあるでしょう。

             ただ、その自称牧師が地域の諸教会や一般市民にまで、害を及ぼす可能性があるとしたら、「身内の恥」としての対処だけであってはならないでしょう。そこで、必要となってくるのが、「公同の教会への公益通報」であります。

             多くの教会は、「我は公同の教会を信ず」と信仰告白をしていることでしょう。「我は我が教団(団体、群れ)を信ず」とは告白していないはず。日本のプロテスタント諸団体は、長くても60年から100年の歴史、数百年後に存続している保証はありません。しかし、公同の教会は存続し続けます。そう考えますと、諸団体の崇高な働きも、地理と歴史の一コマの中でのこと。

             多様な教会論があるでしょうが、多くの教会では、公同の教会が地上で具現化したのが、各個教会と考えていることでしょう。こうした「永遠と一時」、「全体と部分」、「普遍と個別」という関係を考えると教会や団体にとって恥と思われる情報でも、公同の教会に益するなら、公益通報すべきなのでは?と思うわけです。

             たとえば、自らの教団の一牧師が異端の教えに傾倒してしまい、それを教会で布教し、教会が分裂するか異端に乗っ取られたとしましょう。それは、「わが教団の恥」でしょうが、それを知らせることで、次の被害を防ぎえます。つまり公同の教会の公益につながります。

             「オピニオン」が指摘するように、「自称牧師問題」には、「身内の恥」との感情や判断が根っこにあるように私も思います。そこから、「公同の教会への公益」に転ずることが聖書的なのでは?さらにオピニオンの表現を借りるなら「牧師職の普遍性」や「公益性」という発想は、「公同の教会を信ず」との信仰告白から本来は導き出されることではないだろうかと考えました。

             「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」ならぬ「知らせるは一時の恥、知らせぬは歴史上の恥」という判断もあるのでは?

             あるいは「恥は我がもの、栄えは主のもの」ならぬ「恥は我が教団のもの、栄えは公同の教会のもの」という選択肢もありなのでは?と思うわけです。

             「身内の恥」か?「公同の教会の公益」か?

             これは、「自称牧師問題」を考える上での大きな分岐点ではないでしょうか?
             

            | | 教会不祥事&AERA報道関連 | 22:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
            「自称牧師」問題を考える(3)〜苦悩する地域教会からのアプローチ
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               昨日「現在進行形の事例」として紹介した件、宮原氏が、除名となり「自称牧師」になるまでには、多年にわたる地域教会の苦悩と真摯な取り組みがあったことをお伝えしておきたいと願います。

               関係者の証言によれば、その牧師にあるまじき言動、いいえ、それ以前に一市民としても問題視される言動は20年以上前から地域で問題になっていたとのこと。それは、警察や役所も認知しているほどのものだったそうです。

               地域の教会が苦悩し続ける中、10年前に一人の牧師が伊東に赴任。このことを知り、心を痛め、対処をと願います。翌年には志を共にする牧師と共に伊東牧師司祭会を立ち上げて、地域の教会で協力して対処をしてゆこうと決意。

               当人にも直接面会し、話し合ってもらちがあきません。所属教団に情報を伝え、指導や対処をお願いしたのですが、責任ある応答をいただけなかったとのこと。この団体は以前にも所属している別の牧師が犯罪行為を犯した際に、どのような経緯で牧師になったかも不明であったという残念な前例があります。

               しかし、この団体が特別なわけではないでしょう。10年前の時点では、まだまだ多くの団体は、地域宣教や牧する教会の教会形成等でエネルギーを費やし、「組織としての責任」まで思いや労力が及ばないというのが現実だっと思われます。任命制の団体であれば、任命し、派遣しても、「当人の信仰と召し」を要求する一方で、団体としての指導管理責任など、真摯に考えない団体、考えてはいても、他の優先的な課題の故に具体化できないでいた団体は珍しくなったのでは?招聘制であれば、招聘した教会の責任が優先されるのでしょうが、そもそも招聘した教会に責任能力も管理能力がなく、団体が所属の牧師にどこまで責任を持つのかが不明瞭な場合も。一牧師の重大な問題を所属を団体に訴えても、誠実な対処をしない除名にした牧師の場合には団体には責任がないと、主張して対処しないという事例がいつくもあったことを御聞きしています。

               それが大きく変ったのはAERA報道以降でありましょう。ただ、未だに、牧師の倫理的逸脱を前提にした規則を持たなかったり、除名して責任逃れと保身をしているかのように受け取られかねない対処をしている団体もあるようにお見受けします。

               さて、話を今回の事例に戻しましょう。地域で牧師司祭会を形成し、問題牧師の対処を所属団体にお願いしても、聞き入れられないという閉塞状態の中、一つのことが起こります。これはまさに、伊東牧師司祭会の祈りの結実として訪れた神の時だったのでしょう。一昨年のこと、宮平氏が窃盗容疑で逮捕されたのです。

               牧師司祭飼いはこれを機に、声明文を教団に提出。それは、クリスチャン新聞とキリスト新聞にも掲載され、公となりました。その後も紆余曲折がありました。その経過は本ブログにも何度か記事として記しております。

               最終的には、所属教団は、責任を認め、謝罪。その教団からの謝罪文と伊東牧師祭司会側の受け入れの声明文は、クリスチャン新聞上で公となりました。そして、素晴らしい結実の一つは、この団体がただ除名をしたのではなく、伊東牧師司祭会とともに宮原氏の更生や被害者へのフォローに労することを約束したことです。

               私はこの事例は、牧師不祥事について実に画期的で意義深いものだと思います。所属団体が誠実に対処しなかったり、隠蔽に走れば、普通はそれが限界です。それ以上のことはできませんし、しようとはしないものでした。

               しかし、一人の牧師の勇気ある決断から始まり、地域の教会一致して、所属団体にアプローチしたのです。その声明文が公になったことを通して、教団が問題性と責任を自覚し、正常な対処に至ったようです。

               私としては伊東牧師祭司会、大絶賛であります。しかし、それ以上に20年にわたる苦悩、そして、これからの地域での教会の信用回復の道のりを思います。

               今回、このことを記事にしたのは、日本の諸教会のためです。地域の教会の協力とそこからのアプローチが、所属団体を動かし、牧師不祥事が正しく対処されていく!この伊東牧師司祭会の画期的な事例が、同じ問題で苦悩する地域の諸教会への励ましや有効なヒント、そして一助になればと願ってやみません。
              | | 教会不祥事&AERA報道関連 | 22:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
              「自称牧師」問題を考える(2)〜現在進行形の事例
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                 昨日、紹介しました「オピニオン」の主張のように、免職牧師が、除名にならず、団体に留まり、指導を受けて、悔改めと回復に向かうことが理想的ですが、当の免職牧師がそれを拒否して、なかなか、そうはならないのが現実。

                 実は最近も、「自称牧師」によって、地域の教会が不利益を被っているという事例があります。いわば、「現在進行形の事例」。それは、本ブログで扱ってきた宮平勉氏の件。この件はクリスチャン新聞も地域の牧師司祭会からの声明、所属団体からの謝罪文、それを受け入れいる旨の牧師司祭会からの声明などを掲載してきました。

                 団体を除名になったとの記事はこちら。
                 http://blog.chiisana.org/?eid=1407997

                 そして、最近のこと、除名になった同牧師が、窃盗容疑で伊東署に逮捕されました。これで、一昨年の9月、昨年の6月に続いて三度目の窃盗容疑での逮捕であります。今回がこれまでと異なるのは、同牧師が、一教団所属の牧師ではなくなっていることです。

                 地域では、大手の新聞より購読数が多い「伊豆新聞」はこの件を報じました。記事中のタイトルは「スーパーで万引きした疑い、を逮捕」となっております。「牧師を逮捕」ではないのです。記事中の文言も「伊東署は・・・・自称牧師宮平勉容疑者(62)を現行犯逮捕した」となっております。宮平氏のことを「自称牧師」と記すのと「牧師」と記すのとでは、読者に与える印象も地域社会が下す評価も大きく異なることでしょう。

                 実際のかつての所属団体からの除名通知書には、「按手礼によって授けられた牧師の資格を喪失し・・・・」と記されているそうです。ですから、普遍的な意味でも牧師の資格を有していないので、「自称牧師」との表現は正しいでしょう。

                 こうした場合の「自称牧師」との文言、教会外の地域社会の方々が守られ、地域の諸教会の信頼を損なわない表現と言えるでしょう。地域社会と地域教会に公益をもたらす表現かと思います。では、重大な罪を犯し、悔改めず、団体を除名された牧師に「自称牧師」とのレッテルを貼り、それが一般社会でも報じられることが、一概によいのか?と言えば、議論の余地は残るでしょう。

                 極めて稀なケースとは言え、現実にこうした牧師が存在し、その言動とそれに伴う風評によって、地域住民と教会が長年にわたり不利益を受けていたわけです。そして、団体から除名された後にも、窃盗容疑で三度目の逮捕であります。この事例、「自称牧師の問題」と「自称牧師」との文言を考える題材としたいと願います。
                | | 教会不祥事&AERA報道関連 | 11:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
                「自称牧師」問題を考える(1)〜「オピニオン」からの提案
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                   クリスチャン新聞最新号(4月22日号)の第三面「オピニオン」に注目したいです。タイトルは「牧師免職後の処遇に関する提案」。執筆者は、本ブログでも度々そのブログ記事を紹介してきた大杉至牧師であります。

                   テーマは一団体で免職された牧師が、「牧師」を自称して活動を継続するという問題。そもそもこうしたデリケートな問題に、クリスチャン新聞の「オピニオン」において公に提案する勇気と使命感自体が、アッパレであります。私自身も何年間か「オピニオン」のレギュラー執筆者をさせていただいた経験があり、執筆のプレッシャーは理解できるだけに、このテーマを扱ったことには脱帽です。

                    ここで、お断りしておきますが、これは、あくまで所属団体を免職、除名をされた「自称牧師」の問題であります。どのような経緯であれ、団体を辞して、牧師として活動を継続しておられる通常の牧師である方々には、該当する問題ではありません。読者の方も、問題視しているのは、極めて稀なケースにおける牧師であることをご理解の上、お読みいただければ幸いです。

                   信徒の方には、意外と思われるかもしれませんが、私の知る限り、牧師が免職、除名、按手礼剥奪になることは、極めて稀なことです。たとえば、異性問題や金銭問題を一回起こしたような場合は、停職や自主退職扱いになることが多いように観察しております。免職になるのは、著しい教理的逸脱や、犯罪行為に相当するような問題、あるいはそれらに対しての悔い改めを拒否し続けるようなケースでしょう。

                   ですから、免職というのは、かなり深刻な問題があったことを通常は意味します。そこで、大杉師は、そうした人物が自称牧師として活動継続をすることはあってはならないと主張します。所属団体に任命・管理責任があるという大前提があるからでしょう。しかし、現実には、「除名したのだから、団体に責任はない」「団体外の活動に介入する権利はない」という観点から、結果的に放置、容認してしまう場合があるのも現実。

                   この教会論、教職論の視点から、現実的対処が難しいとされる課題に大杉師は、ある視点から切り込みます。それが、牧師職の一般社会にも通用する「普遍性」であります。それ故に免職事実の公表の公益性、公然性を主張。このあたりのことを記事にすると営業妨害になりそうなので、是非とも、クリスチャン新聞を購読して下さい。

                   こうした論拠の上に、大杉師は、タイトルでもある「牧師免職後の処遇に関する提案」をされます。それは免職対象となった人物を退団させないことです。このオピニオンの素晴らしいところは、不祥事牧師を団体から切り離すことに潜む組織の自己保身傾向に、自称牧師問題のがあるのでは?と主張している点でありましょう。

                   こうした「不祥事牧師は団体に留めて、交わりの中で悔改めに導くべき」との意見は、40、50代の牧師からは、私も、しばしば御聞きしてきたことです。管理・任命責任というものは、不祥事の後にも継続すると私も考えます。「責任が取れないから免職、それ以降責任なし」というのは、責任論として本末転倒かと思うのです。いわゆる「トカゲの尻尾切り」とのそしりを受けかねません。

                   具体的には、免職となった牧師は信徒として保護司役の牧師に見守られ、矯正の道を歩むというシステム、実行を提案しておられます。また、そうした可能性を示唆してくださっています。

                   もちろん、既にこうしたシステムを持つ団体もあります。それが、一定機能しているケースも存じ上げております。また、こうした実践を提案しても、免職された人物が、拒否をして、近隣で単立教会をスタートする例もあります。この記事を読んでも「実際は、そんなうまく機能しないよ」というご苦労をされた牧師方からの反論もあるでしょう。

                   ただ、多くの事例を知る大杉師はそうしたことは全部折り込み済みで、こうした提案をなさっているのは、間違いありません。ここ十年程で、「牧師性善説」が崩壊し、各団体は、牧師不祥事の可能性を前提として、規則改正などを為さっているように観察します。しかし、私の知る限りでは、今でも、団体としての任命管理責任という観念に欠ける団体、責任は各個教会にあるとして、団体の責任が不明瞭となっているような団体、除名が当然と考えて団体に留めて矯正という発想を持ち得ないでいる団体、正論とは思いつつも、団体残留による矯正を最初から「無理」と諦めている団体もまだまだあるようにお見受けします。どうしても、残念な事例が起こってから、必要に迫られるというケースも多いのでしょう。そういうわけで、失礼ながら、こうした発信による啓発を必要としている群れもまだまだあるように思うのです。

                   たった一人の「自称牧師」が、キリスト教会全体の信用を傷つけかねないケースもあるだけに、今回の提案が活かされることを願っております。こうした提案が「実現不可能な理想論」「きれいごとの正論」と、あっさりスルーされるとしたら、それこそが、自称牧師問題の温床でありましょう。当事者感、責任感のある方は、是非とも、クリスチャン新聞最新号の購読を!

                  | | 教会不祥事&AERA報道関連 | 14:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
                  牧師逮捕〜「聖なる大義名分による違法行為」を考える
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                     残念なお知らせです。これまでにないタイプの牧師による犯罪行為なのかもしれません。東京キリスト生命教会牧師の青山金信容疑者(51)が逮捕。
                     
                     日テレではニュース番組で扱ったようです。動画と容疑の概要はこちら。
                     http://news24.jp/nnn/news89031057.html

                     風俗店員として働く韓国人女性宣教師と偽って、ビザ申請し、一件当たり150万の謝礼を受けていたのだとか。青山容疑者は「教会をつぶしたくなくて金に目がくらんだ。逮捕は神のお導きだ」と話しているそうです。

                     個人的には、「教会をつぶしたくなくて」には心痛むやら、トホホやらです。これまでの牧師不祥事との大きな相違点は、犯罪組織に協力していると予想される点です。女性当人が150万を支払えるはずがないので、仲介者の存在は明らか。さらにその紹介者は犯罪組織であることが予想されます。その意味で、これまでの牧師不祥事と異なり、別の面での社会的責任は大きいと言えるでしょう。

                     とは言えこの件はキリスト教会全体で受け止めるべき課題でありましょう。今後は、ビザの不法取得ほう助を、疑われる一部の外国系の教会が出てくる可能性を危惧します。つまり、教会を通じて、宣教師の名目でビザを取得しながら、実質的には別の職業や立場を持っているケースなどが摘発される可能性です。

                     さらに、こうした事件は、他人事ではないだろうと思うのです。「教会」や「神の働き」という大義名分によって、ある程度の不正やごまかし、あるいは違法行為を正当化するようなことは、決して少なくないのでは?牧師不祥事に限らず、教会施設の不法建築、教会の不正経理から、教材DVDや賛美CDの違法コピーに至るまで、重大な犯罪行為でないだけで、本質は今回の事件と同様ではないかとも思うのです。

                     「聖なる大義名分による違法行為」、そのことはすべてのキリスト者と教会が、気をつけなければならない落とし穴ではないでしょうか?そんなことを今回の事件から思いました。
                    | | 教会不祥事&AERA報道関連 | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
                    宮本晴美さん講演会のお知らせ
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                       来週の火曜日なので、再度、お知らせします。

                       2002年、牧師から性暴力を受け続けてきた一クリスチャン女性が自死されました。その被害者女性の母親にあたる方が、宮本晴美さんです。本ブログでもこの件は何度も扱ってきました。この事件は一牧師、一教会、一教団のことではなく、今日の日本のキリスト教会が向き合うべき共通の課題でありましょう。
                       そいて今回の講演会は、九州以外では初めて教会関係でのオープンなもの。宮本さんがご自身の声で、性暴力について、キリスト教界に問題提起をされる歩みを開始されたようです。直接的には性暴力が論じられますが、再発防止をなし得ない現実は、教会論、教職論や信仰理解、人間理解などより広く深い問題提起につなることでしょう。

                       参加は自由で参加費無料。関心や使命のある方には絶好の機会でしょう。当日の午後は、御茶ノ水でラジオ収録ですが、収録終了後に駆けつけて、少しでも参加できればと願っています。

                       主催者 NCC、バプ連性差別問題特別委員会等の共催
                       講演者 宮本晴美さん
                       タイトル「宮本の発信 それからをどう生きるか」
                       日時 2012年2月21日(火) 15:00−17:30
                       場所 日本バプテスト連盟事務所

                       (さいたま市南区南浦和1-2-4)
                       JR京浜東北線「南浦和駅」東口から線路沿いに「浦和駅」方面へ。徒歩役10分
                       詳細はこちらを
                      http://www.bapren.jp/modules/about/index.php?content_id=3

                        申し込み不要、参加費無料
                        問い合わせ先 日本キリスト教協議会(NCC)
                      http://ncc-j.org/ 
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