命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
3月のご愛読を感謝します!
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     今日は4月1日でした。すっかり忘れておりました。予告していた「いまどきクリスチャン男子の父性愛拒否体質」についての記事は明日に延期させていただきます。月のはじめなので、恒例のご愛読感謝。3月の総アクセスは63775で、一日平均は2057と前月から大幅ダウンですが、これが通常のアクセス数でしょう。

     3月の人気の記事は以下の通り。読み返すことで新たな気づきがあればうれしいです。豊田信行先生の「父となる旅路」が個人内大ヒットでしたが、それを扱った記事がいつくか入りました。「キリスト教のリアル」関係も人気がありました。教会のありようを扱った記事が多く、恋愛・結婚・家庭ネタが少なかったのが3月の特徴でしょう。


    豊田信行著「父となる旅路」は、父性、霊性、聖性が合流した大河の書である! (141いいね!)

    カトリックの「万人祭司」と「会堂建築後神父交代」について補足 (103いいね!)

    「父になる旅路」から考える母性愛、父性愛(3)父性欠損・母性一辺倒型神観の問題 (74いいね!)

    非婚、離婚、不妊〜女性のあり方に求められる新しい革袋 (67いいね!)

    「若手を自分色に染めるより、自分が若手に染まった方が早いし効果的」って、けっこう聖書的かも (66いいね!)

    乙武氏不倫報道を受けて〜「障碍者への美談押し付け」という差別 (66いいね!)

    カトリックも「万人祭司」だったんだー!考えさせられる「会堂建築後神父交代」の知恵 (61いいね!)

    「父になる旅路」から考える母性愛、父性愛(1)神様の統合的愛 (60いいね!)

     というわけで、3月のご愛読を感謝申し上げますとともに、これからもご愛読いただければと願います。
    | ヤンキー牧師 | 活動報告・宣教 | 16:40 | - | - | - |
    「父になる旅路」から考える母性愛、父性愛(3)父性欠損・母性一辺倒型神観の問題
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       豊田信行著「父となる旅路」は、神様ご自身の父性と、聖書の登場人物の父性欠損自らの獲得し育てるべき父性の三者を結び付け、読者に父性についての気づきを与え、父性という面において、信仰者としての人格形成、あるいは霊性の深まりを与えてくれます。

       昨日の記事で示したように父性欠損問題は家庭だけでなく、キリスト教会内にも及んでいます。教会内の交わりだけではなく、その根幹にかかわる神観自身や神の愛の理解についてにまで深刻な歪みを与えているように思うのです。豊田先生も言及しておられるのですが、「あなたはあるがままで愛されています」が、福音の大部分のようになり、「献げよう」「従おう」「与えよう」「委ねよう」などの祝福をもたらす父性愛による命令や勧めが、隅に追いやられてしまっているようなことは、福音理解のおける父性欠損でありましょう。

       あるがままで愛する母性愛だけが語られ、期待と要求をし、努力達成によって承認し、成長を与える父性愛が語られないなら、その神観は「父性欠損・母性一辺倒型神観」でありましょう。それは、聖書が示す神の愛の片面に過ぎません。そして、そのような神観に基づく福音が語られるなら、その神の家族としての教会は、「神の母子家庭」となります。一般的に母子家庭が、父親不在の故に持つ困難と同様の課題が教会に生じます。(母子家庭=欠損家庭という意味でなく、一般的傾向としての意味です)

       その代表的事例は「あるがまま、がわまま、ずっとそのままクリスチャン」であります。以前にも記事にしたことがあるので、それを加筆して、以下に転載します。


       「あるがまま、がわまま、ずっとそのままクリスチャン」。その福音理解は、「神様は自分をあるがままで愛しておられる。だからずっと今のままよい」という内容です。「あるがまま」が聖書の最上位の教理なので、他の教理はこれに反するならすべて否定・拒否していいのです。その結果として生ずるのは「現状肯定と成熟拒否の神様の無条件の愛による正当化」であります。あるがままで愛されていることを、「自分が変らず、悔改めず、ずっとそのままでよい」とのお墨付きにしてしまうわけです。

       当人にとっては「あるがまま、今のまま、ずっとわがままでよい」と絶対者から保証してもらっているのですから、行くところ敵なし状態です。自分にとって不都合な変化、成長、悔い改めを命ずる聖書のことばも、そのみことばに従って愛をもって導く人々も、ありのまま愛してくださる神様がご一緒なら、大丈夫?というわけです。

       「聖書は、心の一新によって自分を変えなさいと命じていますね」と問われても、「変えなくても愛されているから自分は満足です」と顧客満足度発想で返答。

       「栄光から栄光への主の似姿へと変えられましょうね」と勧めれば、「変えられなくても愛されているのだから、必要ない」と頑なに現状肯定であります。

       「聖書は『愛されなさい』でなく『愛しなさい』と命じていますね。あるがまま愛されたその愛で、人を愛する者に成長しましょう」と招けば「今のまま、ずっと愛される側でいたい」とがわままな拒否。

       「それは神様が悲しまれますね。悔改めましょう」と牧師が愛をもって罪を示し悔改めに導こうとすれば、「先生は自分を、罪のまま、あるがままで愛していない、先生には愛がない!」と逆切れしかねません。

       どうもこのタイプのクリスチャンにとって大切なのは、「あるがまま愛されている自分」であって「あるがまま愛してくださっている様」ではないようです。重要なのは、「あるがまま愛されて自己価値確認できる安心感」であって「その愛への応答責任」ではなさそうです。発想としては、「あるがままで愛される顧客満足度」が大切なのであって「あるがまま愛してくださっている神様の側のご満足」はどうでもいいのでしょう。どこまで行っても「自分のための神様」止まりで「神様のための自分」には至りません。いいえ、程遠いままです。


       そこで、思いついたのが、「あるがまま、今のまま、ずっとわがままクリスチャン」の信仰告白です。名づけて「あるがまま信仰告白」。


       「あるがまま信仰告白

       我は天地の造り主、我をあるがままで愛する全能の父なる神を信ず。
       
       我はその独り子、我をあるがままで愛する我らの主、イエスキリストを信ず。

       主は、我をあるがままで愛するため、聖霊によりてやどり、・・・・・・

       ・・・・・三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、我をあるがままで愛さんと全能の父なる神の右に座したまえり。

       かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを、あるがままで愛したまわん

       我は、人々をして我をあるがままで愛さしむる聖霊を信ず。

       我をあるがままで愛する公同の教会、

       あるがままで愛し合う聖徒の交わり、

       あるがままで愛するが故に、悔改め不要の罪の赦し

       今のままでも与えられる体のよみがえり、

       ずっとわがままでも保証されるとこしえの命を信ず。

       
       以上です。これは、すごいですね。「父、御子、御霊」から、「教会、永遠」に至るまで総動員で、「あるがままの自分」を正当化しているのですから。この「あるがまま信仰告白」が、聖書そのものより権威があるのですから、聖書が記す自己変革、成長、悔改めの言葉などは、すべてスルー、あるいは排除となるのです。

       「あるがまま」は福音の重要要素。でも、それがすべてとなれば、それは、もはや「福音」と呼ぶべきではないでしょう。「甘口の福音」でさえないと私は思います。


       ここまでが転載です。これは心理学上の理論が暴君として福音の上に君臨し、福音の国の秩序を破壊し、再構築してしまった現象のように感じています。さらに今回のテーマからすれば、父性欠損文明の影響が、福音理解にまで及んでしまった結果、福音を歪めてしまったのだと思うのです。私たちは、家庭において、社会において、父性を喪失してしまっただけではないでしょう。押し寄せる世の父性欠損の波から、自らを守り、抵抗し、むしろ、健全な父性を証しすべき、神の家族父性欠損の波に飲まれ、神の母子家庭可しているのではないでしょうか?

       そして、遂には、父なる神様についても、現代人に不都合な父性愛は黙殺し、現代人の安直なニーズに対応した「父性喪失母性一辺倒の神観」を提示し、そのことによって、教会に人が集い、集っている者たちも離れぬようにしているとしたら、それは聖書に登場する「異なる福音」「耳触りのよい言葉」に相当するのではないか?と危惧します。そのような福音理解に歩み、その福音に生きるクリスチャンが、自立し、健全な教会を建て上げ、宣教し、神の栄光を現していく者へと成長していけるかは、さらに疑問と言わざるを得ません。

       父性欠損の波に飲まれた福音や神観、その福音理解とそれに生きるクリスチャンたちの問題。言い換えるなら、「父性欠損・母性一辺倒型神観」がもたらす問題は、現代と将来の日本のキリスト教会においては、かなり深刻と言えるのではないでしょうか?

       さて、明日はこのことを受けて、福音理解と神観における「いまどきクリスチャンの父性拒否体質」について記しましょう。
      | ヤンキー牧師 | 育児・信仰継承シリーズもの | 15:37 | - | - | - |
      「父になる旅路」から考える母性愛、父性愛(2)日本の家庭における父性愛の欠損
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         もう10年以上前だと思います。「父性の復権」という書物が話題となりました。単に父親が役割を果たす必要性を訴えているのではありません。家庭にも、社会にも「父性」という原理が失われたことが、現代日本が持つ様々な課題の原因であり、父性の復権こそが、それらを克服するとの趣旨だったと記憶します。

         確かに今日の日本の子どもたちの問題のいくつかは、父性愛の欠損に起因すると思われます。これは豊田先生も著書の中で指摘しておられます。母性愛によって、あるがままで愛されて子どもは、安心や自己肯定感を持つでしょう。しかし、父性愛を注がれないと、期待と要求に応答し努力した結果として承認によって得られる自信、そして課題に取り組む勇気が育まれません。

         長時間労働などで父親が機能できないことも多いのが日本の現実。ならば、母親が期待し、要求していけば、父性愛の欠如は補えるのでしょうか?私は賢くかつ意識的に努力すれば、母親による父性愛は可能だと思います。

         しかし、母親にとってはそれはかなり難しいのだろうと考えています。たとえば、夫に愛想をつかしている場合などは、息子に向かって「〜ちゃん、勉強頑張ってねー。ママはあなただけが希望なの。パパはダメだから」というようなお約束フレーズで、子どもにプレッシャーをかけてしまいます。男児への母の期待や要求夫への失望の裏返しである場合、その期待と要求が息子を「いい子疲れ」や「いい子破たん」に向かわせてしまいます。

         また、父親の場合は「親からの期待・要求→子の努力と達成→親から子への承認」があまり意識的に努力しなくても、それなりにできるようですが、母親はなかなかそうはいかないように観察します。母親からの期待や要求に男児が応えても承認がないケースをよく見かけます。

         たとえば、ある母親は達成できなくても努力していたことを認めて承認しようとしません。「できなかったけど、がんばっていたのを知ってるわよ。ママはうれしいわ」という褒め方、励まし方ができる母親はあまり多くないように思うのです。結果より過程を評価することが、誠実に努力する子どもを育てます。逆に、結果だけを評価するなら、それは親子ではなく、上司と部下でしょう。それでは、逆に母性愛を欠いてしまい、子どもが不安を覚えてしまいます。

         また、母親によっては、息子が期待や要求を達成しても承認せずに、減点法で評価してしまうことも。達成した事実や努力を評価せず、「まだ、ここがダメ」「こっちもできなければ意味がない」と努力して達成したのに、認めず、足らないことの指摘をするわけです。いわば「永遠の期待要求と永遠の不承認と永遠のダメ出しの三点セット」です。このことを息子だけでなく夫に対してもしている女性を見かけます。夫に改善を要求し、妻のために頑張った夫を認めず、夫の成長意欲を削ぎ、浮気心を増幅させる妻です。

         どうも、男性が自分のためにする努力を認めず、無意識に文句をつける女性というのは、日本では珍しくないようです。自らは無意識のうちに、息子であれ、夫であれ、男性の向上心を削ぎ、成長を妨げながら、自分は家族男性の文句ばかり言っているというパターンです。周囲の女性や男性指導者などが、指摘しても認めず、場合によっては逆切れする方もおり、周囲は腫れ物にさわるような態度をとらざるをえなくなっている場合も。身に覚えのある方は、一度、なぜ、自分が男性の誠実な努力を評価も承認もできず、無意識に文句をつけたり、否定をしてしまうのか?お考えになることをお勧めします。


         ただ、賢く意識的に努力すれば、私は母親も、男児をたくましく誠実に育てる父性愛は可能だと考えています。また、母子家庭などでは、血縁者や教会の男性などが、一定、男児に必要な父性愛を満たしていくことが大切だと思っています。

         近年見られる男性の晩婚化の原因は、当人たちにアンケートをとるとに「自信がない」というのが第一位なのだとか。日本男性の結婚先送り傾向も、父性愛の欠損が一因ではないかと思われます。承認されてきた経験がないと、自分の本当の課題を認めて、向き合い、克服していこうとする克己の精神や向上心は、育まれません。これは、賢い女性にとっては、結婚相手としては大きな不安材料となります。

         自信のなさと課題に向き合えず逃げるメンタリティーは当然「働きたがらない息子」「社会参加を拒否して夢に生きる男の子」などにつながります。自信のなさは劣等感を生み出し、それを認めたくない男性は、「仮想優越感」に浸り、現実社会にコミットしません。かくして、できるだけ社会参加と結婚を先送りにしようとするわけです。その傾向が強ければ、社会適応できなかったり、女性とのコミュニケーション自体が不能となってしまいます。

         創世記2章には、神との交わり、職業、結婚のスタートが記されており、3章には、神との断絶、職業の呪い、結婚の呪いが記されています。クリスチャン男子が、無意味に職業生活から逃避し、結婚を先送りにしようとするのは、3章から2章への回復を願う神様の御こころに真っ向から反するように思えてなりません。


         自分が傷つくことも他者を傷つけることも恐れ、やさしいさを持つ反面、責任回避傾向が強く、自己保身的で、自分の課題に向き合おうとせず、ヘタレという当世の男子気質。やはり、必要なのは母性愛と父性愛のセットかと思うのです。否定せず、あるがままで受け入れていくと同時に、プレッシャーを与え過ぎない適切な期待や要求をして、努力や達成を承認し育てていくことの両面が望まれるように思います。

         各家庭の中で、そのために何ができるか?とりわけ親の側の意識変革を考えられたらと願います。
        | ヤンキー牧師 | 育児・信仰継承シリーズもの | 21:44 | - | - | - |
        「父になる旅路」から考える母性愛、父性愛(1)神様の統合的愛
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           今日から京都で二泊三日の中学生キャンプで奉仕です。出かける前に記事をアップしておくとしましょう。 

            豊田信行師著「父になる旅路」にぞっこん状態が続いていますが、ようやく関連記事が書けます。同著の中では「母性愛」と「父性愛」に違いと両者の必要性が、大切なこととして記されています。豊田先生は、心理学者フロムの理論に立って、母性愛は「受容の愛」、父性愛は「承認の愛」と表現しています。

           母性愛は、あるがまま受け入れる無条件の愛です。極論すれば、子どもは生きてさえいればいいのです。その存在自体をあるがままで受容します。よく、母親から「男の子はバカなところがかわいい」と聞きます。時には「バカなほどかわいい」とおっしゃる母親も。つくづく母性愛のスケールの大きさを思います。この愛によって、子どもは深い安心や自己肯定感を持つわけです。

           一方の父性愛は、承認の愛です。子どもに期待・要求をし、それを達成したら、それに向けて努力をするなら、評価し承認する愛です。父親もおバカな息子をかわいがります。その意味で、父性愛も無条件の愛でないわけではありません。ただ、父親は、おバカな息子の成長を願い、しつけ、勉強、スポーツ、習い事などがんばるように要求や期待をします。息子はそれに応えて、達成し、父から認めらることを通じて、健全な自信や向上心、そして困難に立ち向かう勇気を獲得して大人になってゆきます。

           かつては、「要求する父と受け止める母」でしたが、今は「要求する母と受け止める父」という両親も少なくないでしょう。父親が母性愛担当で母親が父性愛担当というパターンもありますし、両親それぞれが、母性愛と父性愛をある割合で持っていることも多いでしょう。

           こうした見解に加えて今回、教えられたこと。それは聖書が掲示する神様は母性愛と父性愛の両者が統合された愛の持ち主であるとうことです。私はこれまで、ずとお「父なる神」の愛は父性愛だと考えてきました。ユダヤ文化における父は、子どもを無条件で愛し、あるがままで受け止めるので、日本の伝統的な父のイメージとは異なると聞いたり、そのように考えてきました。これも、ある意味、伝統的な母性愛と父性愛を兼ね備えた方として神様の愛を考えていたのでしょう。


           しかし、「父となる旅路」では、聖書の啓示する神様が、母性愛と父性愛の両者を統合的にもっておられ、その愛で私たちを愛しておられるという趣旨のことが記されています。神様が私たちを無条件で愛し、あるがままで受容してくださるのは、よく聞くところです。

           豊田先生は、神様の父性愛を指摘されます。たとえば、アブラハムなどは、「〜しなさい、そうすれば、あなたを祝福しよう」というある意味条件付きと見える祝福の約束を受けます。つまり、神様はその人物にふさわしい期待をもって適切な要求をし、それに従い、達成するなら、約束の祝福を現実としてくださるのです。これによって神の子とされた者に向上心を与え、成長へと導き、達成した者に正しい自信を与えるわけです。


           異論もあるでしょうが、聖書が啓示する神様は、母性愛と父性愛が統合された愛の方と言えるのではないでしょうか?いいえ、むしろ、これは本末転倒でなのかもしれません。むしろ、神様は子どもが安心、自己肯定と向上心、自信の両者を得るようにと、神の完全な愛を、父と母の二人に分担して託していると考えるのが、聖書的なのかもしれません。つまり、人間の両親の愛が神様の統合的で完全な愛の半分ずつの反映ではないかと思ったりもするわけです。

           「父となる旅路」は父性愛に目を開くだけでなく、神様の愛の全体像をも教えてくれる良書として、お勧めします。
          | ヤンキー牧師 | 育児・信仰継承シリーズもの | 08:36 | - | - | - |
          聖書人物、理想の男性は誰?
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             独身クリスチャン女性との交わりの中で、時々 「聖書に登場する男性の中で、誰が理想のタイプか?」ということが話題になります。あるいは、自分から理想の男性像として、聖書の登場人物を挙げる方もいらっしゃいます。そこで、本日はこの件について、「誰が人気で、誰が不人気か?」と「それはなぜか?」を書いてみます。

             日本中どこでもクリスチャン独身女子から人気が高いのが、ボアズです。やはり、誠実さとリーダーシップを兼ね備えているからでしょう。婚活系クリスチャン男子の読者、ここ、ポイントですぞ。誠実さとリーダーシップを兼ね備えていると希少価値もあっていけるのでは?同様の要素を持つダニエルあたりも、人気が高いです。あとは、バルナバです。この方は「癒し系年上男性」ですね。慰めと励ましを求める女性には最適でしょう。資産家の家系でもあったようだし、それも現実派の女性にはプラス材料になるかも。

             逆にイケメンなのに、理想の男性にあがることはほぼ皆無なのがダビデやソロモン。それもそのはず、女性問題があるし、家庭人としても失格と評価されてしまうからでしょう。

             モーセなどは、リーダーシップがあるから、好まれそうなのですが、そうでもありません。きっと、既婚者のイメージが強いのでしょう。本当は柔和なのですが、どうも、厳しそうで怒りっぽいイメージが定着してしまっているからかも。

             多くの預言者たちは孤高の人のイメージで、結婚対象外のようです。エリヤやエリシャなんかと結婚したら、生活大変そうだし、いつ殺されるかわからないし。バプテスマのヨハネなどは、妻が止めるのも聞かずに、言うべきことは言ってしまい、最後は殉教してしまいます。ヨナなどはヘタレで不従順で幼児性高そうだし、論外ということでしょう。


             そして、びっくりするほど人気がないのが、12使徒たちです。リーダー格のペテロなどは、妻帯者だからなのか?どうも、数々のしくじりがまずかったのか?お調子者的性格が災いしたのか、まったくダメです。

             ヨハネは若くて独身だからいいだろうと思うのですが、これまた意外と不人気。イエス様の母マリヤの介護をしたようですから、二世代同居や嫁姑問題がネックなのか?はたまた、最後は迫害され流刑になるからなのか?


             興味深いのは、パウロです。パウロは、女性からの評価が分かれる人物です。先日の女性合宿参加の一人は、「一つのことに打ち込む男性。でも、その一方で広くものごとを見ることのできる人」と理想の男性を語りました。そこで、私が「一事に励み、広い見識の持ち主なら、パウロがいいでしょう」と尋ねると、やはりパウロが好きだとのこと。不謹慎にも私はこれを「パウロ萌え」と命名してしまいました。

             神様のために文字通り命をかけるパウロの姿に、クリスチャン女子が萌えるのは、理解できます。聖書を読みながら、「パウロのような男性と共に伝道に励みたい」とクリスチャン女子が思うのは、極めて健全だし、宣教的で立派だと思うのです。しかし、パウロには、クリスチャン女子に敬遠されてしまう要素もあるようです。「もらった手紙が長そう」「話が理屈っぽくてうざいかも」「会って話してみると実はショボイ」「ペテロを面前で非難したのはドン引き」「バルナバと決裂するよう人は結婚生活も不安」・・・。結婚生活を想像する女性たちの目には、パウロはハイリスク・ハイリターンと映るのでは?

             
             一方の男性には「聖書人物萌え」というのは、極めて少ないようです。「聖書人物で誰が理想の女性か?」など、男性の交わりで話題にした記憶がありません。「熟女好きのルツ萌え」とか「セレブ好きのエステル萌え」のクリスチャン男子など出会った試しがありません。

             聖書には、信仰的で尊敬できる女性や外見上の美女も多く登場しますが、男性の聖書読者は、まず萌えません。結婚後に醜い女の争いを繰り広げたり、キツイ女に変貌するケースも多いからなのか?これは、男性が想像力(あるいは妄想傾向?)に乏しく、聖書の物語を読んでも、映像化しないからでしょう。むしろ、物語を通じての神様が語ろうとしている真理を思索してしまうからでしょう。

             「パウロ萌え」をしている女性などは、誤解を受けて、「そんな不純な動機で聖書を読むな!」とお叱りを受けてしまうのかもしれません。もちろん、この方を含めて、クリスチャン女性たちが、少女漫画のように理想の男性像を目当てに聖書を読んでいるわけではありません。「聖書の登場人物で理想の男性は?」と問われて「そんなふうに聖書読んだことないから、急には出てこない」という女性も多いのです。

             最初から、聖書の登場人物を恋愛対象として読むなら、それは不謹慎でしょう。でも、女性たちが、映像つきのように想像力をもって聖書を読み、登場人物の心情に寄り添い共感をする中で、特定の男性に尊敬や魅力を感じるのは決して不純ではないでしょう。むしろ、信仰的に恋愛や結婚の対象を考えるのですから、バーチャルな彼氏に萌える二次元萌えや韓流ドラマを見て仮想恋愛を楽しむより、よっぽど健全かつ信仰的かと思うのですが、どうでしょう?


             とりわけ文学や人物描写や物語を読む時、同じ聖書の記述を読んでも男女では大きな違いがあるのだろうと私は考えています。きっと男性は「情報処理」「真理追求」「情緒排除」という傾向が強いのでは?それに対して女性は「映像的」「想像発展的」「情緒を含む全人的」な読み方をしているのでは?と予想するのです。

             その差異の現われは、男女の「聖書人物萌え」の有無の違いにも現れているように思うのですが、どうでしょうか?
            | ヤンキー牧師 | 婚活と伴侶選択のために | 07:16 | - | - | - |
            イースターメッセージ完成で一休み、明日は喜びのイースター礼拝
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               毎年、クリスマスとイースターとペテコステは、とりわけメッセージで苦労しております。何年やっても、大変です。昨夜、ようやく完成して、今日は少しのんびりできます。夕方からは、中学時代の同窓会に初参加。何と40年ぶりにクラスメイト達に再会の予定。

               今年のイースターメッセージの聖書箇所は第二コリント4章の7節から最後の18節まで。「土の器」で始まる個所ですが、そこは直接扱わず、14節以下を中心に取り次ぐことに。

               「それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。」(14節)

               復活が終末と直結しています。この「復活信仰」が土の器の中身である光を放つ福音の一部なのでしょう。この復活信仰の故に、パウロは艱難の中にあっても勇気を失わない歩みを宣言します。その歩みが具体的に16−18節に記されています。今年はこの箇所を取り次ぐことにしました。


               タイトルは「復活信仰が決める地上の生きざま」。うーん、大げさでダサいかなー。取り次ぐのは、「復活の恵み」というより「復活の恵みを受けた者の具体的歩み」。「今、この時から復活の命で生きる」「復活の恵み故に永遠指向で地上を歩む」「勇気りんりん復活信仰の歩み」というような趣旨で、14節が宣言する復活の恵みを根拠に、終末的視点から、地上の歩みを励ます内容です。

               中身は分かりやすさ一発の3ポイントメッセージであります。

              (1)外なる人より内なる人(完成へ向かう内側>死に向かう外側)
                 「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(16節)

              (2)今の艱難より永遠の栄光(永遠のプラス>今のマイナス)
                 「今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。」(17節)

              (3)目に見えるものより見えないもの(今、見えずやがて見るもの>今、見えるもの)
                 「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(18節)

               「アウトラインはそれなりだけど、み言葉の掘り下げがまだ浅いなー、未信者にはピンと来ないかもなー」というのが自己評価。後は、み言葉と共に働かれるご聖霊に信頼して・・・。「聖霊はあんたのおもりじゃない」って言われそうだけど。


               明日は名古屋市守山区、小幡駅近くの教会で礼拝説教。普段教会に行っていないクリスチャンの方、近隣の皆様、よろしければ、共にイースターをお祝いしましょう
              | ヤンキー牧師 | 活動報告・宣教 | 12:16 | - | - | - |
              祝・初戦快勝
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                 初戦快勝であります。関西地方を中心にごめんなさい。オープン戦優勝球団、しかも防御率1点台の投手陣から、打つわ打つわでなぜか5点も取ってしまいました。オープン戦では最低打率、最低得点であったのがウソのよう。

                 エースの好投と主砲の活躍での勝利、心配だった周平も打てば、又吉、福谷もきっちり抑えて安心な試合展開。

                「今シーズンは、先発さえ崩れなければ、上位チームとも互角に戦えそうな気がする」

                 そんな期待を抱かせる初戦でありました。とりあえずは、めでたし、めでたし
                | ヤンキー牧師 | スポーツ | 23:02 | - | - | - |
                今シーズンのドランズはかつての前田敦子、大昔の新田恵利である
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                   いよいよ今日からプロ野球の開幕今シーズンのドラゴンズをどう考え、ファンとして、どのような意識で応援していくかを考察してきました。その結論が本日のタイトル「今シーズンのドランズはかつての前田敦子、大昔の新田恵利である」ということ。

                   かつて、おニャン子クラブが全盛期の頃、私は高校教師でしたが、男子生徒たちは、国生さゆりよりも、新田恵利のファンが多く、これが理解できなかったわけです。個人的に思い入れがないので、客観的に見てしまうわけです。そうすると、典型的美少女顔でプロ意識の高い国生より、クラスや近所に一人はいそうな容姿で、素人気分で自信のなさそうな新田を評価する男子諸君の心情が理解できませんでした。

                   そして、その約20年後、そっくりのことが起こりました。これが秋元康商法なのでしょう。「国生VS新田」パターンの再来です。言うまでもなくそれはAKB48内における「大島優子VS前田敦子」という構図です。これまた思い入れがないので、客観的に見てしまうわけです。やはり、アイドル美少女顔の子役上がりでプロ意識も高い大島ではなく、個人的には名倉潤の娘にしか見えず、自信のなさげな前田が、総選挙でトップになるのが、理解できませんでした。

                   でも、これが秋元康商法だろうと思うわけです。「典型的美少女で完成度の高いアイドル」と「未完成で素人気分の自信のない少女」を対比させ、世の男子たちが、後者が成長していくのを見守り応援しながら、長期にわたって支持させようという手法なわけです。単に優れたアイドルを育てるよりも、アイドル集団による相乗効果の中で、あえて未熟なアイドルを前面に出して、ファンが見守り、応援し、成長していく姿を見る喜びを体験させようということでしょう。単純な男性ファンに「僕が育てたんだ」と錯覚させ、いよいよのめり込ませて金を絞り取るとは!秋元康のこの経営手腕、恐るべしです。


                   そこで、今シーズンのドラゴンズです。ドラゴンズとファンの関係は、まさに、かつての前田敦子とそのファン、大昔の新田理恵とそのファンの関係にそっくりです。かつては、完成度の高い野球をすると言われ、何名もの名球会会員を抱えていたのも昨年までのこと。今期はまるで別球団のようです。それは、新規参入球団かと思える程。ここ10年ほどにない野球の完成度の低さ、計算できる現戦力の乏しさです。しかし、その莫大な潜在的戦力と可能性にコアなファンは気が付いているのです。

                   そうです。今シーズンのドラゴンズファンは新田や前田のファンのように、未熟な球団を応援し、見守るのです。そして、選手たちの成長ぶりを見ながら、「オレが育てたんだ」という妄想にふけりながら、一年を過ごすのであります。遠藤選手が不動のレギュラーとなり若松投手がエースとなるよう見守るのです。歯がゆい思いをしながらも、高橋周平、堂上直倫を諦めず、その成長を期待し続けるのです。そして、敗戦の中にも若手の成長を確認し、小さな喜びを見つけては密に楽しみ、他球団ファンからの心ない言葉に耐えながら、応援し続けるのです。


                   「成長を見守り育てるというファンとしての喜び」。ここ十年忘れていたような喜びを体験することが、今シーズンの正しいドラゴンズファンのあり方なのです。思い入れがなかったので、およそ理解できなかった新田恵利と前田敦子ファンの心理が今シーズンの開幕を前に、思い入れの中で、ようやく理解できるようになりました。

                   順位が上になるに越したことはありません。優勝争いに加わってほしいのは当然こと。しかし、コアなファンは、そうでなくても、成長過程にあるチームを見守り応援し、成長を共に喜ぶという深い喜びに生きるのであります。これが本物のドラファンの生きる道なのです!まずは、今晩の初戦勝利を願いつつ。
                  | ヤンキー牧師 | スポーツ | 11:50 | - | - | - |
                  乙武氏不倫報道〜「障がい者だから」でも「障がい者なのに」でもない平等による公義
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                    今回の乙武氏不倫報道について、二つの力がメディアの内部で働いていると予想されます。それは「タブー」と「迎合」です。まず、この件では、タブーの力学が働きます。日本のメディアのタブーの代表は「菊タブー(天皇や皇室が対象)」と「同和タブー」です。強力な圧力団体や人権団体があるもその一因と思われます。この二つはよく知られていますが、意外と知られていないのが「障がい者タブー」です。

                     障がい者に、犯罪加害や著しい問題行動があった場合も、その報道についてはメディアは極めて慎重です。ある事件を伝えたとしても、加害者が障がい者であることには触れなかったり、その罪を強く非難しなかったりです。これを「障がい者に対しての人権的配慮」と考えるか「ジャーナリズムとして腰が惹けている」と考えるかは、意見の分かれるところでしょう。

                     もう一つは「迎合」です。メディアには「お茶の間の倫理観に合わせる」という暗黙の了解があるそうです。たとえば、ベッキーへの過剰なまでの否定的報道は、平日の昼間のテレビ視聴者である「専業主婦の倫理観」に迎合したからとの見解をネットで読んだことがあります。テレビは特に視聴率が評価基準ですから、視聴者の倫理観に合致した論調にせざるを得ないわけです。それが社会通念上適切な批判に落ち着くこともあれば、大衆のバッシング欲求に迎合してそれを煽ってしまう場合もあるわけです。

                     今朝の朝のテレビワイドショーを注目して見ていると、過剰なタブーはなく、しっかりと報道していて安心しました。タブーによる自粛も自民党からの圧力もなかったようです。それでも、ベッキーや宮崎議員と比較すると、遠慮があるように見受けました。また、「障がいとは無関係で不倫はいけない」というまさに「お茶の間の倫理」に落ち着いていました。

                     そういうわけで、テレビの方は、「タブーと自粛」の相乗効果で、無難な論調となっていたわけです。


                     興味深かったのは、午前中の買い物途中に車中で聴いたラジオ番組「つボイノリオの聞けば聞くほど」です。番組に寄せられたリスナーからの本音が聞けたからです。

                     「障がい者なんだから大目にみてやろう」という障がいに理解があるのかないのか分からないような声。

                     「障がい者なのに、乙武、やるじゃん、いいなー」という軽薄な賞賛の声やうらやましがる声。

                     是非はともかくこうした本音が出るのがこの番組の良さですが、やはり、最後は「お茶の間の倫理観」を落とし所としていました。番組終了前のまとめのようなコーナーではこんなお便りが読まれていました。

                     「障がい者が清廉潔白とは思わないが、不倫はやっぱりよくない」という正論。

                     「僕は、視覚障がい者ですがエロいです。」という障がい者の現実を伝えるカミングアウト

                     「全盲の男性と10年つき合いましたが、浮気をされて別れました。やっぱり、障がい者も男」という経験談。

                     同番組のリスナーには病者や障がい者も多く、普段から、その声は電波に乗せられています。今回は障がい者自身の声もいつくか紹介されていたようです。前回の記事で書いたことですが、障がい者の実際、とりわけ性の現実を知らない私たちに、「エロ面白い」振りをしながら、その基本知識を与えてくれている放送は、さすがはつボイノリオだと感心しました。

                     
                     日本の民法の土台となる結婚観は、キリスト教文明が持つ「相互独占契約」という理念上に成り立っています。ですから、結婚関係は法律で保護されており、それを破壊する不倫は、立派な「不法行為」なのです。そして、法の下の平等により、障がいの有無に関係なく、不倫行為は不法行為。それに変わりはありません。そして、現実問題として、結婚を破壊し、伴侶と子ども、さらに信頼をよせててきた周囲の人々を苦しめます。

                     「障がい者だから」と言って大目にみれないし、「障がい者なのに」ある意味スゴイと褒めるわけにもいきません。ただただ、人の道には反しているから「不倫」なのです。障がいの有無に関係なく、民法上の不法行為だから、社会的非難も受けるのです。

                     「差別をしない」ということは、「平等に扱い判断する」ということです。差別をしたくないからこそ、私は思います。「障害者だから?障害者なのに?そんなの関係ねーだよね?」と。不法行為を働いたのですから、謝罪し償うことです。既に速やかにそれをして、すべてを語り、妻までも責任の一端を認め異例の謝罪し(米米方式?)、夫婦としてやり直すそうですから、世間は温かく見守っていけばいいのかな?と思い始めています。

                     でも、一つだけ心配していることがあります。乙武氏の迅速な全面的告白と謝罪も妻からの謝罪もすべて、早期事態収拾を願う自民党幹部の指示によるもので、結局、参院選に出馬して、世間がまんまと騙されたと後で知るという可能性です。乙武夫妻の謝罪や対応は危機管理の専門家からは、80点以上の高得点で「素人としてはできすぎ」らしいです。特に妻の側の謝罪文は、世間対象のものであって、本音かどうかは怪しいという声は多いです。自民党主導の危機対応?ただただ、そうでないことを願うばかり。


                     「差別をしない」ということは「平等に扱い判断する」ということ。障がいの有無にかかわらず、平等なのは権利というプラス面だけではないはず。犯罪行為や不法行為に対して問われる責任や受けるべき社会的制裁などのマイナス面においても平等であってこそ、聖書が明示する「人を偏り見ない」歩みであり、神が熱望される「公義」と言えるのでは?
                    | ヤンキー牧師 | キリスト者として考える社会事象 | 14:47 | - | - | - |
                    乙武氏不倫報道を受けて〜「障碍者への美談押し付け」という差別
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                       ショーンKの次は乙武氏であります。今回は、文春に負けじと新潮のスクープです。参院選に出馬するようですが、このタイミングでの報道は狙ったものでしょう。この記事によれば、新潮の取材に応じて、当人が結婚期間に5名もの女性との不倫があったことを証言しているようです。

                      「乙武洋匡」氏が不倫を認める 過去を含め5人の女性と
                      http://news.yahoo.co.jp/pickup/6195447

                       築き上げられてきた信用とイメージを著しく裏切る事実の発覚です。少なくとも多くの女性にとっては、ショーンKより、乙武氏の方が、赦しがたいことでしょう。いいえ、きっと真面目な男性にとってもそうでしょう。弱者と正義の味方のような存在で優れた言動が賞賛されてきた方だけに、これは国民的ショックでしょう。ネット上には乙武氏、あるいは彼の母親はクリスチャンとの不正確な情報(信憑性は低そうです)があるようですから、クリスチャン読者にとってもショックだったかもしれませんね。

                       多くの健常者は、乙武氏の身体では不倫行為もままならないと思うでしょうから、ショックであるだけでなく、受け止めがたい心情や複雑な思いもあるのでは?自民党のいわゆる「身体検査」も障碍の故に、女性問題はノーチェックだったのかも。

                       今後は参院選の出馬の是非が問われでしょうし、出馬をしても、彼への女性票は激減することでしょう。自民党も出馬をさせない方が益と判断しかねません。ただ、潔く認めたようなので、真摯な謝罪があれば、出馬可能となるのかもしれません。


                       今回は乙武さんのことは論じません。今回考えたいことは、障害者への美談の押し付けということです。以前、レーナ・マリアが離婚した時、多くのクリスチャンたちは躓いたり、失望を覚えたようです。もっともレーナさんの母国では、クリスチャンでも事実婚をして別れるのは標準的という話も聞きますが、本当でしょうか?

                       田原昭肥・米子ご夫妻も、婚前に二人の間に性的罪があったことを告白し、悔い改めをされています。その後、悔い改めの実を結び、とりわけ弱い立場にある方々に救いの証しをされました。あるキリスト教の説教例話集には、真実な悔い改めが豊かな宣教の実を結んだ実話として、このことが掲載されています。


                       どうも、私たちは障碍者に美談を期待しすぎかと思います。特にメディアが障碍者を取り上げる際は、まるで健常者たちに励ましと希望を与えるための存在であるかのようです。「健常者のために貢献するのが、障害者の存在意義」と言わんばかりで、常々、腹立たしく思っています。24時間テレビなどはその典型でしょう。メディアはなかなか、頑張りやさんでも、天使のような笑顔でもない現実の障害者を報道しません。

                       特に、障碍者の性はタブー扱いです。(近年では、障碍者教育では逆にかなりリアルに扱われています。)性的機能が正常なら、障碍者も健常者も性的欲求や葛藤に違いはありません。しかし、健常者の多くは、障碍者がまるで去勢された天使のように過ごし、障碍に負けないでがんばり、健常者に励ましと希望を与えることを願っているかのようです。


                       今回の乙武氏の不倫報道を受けて思ったのです。私たちは無意識のうちに、とりわけメディアの操作を受けて「障碍者への美談押し付け」という差別をしているのではないかと。乙武氏についても、私たちは、過剰に美化し聖人君子であることを勝手に押し付け、清く正しく美しい障碍者を演じるよう強制してきた面もあるのではないかと思ったのです。そして、レーナ・マリアさんや田原米子さんにも美談に徹する期待をしてきただけに、過去の失敗を必要以上にタブー視しているという面もなきにしもあらずかと思うわけです。

                       乙武氏については、障碍の故に同情されることも、不倫という不法行為の責任が差し引かれることもなく、適切なレベルで社会的非難を受けるべきでしょう。ある意味での逆差別がされるべきではないと考えるのです。個人的にも、正直、乙武氏には失望を覚えています。

                       しかし、その一方で、自戒を込めて、思うのです。私たちは、障碍者に美談を押し付けすぎであることを。そのことを今回の件で自覚したいと願うのです。なぜなら、それも、弱者の等身大の生き方を見ようともせず、強者への貢献を強制するという「差別の一形態」のように、私には、思えてならないからです。何よりも、等身大の障碍者に日常的に触れていないことが、「障碍者の人生=美談でなくては」という「美しい誤解」ならぬ「美しく差別的な偏見」を生み出していることを、改めて確認したいと願います。


                       弱者の等身大の生き方を見ようともせず、強者への貢献を強制するという「差別の一形態」

                       障害者に美談を勝手に思いえがく「美しく差別的な偏見」


                       うがったものの見方でしょうが、そんなことを考えてみてはどうでしょう? 
                      | ヤンキー牧師 | キリスト者として考える社会事象 | 20:40 | - | - | - |
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