2008.03.05 Wednesday
若者宣教のための成熟(3)
三回目は、交わりの成熟度について。「教会の交わりが異質な者を受け入れられるまでに成熟しているか?」「自分の快適さより他者への愛を優先する交わりか?」それが、若者宣教におけるある意味厳しいチャレンジ。
冗談交じりに申し上げました。「教会の外から一般の若者が来たら教会生活、快適でなくなりますよー。ピアスした男が来ますよー。お尻が見えるようなジーンズ履いた女の子が来ますよー、皆さん、受け入れられますかー?」
そこでチャレンジ「皆さんはご自分の快適さを優先されますか?それとも教会生活が快適でなくなってでも、若者が救われることを願いますか?」
さらに一つの事例をお話。「1970年初頭、イエス革命と呼ばれるリバイバル現象がありました。莫大な数のヒッピー達がこぞって教会に真理を求め、救われてゆきました。その発火点となったのは、アメリカにあるコスタメサのカルバリーチャペルでした。礼拝者数90名程度の教会の牧師であったチャック・スミスのもとに真理を求めて、多くのヒッピー達が押し寄せるようになりました。
当然、以前からの信徒にとっては、不愉快なことばかりです。ヒッピー達は、聖餐式のカップを入れる椅子の穴に脚の指をいれたりします。忍耐できなくなった信徒達は、チャック・スミスにピッピーたちを教会から出すようにお願いします。しかし、チャック・スミスは、きっぱりといいました。『彼らを出せと言うなら、私も教会を出る』と。信徒はしぶしぶ忍耐し続けたのでしょう。しかし、そこからイエス革命は起こったのです。私が15年ほど前にコスタメサのカルバリーチャペルを訪問した時、前年の受洗者数は何と2万人でした。一教会でですよ。」
そして、アピール。「チャック・スミスが偉大なのは当然でしょう。しかし、それに劣らず偉大なのは、この時、チャックスミスを追い出さずに、不快な思いをしながらも、ヒッピー達の救いを願い忍耐してくれたベテラン信徒たちだと思います。彼らの愛の忍耐なくして、全世界に広がったあのイエス革命はなかったでしょう。お互いはどういう性質の交わりを教会の中で作っているのか?自らの快適さが優先なのか?他者の救いが大切なのか?交わりの成熟度が問われるのではないでしょうか?」
それはベテランだけでなく、教会に集う若者自身にも問われることのはず。「若者宣教のための成熟」、それはお互いの交わりの成熟度なのでは?その人の救いを願って異質な魂を受け入れられるかどうかなのでは?
冗談交じりに申し上げました。「教会の外から一般の若者が来たら教会生活、快適でなくなりますよー。ピアスした男が来ますよー。お尻が見えるようなジーンズ履いた女の子が来ますよー、皆さん、受け入れられますかー?」
そこでチャレンジ「皆さんはご自分の快適さを優先されますか?それとも教会生活が快適でなくなってでも、若者が救われることを願いますか?」
さらに一つの事例をお話。「1970年初頭、イエス革命と呼ばれるリバイバル現象がありました。莫大な数のヒッピー達がこぞって教会に真理を求め、救われてゆきました。その発火点となったのは、アメリカにあるコスタメサのカルバリーチャペルでした。礼拝者数90名程度の教会の牧師であったチャック・スミスのもとに真理を求めて、多くのヒッピー達が押し寄せるようになりました。
当然、以前からの信徒にとっては、不愉快なことばかりです。ヒッピー達は、聖餐式のカップを入れる椅子の穴に脚の指をいれたりします。忍耐できなくなった信徒達は、チャック・スミスにピッピーたちを教会から出すようにお願いします。しかし、チャック・スミスは、きっぱりといいました。『彼らを出せと言うなら、私も教会を出る』と。信徒はしぶしぶ忍耐し続けたのでしょう。しかし、そこからイエス革命は起こったのです。私が15年ほど前にコスタメサのカルバリーチャペルを訪問した時、前年の受洗者数は何と2万人でした。一教会でですよ。」
そして、アピール。「チャック・スミスが偉大なのは当然でしょう。しかし、それに劣らず偉大なのは、この時、チャックスミスを追い出さずに、不快な思いをしながらも、ヒッピー達の救いを願い忍耐してくれたベテラン信徒たちだと思います。彼らの愛の忍耐なくして、全世界に広がったあのイエス革命はなかったでしょう。お互いはどういう性質の交わりを教会の中で作っているのか?自らの快適さが優先なのか?他者の救いが大切なのか?交わりの成熟度が問われるのではないでしょうか?」
それはベテランだけでなく、教会に集う若者自身にも問われることのはず。「若者宣教のための成熟」、それはお互いの交わりの成熟度なのでは?その人の救いを願って異質な魂を受け入れられるかどうかなのでは?