命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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「父になる旅路」から考える母性愛、父性愛(4)いまどきクリスチャン男子の「父性拒否体質」
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     日本全国、どこにいっても耳にするのが、青年男子クリスチャンたちに見られるある課題です。とりわけ、首都圏で奉仕をすると、牧師夫妻や婚活系クリスチャン女子たちから、いまどきクリスチャン男子たちについて、同じような愚痴や悩みを山ほどお聞きし、それについての相談を受けます。内容は似たようなものです。以下に箇条書きにしてみましょう。

      
     健全な自信がなく、現実に対応できない、社会参加できない、異性とコミュニケーションがとれない。
     それ故に強い劣等感を秘めているが、それを隠すために自分を大きく見せようとするか、内にこもってしまうかのどちらか。
     
     責任ある結婚生活を送る自信がなく、結婚を意味なく先送りにしている。
     成人していても、二次元萌えにはまっており、生身の女性との恋愛を恐れて、願うことがない。
     
     地道な社会参加ができないだけなのに、それを合理化するために、仮想優越感をもって、自称「夢」とやらを追いかける。
     弱いくせに、プライドだけ高いので、やっかいな存在になってしまっている。

     いい歳した大人なのに、キリストの愛に応えようとせず、ひたすら愛されたがりなのを女子から「キモイ」と嫌悪されている。
     すべての評価基準は自分が愛されていると実感できたかどうかで、未熟過ぎる。

     信仰生活において、底なしに愛されることを求める。
     「もっと愛されたい」と発言し、「どんだけ愛されたら、満足して愛に応答するの?」と呆れさせている。

     親から心理的な自立ができておらず、依存的で、自己防衛的で、自分の責任を認めない。
     自分の課題については、親と教会の責任にするだけで、自分からは何の決断も努力もしない

     口にする親と教会に対しての批判は、一定正しくても、実は、批判ではなく自己防衛のための言い訳に過ぎない。
     他者批判による自己防衛を無意識にかつ常習的にしている。当人にその自覚がないので、やっかいである。

     全力を尽くして自分の課題と向き合うことから逃げる。皮肉にも、そのためには、努力と犠牲は惜しまない
     課題を指摘すると「さばいている」と逆切れして、愛をもって指摘した者を責めて、黙らせようとする。

     課題に向き合わせようとすると弱さを盾に拒否する。
     それでも、当人の成長を願い愛をもって向き合わせようとすれば「教会来ない」「教会変わる」と言い出す。

     この最終兵器によって、周囲の愛の忠告をやめさせ、自分本位の信仰生活を継続させている。
     周囲は及び腰になってしまい、本気で向き合うことをやめてしまっている。


     こうした父性愛拒否体質と思われるクリスチャン男子たちに、接しながら、将来の教会の不安を覚えたり、大きな徒労感に打ちひしがれている読者も少なくないでしょう。いわば聖なる父性愛を拒否されて、途方にくれてしまっているという声を、実によくお聞きします。「どうしたら、いいですか?」とよく尋ねられますが、20年近くかけて父性愛の欠損で形成された人格が、短期間で変化することは、当人が変化を願わない限りは困難です。

     私自身も多少の徒労感や悲しみを覚えながらも、昨日の記事を書いた上で思ったのです。「これらは当人の課題で当人の責任だろう。でも、私たちに責任はないのか?」と。「世の父性欠損の波から彼らを守ってやれなかったクリスチャンホームや教会は、神様の前に、責任を問われずに済むのだろうか?」と。私自身はまず、この責任を認め悔い改めることから、始めるべきと判断しました。

     こうした残念な現実を認めた上で、まず悔い改めから始め、その実を結ぶこと願うべきでしょう。その悔い改めの結実の歩みとして、時間をかけ、忍耐をもって、父性愛を含む福音を語り続け、父性愛的な愛を注ぎ続けていくことからしか、何も始まらないでしょう。やはり、何と言っても、男性クリスチャンを成長させ、自立させ、責任ある働き人、力ある証し人に育てるのは父性愛ですから。


     「〜しなさい。そうすれば・・・」という父性愛的命令を受け止め、達成努力をする中で、クリスチャンは成長します。一定の達成をして自信をつけるし、試行錯誤しながら前進する中で、成長していきます。父なる神からの承認を経験すれば、それが節目となり、さらなる向上心が与えられ、成長し続けます。

     「従いなさい。そうすれば・・・」は、自分の願い通りではない、願いにまさる最善の道を歩ませます。

     「献げなさい。そうすれば・・・」は、失った以上のものが与えられる経験へと従う者を導きます。

     「委ねなさい。そうすれば・・・」は、委ねた結果に対する不安以上に、委ねた者しか味わえない深い平安を与えます。

     そうです。父性愛による命令が、み言葉のリアリティーを体験させ、生きて働く神を体験させ、健全な自信と成長意欲を与えるのです。男性たちはこれによって、たくましく、自立した、責任ある大人のクリスチャンに成長するのです。父性愛による命令がなければ、観念的、心情的、教条的な信仰に終始し、場合によっては、「言うだけ番長」「教会評論家」などを生み出しかねません。

     
     まずは、親や教会への批判にたじろがないことです。「親がこうだから、自分はこうなった」「教会が〜してくれないから、自分はこうなんだ!」その批判は事実性と因果関係において、正しいのかもしれません。事実として認め、悔い改め、詫びることもよいでしょう。でも、詫びたからと言って、相手の言いなりになってはなりません。むしろ、本当に悔い改めるなら、その実を結ぶためにこそ、たじろいではならないはずです。

     その批判は、自己責任放棄の口実だからです。今の自分を正当化する自己防御の手段に過ぎないからです。こちらの非を認め、詫びるとしても、その次には、「君の側でできる決断や努力はなんだろう?そのために助け支えたいから。」がなくてはならないと思うのです。「批判にたじろぎ期待要求をしない」のは、相手の思う壺です。何の変化もなく「あるがまま、今のまま、ずっとそのままクリスチャン」で終わっていくでしょう。しかし、「批判は受け止めつつも、愛をもって期待要求をする」なら、その謙遜と愛の姿勢の向こうに、希望の光は見えてくるのでは?と思うのです。


     もう一つは巧みな対人操作に支配されないことです。自分の弱さを知らせて、相手が父性愛的な期待や要求をしてこないようにコンロールしてきます。「そんなこと求めらても弱くてできない」と泣きごとを言ったり、「弱さをわかってくれない」と責めたりです。まるで、弱い者いじめをしているような感覚を相手に与えて、愛の言動を抑制してしまうのです。これが「弱さによるコントロール」です。

     また、クリスチャンが「裁いている」「傷ついた」と言われると、弱いのを知っていて、それを利用します。「裁いている」「傷ついた」と言えば、自分が精神的に優位に立ちます。悔い改めるべきは、愛をもって忠告した相手へと移り変わります。かくして見事に自分は悔い改める立場を免れるわけです。これは「裁いてる詐欺」あるいは「傷つた逆襲」と呼ぶとしましょう。

     最終兵器は、「もう教会来ない」「教会変わる」です。自分の愛の忠告によって、相手が教会に来なくなったら、教会を変わったら、その愛の人はどんなに苦しむでしょう。真面目な方は自分を責め続けるでしょう。その愛の人は、教会の方々から責められる可能性すらあるわけです。だからこのフレーズは最終兵器なのです。ここまで言われても、自分が悪者にされ嫌われててでも、教会の人々から批判されてでも、相手を真の課題に向き合わせ、成長させようと願う愛の人はそうはいないでしょう。

     この最終兵器の有効確率は90%を超えているようです。「教会を去ったら、改善の可能性がないから」と自分を納得させて、熱い愛の忠告をとりやめてしまいます。愛の人は「忍耐をもって待つのが愛」と自分に言い聞かせて、「忍耐」や「待つ」という言葉を「無期限放置」に置き換えてしまいます。果たして、この判断は、正しいのでしょうか?


     とにかく、批判にたじろがないことです。毅然として愛をもって真実を語りましょう。そして、「弱さによるコントロール」「裁いている詐欺」「もう教会来ない」という最終兵器、以上三つの巧みな対人操作に、やられないことです。まんまとやられてしまっているケースがあまりに多いように観察しています。

     この対人操作は「愛は不正を喜ばず、真理を喜びます」を「愛は不正を放置し、真理に歩ませません」に変換してしまいます。こうした偽物の愛が教会で「」とされる時、教会がどうなるかは予想がつくでしょう。いいえ、既にそうなっているのかもしれません。


     「父となる旅路」を読みながら、現代の日本の教会にありがちな愛の不健全さ愛の歪みは「父性欠損・母性愛一辺倒」にあるように思うに至りました。そして、そのような不健全さと歪みをもたらすのは、父性愛欠損で育ったいまどきクリスチャン独自の「父性愛拒否体質」にあるように考え始めています。

     明日は最終回として、この「父性愛拒否体質」の体質改善のために二つの大きな指針を提示してみたいと願います。
    | ヤンキー牧師 | 育児・信仰継承シリーズもの | 09:05 | - | - | - |
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