命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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乙武氏不倫報道を受けて〜「障碍者への美談押し付け」という差別
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     ショーンKの次は乙武氏であります。今回は、文春に負けじと新潮のスクープです。参院選に出馬するようですが、このタイミングでの報道は狙ったものでしょう。この記事によれば、新潮の取材に応じて、当人が結婚期間に5名もの女性との不倫があったことを証言しているようです。

    「乙武洋匡」氏が不倫を認める 過去を含め5人の女性と
    http://news.yahoo.co.jp/pickup/6195447

     築き上げられてきた信用とイメージを著しく裏切る事実の発覚です。少なくとも多くの女性にとっては、ショーンKより、乙武氏の方が、赦しがたいことでしょう。いいえ、きっと真面目な男性にとってもそうでしょう。弱者と正義の味方のような存在で優れた言動が賞賛されてきた方だけに、これは国民的ショックでしょう。ネット上には乙武氏、あるいは彼の母親はクリスチャンとの不正確な情報(信憑性は低そうです)があるようですから、クリスチャン読者にとってもショックだったかもしれませんね。

     多くの健常者は、乙武氏の身体では不倫行為もままならないと思うでしょうから、ショックであるだけでなく、受け止めがたい心情や複雑な思いもあるのでは?自民党のいわゆる「身体検査」も障碍の故に、女性問題はノーチェックだったのかも。

     今後は参院選の出馬の是非が問われでしょうし、出馬をしても、彼への女性票は激減することでしょう。自民党も出馬をさせない方が益と判断しかねません。ただ、潔く認めたようなので、真摯な謝罪があれば、出馬可能となるのかもしれません。


     今回は乙武さんのことは論じません。今回考えたいことは、障害者への美談の押し付けということです。以前、レーナ・マリアが離婚した時、多くのクリスチャンたちは躓いたり、失望を覚えたようです。もっともレーナさんの母国では、クリスチャンでも事実婚をして別れるのは標準的という話も聞きますが、本当でしょうか?

     田原昭肥・米子ご夫妻も、婚前に二人の間に性的罪があったことを告白し、悔い改めをされています。その後、悔い改めの実を結び、とりわけ弱い立場にある方々に救いの証しをされました。あるキリスト教の説教例話集には、真実な悔い改めが豊かな宣教の実を結んだ実話として、このことが掲載されています。


     どうも、私たちは障碍者に美談を期待しすぎかと思います。特にメディアが障碍者を取り上げる際は、まるで健常者たちに励ましと希望を与えるための存在であるかのようです。「健常者のために貢献するのが、障害者の存在意義」と言わんばかりで、常々、腹立たしく思っています。24時間テレビなどはその典型でしょう。メディアはなかなか、頑張りやさんでも、天使のような笑顔でもない現実の障害者を報道しません。

     特に、障碍者の性はタブー扱いです。(近年では、障碍者教育では逆にかなりリアルに扱われています。)性的機能が正常なら、障碍者も健常者も性的欲求や葛藤に違いはありません。しかし、健常者の多くは、障碍者がまるで去勢された天使のように過ごし、障碍に負けないでがんばり、健常者に励ましと希望を与えることを願っているかのようです。


     今回の乙武氏の不倫報道を受けて思ったのです。私たちは無意識のうちに、とりわけメディアの操作を受けて「障碍者への美談押し付け」という差別をしているのではないかと。乙武氏についても、私たちは、過剰に美化し聖人君子であることを勝手に押し付け、清く正しく美しい障碍者を演じるよう強制してきた面もあるのではないかと思ったのです。そして、レーナ・マリアさんや田原米子さんにも美談に徹する期待をしてきただけに、過去の失敗を必要以上にタブー視しているという面もなきにしもあらずかと思うわけです。

     乙武氏については、障碍の故に同情されることも、不倫という不法行為の責任が差し引かれることもなく、適切なレベルで社会的非難を受けるべきでしょう。ある意味での逆差別がされるべきではないと考えるのです。個人的にも、正直、乙武氏には失望を覚えています。

     しかし、その一方で、自戒を込めて、思うのです。私たちは、障碍者に美談を押し付けすぎであることを。そのことを今回の件で自覚したいと願うのです。なぜなら、それも、弱者の等身大の生き方を見ようともせず、強者への貢献を強制するという「差別の一形態」のように、私には、思えてならないからです。何よりも、等身大の障碍者に日常的に触れていないことが、「障碍者の人生=美談でなくては」という「美しい誤解」ならぬ「美しく差別的な偏見」を生み出していることを、改めて確認したいと願います。


     弱者の等身大の生き方を見ようともせず、強者への貢献を強制するという「差別の一形態」

     障害者に美談を勝手に思いえがく「美しく差別的な偏見」


     うがったものの見方でしょうが、そんなことを考えてみてはどうでしょう? 
    | ヤンキー牧師 | キリスト者として考える社会事象 | 20:40 | - | - | - |
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