命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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心の一新、必ずしも、バンジージャンプならず
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     レッド・ツェッペリンの名曲「天国への階段」は、「輝くもの必ずしも金ならず」ではなく「輝くものすべては金なり」と確信する女性が天国への階段を購入するという内容の歌詞です。実は、日曜夜の女性合宿で、よく似た現象に触れました。

     「心の一新必ずしもバンジージャンプならず」ではなく、「心の一新すべてはバンジージャンプなり」と確信する女性たちが、天国への階段を歩んでいるという光景に遭遇したのです。ツェッペリン風に言えば"There's a lady who is sure all the renewing of one's mind is bungee-jump and she is going up the stairway to heaven.”となるでしょうか。

     でも、これはよくあることだと思います。メッセ―ジ後の分かち合いは5人ずつ二組に別れて行ったのですが、一つの組では「心の一新必ずしもバンジージャンプならず」が最大の話題となっておりました。それは、ローマ12章2節についての理解が違っていたということです。

    「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ12:2)

     健康チェックの一つとして、「体はささげ、心は一新しているか?」のチェックを実施しました。その中で、「心の一新」の「心」とは「心情」でなくむしろ「思索、考え方」を示す言葉。自分の考え方が聖書と異なっていたら、改めて新しい考え方で歩むことが「心の一新」。また、「自分を変えなさい」は一度の行為ではなく、継続・反復を命じているから、日々のデボーションや礼拝や主にある交わりなどの中で、自分の考えを聖書的に改め続けていく積み重ねによって、神様が自分を変え続けてくださるその歩みが健康なのでは?とお話ししました。

     では、「心の一新すべてはバンジージャンプなり」と確信する女性たちは、どう考えていたのでしょう?彼女らは、「心の一新」の一新とは「心情」あるいは「自己意志」「全人格」のように考えていたようです。また、「自分を変えなさい」も、一度あるいは人生の転機での数回程度のことだと理解していました。

     「人生の主導権を神様に明け渡す」、「自分の将来を神様に委ねる」、「神様側の生殺与奪の権利を認める」「自分のために生きるのをやめて神のために生きる決断をする」、「生涯にわたり握っていた偶像や罪を捨てて神様に従う決断をする」などを「心の一新」だと理解していたのです。つまり、人生に数回あるかないかの「大どんでん返し」「清水の舞台からの飛び降り」「バンジージャンプ」だと理解していたわけです。

     もちろん、これらは「心の一新」です。しかも、最も神様が願っておられる「心の一新」でしょう。でも、それは「数少ない偉大な心の一新」であって、ローマ12:2がそれだけを語っているとは私は思いません。むしろ、「日々の小さない心の一新」「日常的な心の一新の積み重ね」を願っているように読めるのです。その中には「人生に数回程度の転機的な心の一新」も含まれているだろうと私自身は理解しています。

     ですから、私は分かち合いの中、「心の一新って聞くと、清水の舞台から飛び降りるような一世一代の大決断の実行のように思えるけど、毎日、椅子から飛び降りる程度だと思うよ」と返答しました。聖書を読んだり、メッセージを聴き分かち合いをする中で、自分の考えが、聖書と違っていたら、それを改めて新しい考え方にバージョンアップする積み重ね(もちろん、み言葉の実行を含む)で、私たちは知的な部分だけでなく全人格的にも変えられてゆき、神様のみこころや事の是非を判別して、身につけられるようになるのだと思うわけです。


     「心の一新によって自分を変えなさい」は英語では”Be transformed by the renewing of your mind”と訳されています。「心」は”heart”でなく”mind”、一新は”changing”でなく”renewing”なのです。「心の一新によって」と読むと私たちの多くは、”by the changing of your heart”と受け止めやすいのではないでしょうか?「理性中心の考え方の刷新」ではなく「心情的、全人的な深い部分の転換」と理解しやすいのでは?「心の一新」の「一新」は原語のニュアンスを忠実に訳しているのでしょうが、どうしても「一発逆転」「劇的決断」との印象を与えてしまう面もなきにしもあらず。

     そこで、今回「心の一新によって自分を変えなさい」をサブカル風にポップに訳してみます。「心の一新」は今風に訳すなら「マインドのリニューアル」となるでしょう。ですから、「心の一新によって自分を変えなさい」はこうなります。

     「毎日がマインドのリニューアルオープン!それで、君は変わり続けろ!」(スーパーの新規開店訳

     「日々、マインドのリニューアルしまくりーので、神様にトランスフォームされまくりーの」(イタリア系チャラ男訳

     「ユー、マインドのリニューアルしちゃいなよー神様にトランスフォームされちゃいなよー」(ジャニーさん訳

     なんか、パウロの厳粛で真摯な懇願がめちゃめちゃ軽薄で下品になっちゃって申し訳ありません。でも、このみ言葉についてのありがちな誤解?を払拭して、日常生活における聖化の歩みを励ますための伝わる表現を試みてみました。呆れて苦笑しながらも、助けになれば幸いです。


    「心の一新」とは必ずしも、「一発逆転」「劇的決断」「大どんでん返し」「清水の舞台からの飛び降り」「バンジージャンプ」とは限りません。むしろ、その多くは「日常的なマインドのリニューアル」だと受け止めるべきでしょう。マインドのリニューアルと、新たなマインドで歩む試行錯誤、すなわち、心の一新と現実の歩みの繰り返し、その積み上げを大切にしたいと願うのです。その向こうこそ、神様のみこころが見えてくるからです。その歩みの過程の中でこそ、お互いは、神様の視点から見た事の是非をわきまえられるクリスチャンに成長していくのですから。

     
     その昔、レッド・ツェッペリンは歌いました。"There's a lady who is sure all that glitter is gold and she is buying a stairway to heaven.”と。
     
     この日曜日、女性合宿の中、私は見ました。"There's a lady who is sure all the renewing of one's mind is bungee-jump and she is going up the stairway to heaven.”という現実を。

     女性合宿後に私は知りました。"There's a lady who is sure all the renewing of one's mind is not bungee-jump and she is going up the stairway to heaven.”という神の業の実りを。
    | ヤンキー牧師 | 信仰エッセイ | 10:47 | - | - | - |
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