命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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クリスチャンドック・四つの健康チェック
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     金曜から昨日までの奉仕のためにお祈りいただいた方には、感謝・感謝です。いずれの奉仕も大変祝福され、大きな実を結んでいることを実感しております。

     昨日の夜は、女性10名ほどの有志による「女性合宿」での奉仕。大半は某学生団体OGで、成熟したクリスチャン女性が多い集会でした。とは言え、様々な葛藤や悩みを抱えての参加者が多いのもまた事実。夕食の交わりの後、1時間のメッセージと1時間の分かち合い、さらにフリートーク、交わり、相談などで、6時から11時まで楽しくも充実しまくりの5時間でした。それでも、個々のニーズに十分は対応しきれていないことを覚えながら、帰宅しました。

     依頼されたテーマは「クリスチャンドック」。「クリスチャンドック」と言っても、クリスチャンを焼いてパンにはさんで、ケチャップとマスタードをかけるのではありません。いわば「人間ドック」のクリスチャン版です。忙しい日常を離れて、立ち止まり、クリスチャンとしての総合的な健康チェックをしようという意図です。

     昨夜は四つのみ言葉を伴う四つのチェック項目で健康チェックを実施。健康の範囲内であることを確認した女性クリスチャンもいれば、病気を発見した方もいたようです。もしかしたら、悪性腫瘍が見つかったり、緊急入院の必要を覚えた参加者もいるかも。「自己実現傾向」と「あるがまま愛されたがりすぎ傾向」が強いいまどきの青年クリスチャン向けに作成したものですが、老若男女関係なくいまどきクリスチャンには、有効な健康チェックだと思うので、昨日のメッセージの概要を以下に掲載します。

     読者の信仰の健康上の参考になれば感謝なことです。また、教会の諸集会や研修会などで、この健康チェックをするための訪問医療?もさせていただきます。お気軽にご依頼を。


    クリスチャンドック〜みんなで四つの健康チェック
     
    1.視力検査:ヴィジョンは、健全か?
    「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである。」(箴言29:18)

     ここでの「幻」とは「律法」とほぼ同義で、神からの「啓示一般」のこと。聖書が明示する普遍的啓示が、個人のヴィジョンの前提。普遍的なみこころに歩む中で、本物の個人的ヴィジョンは与えられるのでは?普遍的なみこころである神の栄光を目的せず、神と人に仕ようとしないビジョン(自己栄光目的、他者支配的ヴィジョン)は神様からのものではない不健全なもの。まずは、置かれた場所で忠実に仕えること。聖書の登場人物同様、多くの場合、それで行き詰まった時に、次のステージや生涯の召しなどに、正しいヴィジョンの実現へと導かれていくもの。

     
    2.聴力検査:神様の声に聴き従っているか?
     するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。 (汽汽爍隠機В横押
     
     「礼拝、聖書、お祈り、奉仕、献金」の5点セットの実行よりも「み言葉に聞き従うこと」が、クリスチャンの健康基準。結局、自分は誰の言葉に聴き従って歩んでいるかを考えてみよう。榎本保郎先生の表現で言えば「み言葉聴く」(自分が主体)のではなく「み言葉聴く」(神様、み言葉が主人)のが、健康なクリスチャン。福音の本質は「自分の願いを神様がきくこと」でなく「神様の願いを自分がきくこと」、自己実現でなく神実現に生きるのが健康。
     

    3.公衆衛生確認:ゴミは捨てているか?
     「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、」(ピリピ3:13)

     前進に必要なのは、「うしろのものを忘れること」、「うしろのもの」とは3:4−8節が示す民族的優越性、宗教的エリート性や過去の実績などキリストと出会う前に「得」と思えたこと。パウロはキリストを知る素晴らしさの故に、それをゴミと認識して、捨てて前進。「握っているゴミを捨てよう」とは言わない。「キリストを深く知ろう」と言いたい。深く知るほど、得と思って握っているのがゴミだと分かって、捨てたくなるから。そして、より前進できる健康なクリスチャンになれるから。


    4.心身の総合チェック:体をささげ、心を一新しているか?
     「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ12:1、2)

     ここに記されているのは、深遠かつ壮大な救いの恵みへの応答としてのパウロによる「体と心」についてのお願い。その内容は、体をささげ、心を一新すること。贖われた者の身体は、キリストがオーナー、聖霊と自分が住人で、自分は管理人。オーナーの意向にそって、聖霊の住まいにふさわしい身体の管理を。お互いは、何に対して体を献げるのか?神か罪か?将来の夫か、それ以外の男性か?使命・召しか、それとも自己実現か?それが、健康と不健康を分ける。「霊的な礼拝」「理に適った仕える歩み」にふさわしい体の用い方を。

     一方の心は一新すべきもの。ここでの「こころ」とは「心情」よりも「思索・考え方」。神様のみこころや事の是非を知るのに必要なのは、消極命令としての「世と調子を合わせぬこと」と積極命令としての「心の一新による自己変革」の二つ。周囲に流され神なき価値観で歩まぬよう抵抗、工夫、戦いを続け、自分の考え方が聖書と異なるなら、それを悔い改め、一新し続けるその歩みこそが、まさに健康


     「聖い、生きた供え物としてささげなさい」も「心の一新によって自分を変えなさい」も一度限りの行為の命令ではなく、継続的行為、反復行為としての命令。日々、体をささげ続け、機会あるごとに心を一新していく健全な歩みを。


    アピール
     WHOの「健康」の定義によれば、「病気や障碍のないこと=健康」ではない。不健康要素を悲しみ落ち込むのでなく、それが見つかったことを感謝し、向き合おう。主がみ言葉によって、探って下さる中で、見つかった健康上の課題を認め、向き合い、神様に扱っていただき、より健康に歩んでいこう。
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