命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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誰がイエス・キリストを殺したのか?(1)
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     今週は少し忙しいので、本来は「父となる旅路」の関連で多くの記事をアップしたいのですが、それは来週に延期して、以前の記事を再アップします。 今週は受難週なので、真面目にそれらしい連載で、金曜日まで四回に分けてアップします。実際にいくつかの教会で受難週の礼拝で取り次いだものですが、反応は様々。ある教会では、何人もの方が涙を流して聞いておられました。また、どう受け止めたらよいかわからず葛藤している方、自分とは無関係のように聞いている方、聴きたくないと言わんばかりの拒否的表情で心を閉ざして座っておられた方、いろいろでした。

     元ビートルズのジョン・レノンが殺された後、「誰がジョン・レノンを殺したか?」という書物が出版され話題となりました。殺した人物が誰かは、分かりきったことですが、その書物によれば、彼を使ってジョン・レノンを殺させたのは、CIAであるとのこと。つまり、CIA陰謀暗殺説というわけです。

     ケネディー大統領やキング牧師を殺したのも実はCIAであり、自由と平和を訴え、アメリカ社会を動かすような人物は、CIAに暗殺されるのだという内容なのだそうです。結局は、あまり信憑性のない所謂「トンデモ本」として評価されているのがこの書物。
     
     そこで、今回のシリーズは、誰がジョン・レノンを殺したのか?」ならぬ「誰がイエス・キリストを殺したのか?」を聖書から考えて見たいのです。もちろん、直接、死刑を執行したのは、ローマ兵です。イエス様を十字架につけ、手首に釘を打ち込んだのは、ローマ兵に違いありません。しかし、言うまでもなく、本当の意味で殺したのは、ローマ兵だけではありません。イエス・キリストを十字架刑に追い詰めた主要人物死刑決定に深く関わった人物、それらをマタイ27:11−26に見てゆこうというのがこのシリーズ。
     

      今日は一つ目です。「誰がイエス・キリストを殺したのか?」その一つ目は、エリート達の妬み。彼らの妬みの罪こそがキリストを十字架に追い詰めていったかのようです。イエス様を十字架につけようと計画したのは、祭司長、民の長老たち。これは当時の宗教と政治のリーダー達、具体的にはサンヘドリンと呼ばれる最高議会のメンバー
     
     宗教的リーダーたちの偽善性や形式主義をあからさまに指摘し、神様を父と呼び、自らを神の子と発言するイエス様に、彼らは怒りや憎しみを抱き、次第に殺意へとエスカレート。しかし、18節によれば、ピラトは、祭司長や長老たちの強引な態度やイエス様の言動などから既に気がついていたのです。彼らがイエス様を自分に引き渡した動機が、妬みであったことを。祭司長、長老達は、ユダヤをローマから解放するニューリーダーとして民衆の人気と支持を得ていたイエス様を妬んでいたのです。
     
     おめでたい私は、若い頃は、社会のリーダーやどんな分野でもトップレベルの人たちは、人格的にも立派で人を妬んだりはしないと思っていました。そうした人々は、ライバルの存在を大きな心で受け止めて切磋琢磨するものと信じていました。
     
     しかし、年齢を重ねれば、人間の罪深さが分かっていくものです。政治的リーダー達の壮絶な権力闘争、テレビドラマが「白い虚塔」などが描くエリート医師たちの妬み、芸能人やスポーツ選手たちの足の引っ張り合いなど。人格者と言われる方さえ、時には、成熟したクリスチャンや教会の教職者さえ、醜い妬みに支配されかねないことを思います。

     聖書が描く信仰者家族の姿もそのことを示しています。カインがアベル殺したのは、妬みからです。人類最初の殺人罪は、信仰者家庭の中で妬みの罪から起きました。
     
     アブラハム、イサク、ヤコブの家庭は三代続けて妬みによる家庭問題を経験しています。イシュマエルは正妻の子、約束の子であるイサクを妬みの故にいじめました。そのためにアブラハムの一家から、ハガルとイシュマエルは離脱。イサク家では、父からの愛情を受け、長子の権利を持つエサウに対してリベカとヤコブが妬んだようです。「元祖オレオレ詐欺」で、長子の権利を強奪。そのためにヤコブは家庭を離脱。さらに、三代目であるヤコブから溺愛されたヨセフは、兄たちから妬まれて、殺されかけ、家族から切り離されます。
     
     アブラハム・イサク・ヤコブは三代に渡って、妬みから家族が離れ離れになっているのです。しかも、妬みが生み出した行為は、いじめ→欺き→殺人未遂と悪化していったわけです。しかし、今日の聖書箇所に私たちが見るのは、妬みがもたらした人類最悪の結果です。それは「殺人」ならぬ「殺神」でした。人となられた神であるキリストはまさに、宗教的政治的エリートからの妬みによって、殺されていったのです。
     
     妬みは誰の心にも起こる小さな思いかもしれません。しかし、その小さな罪の思いをどこかの時点で、悔改めて捨てなければ、妬みの罪は人どころか神さえも殺しかねないのです。そして、カインもイシュマエルもエサウもヨセフの兄たちも祭司長、長老たちが、まがりなりにも真の神を信じる信仰者であったことを忘れてはなりません。
     
     そのことを思いますときに、クリスチャンとなった自分は、妬みの罪とは関係ないと言えるでしょうか?妬みから、イエスキリストを十字架送りにした祭司長や長老達と自分は違うと言えるでしょうか?マタイ27章18節は言います。「ピラトは彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていたのである」。
     
     「誰がイエス・キリストを殺したのか?」その一つ目は、エリート達の妬みであります。お互いは、祭司長や長老達と何が違うのでしょうか?彼らの立場なら、同じことをしなかったと言い切れるでしょうか?それを心に留めて、誰がイエスキリストを殺したか?を考えたいと願うのです。
    | ヤンキー牧師 | 信仰エッセイ | 16:53 | - | - | - |
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