命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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今度は、育休議員の不倫?〜週刊文春は現代日本版「コロシアム」である!
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     週刊文春がまたまたスキャンダル記事。男性議員の育休取得宣言で注目された自民党の宮崎謙介衆院議員が、妻の入院中に元グラビアアイドルを自宅に招き入れて不倫をしていたという疑惑であります。以前も、大物議員の娘と結婚も、女性関係で離婚しているという報道もあり、政治家としての信頼を損ないかねない今回の記事。甘利氏に続いて、今度は宮崎氏が失脚の危機に。この記事の紹介がこちら。

    週刊文春WEB〜育休国会議員の“ゲス不倫”お相手は女性タレント
    http://shukan.bunshun.jp/articles/-/5859


     清原、ASKA,SMAP,ベッキー、甘利氏に続いての宮崎氏・・・。文春のスクープが止まりません。「なぜ、文春ばかりスキャンダル記事が多いのか?」その理由は、「本当のゲスの極みは文春の記者」と言われるほどのトラップまがいのえげつない取材にあるだけではありません。そもそも、文春は、スキャンダル記事を外部権力によって、つぶされにくいのです。

     他の多くの週刊誌は、同じ出版社に、女性誌や芸能誌やスポーツ誌などを持ちます。ですから、スキャンダル記事を売り物にする週刊誌が、ある芸能人や著名人の不祥事を暴いた記事を掲載すると、報復があるのです。たとえば、同じ、出版社の別の雑誌企画でのインタビューがドタキャンされるのです。ある事務所のタレントやある種目のスポーツ界が取材に協力しなくなります。

     ですから、多くの週刊誌はスキャンダル記事が潰されたり、書けなかったりするのです。芸能人で文春以外で叩かれるのは、大抵、大手事務所に所属しないタレントたちです。その点、文春は、同会社に、女性誌や芸能誌やスポーツ誌などがないので、外部の圧力に強く、記事にできるのだそうです。

     また、誰かを告発したい人物や有名人に復讐を目論む人々、スキャンダルネタを売りたい輩は、「文春さんなら、潰されずに記事にしてくれる」と考えます。そこで、いよいよ文春には、スキャンダルネタが集中しているのだろうと想像します。


     清原、ASKA,SMAP,ベッキー、甘利氏、さらに宮崎氏・・・。もう、楽しすぎます。某国のミサイルも、マイナス金利も、TPPも、安保関連も、次の選挙も忘れてしまうくらいです。今や文春のスキャンダル記事は、国民的課題をも忘れさせるほど刺激的な国民的娯楽を提供しています。

     しかも、文春が賢いのは「自分を正義の味方」のようには位置づけないことです。自分ではなく、読者という一般大衆を「正義の味方」に位置づけていると思うのです。読者の側にあるのは、決して正義感だけではないはずです。むしろ、大衆にあるのは、下世話な興味関心であり、バッシングによるストレス解消欲求でしょう。

     文春は、それを利用しながら、「一般市民の良識が正義です。大衆の倫理感が正義です。皆さんの願う正義に貢献するため、情報提供しています」とばかりに、腰の低い姿勢で書いているように感じます。つまり、一般大衆に下世話さやバッシング欲求という自らのやましさを感じさせることなく、正義の味方としての自己効力感を与えているのだと思うのです。文春は大衆に正義の味方気分を味わせておいて、いい気分になった大衆を自分の味方につけているのだと思います。


     ベッキーの休業やSMAPの謝罪会見などは、文春がリードして大衆の声を作り、その声が一定、芸能界において反映され現実化されるわけです。この自己効力感は大きな快感です。困ったことは、その自己効力感の快感が、民主政治で味わうものより、わかりやすく大きいことです。実際に、世論は政治を動かしますし、選挙を通じて大衆の声は一定、政局に反映されているはずです。そうではなく、国民の声を無視した政治がなされているとしたら、より一層、スキャンダルの快感から、政局に目を移すべきでしょう。

     清原、ASKA,SMAP,ベッキー、甘利氏、宮崎氏のスキャンダルや疑惑は、薬物、結婚尊厳、労働契約、政治倫理の問題でもあり、その本質は決して軽いものではないでしょう。下世話なスキャンダルではなく、真面目に考えるべき課題を含んでいるでと私は考えます。でも、それらが、某国のミサイル、TPP、マイナス金利、安保関連、次期選挙に優先する重要課題とは言えないでしょう。

     ところが、なぜか、「芸能・スポーツ・政治スキャンダル>政治問題・国民的課題」が実感なのです。これは、意識の低い国民が悪いのか?政治不信を招いてきた政治家が悪いのか?それとも視聴率狙いで正しい優先順位で放送しないマスコミが悪いのか?

     
     そこで思いついたのが、今回のタイトルです。今や、日本国家において文春が果たしている機能は、古代ローマ帝国における「コロシアム」に相当するのではないでしょうか?ローマ帝国の皇帝たちは、国民に熱狂的な娯楽を与えることが、国家統治に必須と考えていました。いわば、統治方法としての「飴と鞭」の「飴」です。

     コロシアムが提供する娯楽で最高人気であったのは、剣闘士の戦いでした。その多くは、奴隷や罪人でした。彼らは、どちらかが死に至るまで、戦わされ、勝者は生き残り可能となります。そして、勝ち続けると自由人になれたそうです。まさに、「人命軽視、人権侵害系スポーツ・エンターテイメント」です。

     大衆は男女とも、ひいきの剣闘士を応援し、熱狂したようです。強い剣闘士は、現代の人気アスリート、イケメン剣闘士は、現代のアイドルのようだったと想像されます。映画やテレビゲームではなく、現実の殺し合いですから、どんなに刺激的で大衆を熱狂させたことでしょう。

     こうなれば、大衆の関心は、国政より、コロシアムでのイベントに移ります。国政への不満やストレスも、コロシアムで観戦すれば、一定、解消されます。かくして、ローマ皇帝は、国民の不満を軽減できて、地位安泰となるわけです。文春のスキャンダル報道も、現代日本において、同様の機能を果たしているのでは?もっとも、与党議員のスキャンダルを暴露するのですから、為政者に益しているとは言い切れませんが、国民の関心を政治からそらし、不満とストレスを解消する機能は、果たしていると言えるのでは?


     さらに興味深いことがあります。剣闘士が戦いの中、負傷をして、戦闘不能となった場合、敗者の生死を決めるのは、事実上、観衆でした。決定権は主催者にあるのですが、観衆の意見に逆らうのは困難だったようです。親指を立てて手を握り、親指を上に向ければ「生」で、下に向ければ「死」の支持を意味しました。きっと、コロシアムの観衆の意志が、競技に実現することを通じて、大衆は自己効力感を得て、国政への不満と日々の生活のストレスを解消していたものと想像するのです。この点においても、上に記した通り、文春は現代日本において「コロシアム的機能」を果たしているのではないでしょうか?

     
     このブログでは何度も紹介していることですが、学問史上、はじめて大衆を研究対象としたオルテガという哲学者は、大衆を「自分ではものを考えず、皆と同じこと感じることによって、安心を感じる人間類型」と解説し、、大衆を「宙ぶらりんの虚構の中で、とりとめもなく関心を浮遊させ、ふざけあいながら生活している」と分析しているそうです。

     オルテガの解説と分析を思うと、文春はまさに「大衆の本質的ニーズ」を満たしながら、「大衆らしい歩み」へとリードしているように思うのです。「大衆の半歩前を歩んで、健全な世論形成に寄与」などとは思ってもいないであろう、文春のこの編集方針でいえば、雑誌が売れに売れて、儲かるのは当然です。


     ただ、知っておかなくてはならないでしょう。オルテガの大衆研究が、絶大な評価を受けたのは、彼の警告どおり、大衆の支持によって、ドイツでナチズムが、イタリアでファシズムが台頭したことによるのだということを。それによってオルテガの正しさが歴史的に実証されたのです。現代日本社会に生きる私たちは、文春が連発するスキャンダルに熱中しすぎるあまり、この歴史的教訓を忘れてはならないでしょう。私たちを虜にする現代版コロシアムが、より重大な課題を見失わせる危険を伴っていることだけは自覚したいものです。
    | ヤンキー牧師 | キリスト者として考える社会事象 | 14:08 | - | - | - |
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