命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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親ラブ族の侵略〜キリスト教会への浸食
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     前回は親からの性的自立の大切さを記しました。親からの性的自立の遅延は、それ自体が問題なのですが、さらに大きな問題を生み出します。諸説ありますが、私は性的自立は他の自立の前提、土台となると考えています。尾木直樹先生もそうした見解のようなので安心しました。だとしたら、性的自立の遅延は、親からの心理的自立、経済的自立、社会自立などに障害をもたらしかねないわけです。、

     言うまでもな、中学生以降も親と入浴するような共依存的な親子関係は、子どもの心理的親離れをも遅らせます。「親ラブ族」に該当するレベルまでは至っていなくても、キリスト教会には同様の問題が既に起こっています。たとえば、大学を卒業して22歳になり、社会参加する時点でも、親からの心理的自立ができていません。自分で決めて、自分で実行して、自分で責任を取ることができません。

     うまくいかなければ、人のせいにして責任は親がとってくれるかのような甘い考えを温存したまま、大人となり、社会参加しています。当然、就職しても、職業生活はうまくいかず、職場の信頼関係を築くことができません。にもかかわらず、それを自分の自立不足が問題だとは考えず、自分にも問題にも向き合わせず、会社や社会のせいにします。

     最初から、社会参加失敗が予想できる場合は、社会参加自体を回避します。たとえば、学問を究めるつもりもなく、社会参加回避を主たる動機として大学院に進学します。(これを「入院」というそうです。ある意味、現代病でしょう)。あるいは、フリーターなどをしながら、自分探しをします。私はそれが一概に悪いとは、思いません。現代のような自分を見失いやすく、親からの自立が遅れがちな時代にあっては、一旦、立ち止まり、自分を見つめて、さらに親との関係を振り返り、自分なりの生き方を選択するためには、社会参加以前の猶予期間も必要だと考えています。

     ただ、そうした猶予期間は、「社会参加に踏み出すための一時休憩所」であって「社会参加シェルター」や「避難所」ではないのです。どうも、近年は「社会的責任の猶予期間」が「社会的責任の無期限放棄」に変質してきたように感じています。「嫌だけどいつかは、社会参加をしなくてならない」という前提自体が、失われているように思うのです。同時に、それでは現実に生きていけない、安定した生活ができないというリアルな感覚さえ、失われている、時には親が失わせているように感じます。

     そこで、当人たちは、「無期限で社会的責任を放棄すること」が「社会的に容認される」を名目を必要とします。つまり、「社会参加逃避を合理化する名目」を作り上げます。その体表が「夢」です。等身大の自分を受け入れて、地に脚のついた歩みをせず「夢」を語り、それをいつまでも追いかけます。「夢」という名目で社会参加しない自分を合理化します。それによって、社会参加できない自分を見なくて済みます。さらには、本来向き合うべき「自立不足」「不健全な親子関係」と課題に向き合わずに済むのです。

     
     クリスチャンである親が「子どもは親のものではなく、神のもの」「子どもは父母を離れる存在」「神様のみこころは親を離れての社会参加」との聖書的価値観に、価値転換していないと同様のことが、今後はいよいよクリスチャンホームや教会内で頻発することでしょう。クリスチャンであっても、実際の家庭生活を未信者の価値観で歩むなら、「親ラブ族キリスト派」や「教会内親ラブ族」が教会とクリスチャンホームで台頭します。というか、中高生や20代が多い教会からお聞きする限りは、既に日本全国の教会で台頭し、勢力を強めているようです。

     クリスチャン青年が「夢」を名目に社会参加回避を始めるとより回復が困難となります。なぜなら、クリスチャンの場合、その逃避の名目に過ぎない「夢」を「信仰」と結び付けてしまうからです。「これは神様からの夢」→「夢の実現がみこころ」→「だから社会参加しない」という論理を展開します。「神様から」「みこころ」と断言すれば、周囲のクリスチャンを黙らせることができてしまいます。

     かくして「社会参加できない自分」を「みこころに歩んでいる自分」に「信仰を名目に現実逃避している自分」を「信仰ゆえに頑張っている自分」に、「本当の問題に向き合おうとしない自分」を「本当の使命に向き合って生きる自分」に見せることに成功します。もっとも、成功していると思っているは、当人だけで、賢明な周囲の大人たちは、その「偽装」に気が付いているものです。気が付いていても、偽装を指摘しても認めないで逆切れすることが予想されるので、騙された振りをしながら、いつか本当の問題に向き合ってくれることを祈り願っているものです。

     それが証拠にクリスチャン女性たちは、ちゃんとその「夢」を判別しています。神様からの夢を追求する男性には、それを共有する女性が、登場し、結婚することもあります。しかし、「怪しげな夢」の持ち主には、賢明なクリスチャン女性は寄り付きません。親離れが著しく不足している男性は、社会参加もせず、結婚もしないのですが、それさえも「夢の追求」という「聖なる目的」によって、正当化するのですから、まさに教会内では無敵です。この自己防衛の解除は至難の業となります。


     このように「夢」を「信仰」と結び付けてまで、社会参加回避を合理化して、本当の自分を見ないようにして、自己防衛をして、自分を欺くのです。まさに「あるがままの自分」を自ら受け入れていませんし、人に対しても神に対しても、「あるがままの自分」で受け入れてもらおうとしていません。つまり、自分も人も、神をも欺いているのです。にもかかわらず、愛をもって問題を指摘したり、本当の問題に向き合わせようとすると「あるがままで愛し、受け止めてない」「愛がない」と逆切れしたりすることも。「あるがままの愛」に自分が生きずに、人に強要しているという痛すぎる構図です。

     「まず、お前があるがままの自分を受け入れろよ!」ということでしょうが、それを言えば、決裂となり、教会から姿を消しかねないので、大変です。「これ以上、介入するとサヨナラだよ」、「本当の問題に触れたら、いなくなるからね」という無言の脅しやプレッシャー受けてしまいます。そのようにして、対人操作をされたり、都合よく利用されたりしながら、こちらは大変なストレスを抱え、愛の労を注ぐのですが、当人は、あいかわらず「偽りの夢」という「偶像礼拝」を続け、神様のみこころである親からの自立と社会参加にチャレンジをしようとはしません。

     これは「自らと人と神を欺き、本当の問題に向き合わず、神様のみこころと異なる人生を歩んでいる自分を承認しろ」と要求していることに他なりません。言い換えれば、「教会は、自己中心と罪の歩みの免許証を配布しろ」と言っているようなものでしょう。でも、今日、不健全な親子関係の犠牲者となったクリスチャン青年たちに、真摯に向き合う指導者や先輩、信仰の友たちは、まさに、この問題に直面し、葛藤や無力感を覚えておられることでしょう。


     しかし、悲観材料ばかりではありません。希望は大いにあります。クリスチャンの親が子どもを自立に向けて育てようとせず、社会参加すべき年齢に達してしまったクリスチャン青年たちが、本当の意味での信仰に立って、自立不足を認め、親との関係を見つめ直し、苦しみと葛藤を経ながらも、神様が導いておられる進路や社会参加に向かっていった例を多く見聞きしてきました。やがては、結婚をして、子どもを与えらえ、正常な子育てと結婚生活をしている事例など、いくらでもあります。当人が、正直な自分と問題を認めて、向き合えば、そして、神様と周囲の助けを得るなら、回復は決して困難ではありません。

     多くの回復事例を見るなら、そこには、大抵、温かい理解をもって、学生や青年を受け入れながら、聖書の指針を示し、忍耐をもって成長を見守り、励まして教え導く、指導者や先輩たちや仲間たちがいます。なかなか、自分一人では、健全な自立と社会参加は難しいと思います。

     だからこそ、教会やクリスチャンたちの交わりに生きることは必須だと考えます。最も有効な対策は、まず先輩だたちが自分の課題や悩みを出し合える正直な交わりを作り、青年層が、本当の自分を出しても大丈夫な状況を与えることでしょう。教会の交わりの質、正直さが問われると思うのです。

     「いかに決裂を避けながらも、対人操作をされず、少しでも正直な自分と本当の問題に向き合わせていくか?」このあたりが、牧会や周囲の支援の大きな方向性だろうと考えています。実行は決して簡単ではありませんが、この方向性でチャレンジしていく中での困難は、たとえ願った結果を生み出さなくても、神様が喜ばれる「みこころにかなった困難な歩み」だと私は確信しています。むしろ、「決裂するか、操作を受けて放置した方が、楽だ」という誘惑に負けないことが、大切かと思うのです。


     「親ラブ族キリスト派」や「教会内親ラブ族」が台頭し、勢力を拡大し教会を苦しめたり、その自立不足故に教会を離れてしまったりと、既に、「親子共依存」の問題は、教会内でも起こっているのでしょう。ほとんど場合、教会には、親の側も集っています。しかし、多くの親たちは、子どもの問題を嘆いたり、自分を責めたりするのですが、自分の側の本当の問題に気が付き、認め、悔い改め、親子関係を再構築しようとはしません。それどこから、子どもと同じように自己防衛をし、対人操作をするケースも珍しくありません。

     この点などは、牧師や問題が見えている周囲とっては、もっとも辛いことでしょう。親ラブ族を生み出す親たちについては、親自身の夫婦関係や成育歴、親子関係に大きな問題のあるケースが多いように観察します。次回は、「親ラブ族」を生み出す「親子共依存」の病理について、親の側の問題について記してみます。
    | ヤンキー牧師 | 育児・信仰継承・家庭・養子 | 13:17 | - | - | - |
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