命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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男と女、心と体(1)〜夫が求め妻が応えるだけ性
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     先日、北野誠さんがパーソナリティー務めるラジオ番組を聴いていると、一人の新婚妻からの「忘れられない恨み」の投書が。それは夫婦の性生活から生じた恨みつらみでした。不正確ながら再現するとこういうお話。


     新婚の妻が自分から夫を誘ってみると、夫は「お前、ゲスいな」と言って拒否。そして、「女は、男から求められてするもの」と説教されたとのこと。

     夫の言い分に従って、自分を抑えて、待ちに待っているとようやく、夫が求めてきました。ところがタイミング悪く、妻が「生理だからごめんね」と断ると、夫は「チッ」と舌打ちをして「役立たずが!」と吐き捨てるように言ったとのこと。その妻は、夫に隠れて数日間を泣き明かし、この恨みは忘れないと誓ったとのこと。


     この夫、最低です。求めてくる妻を「ゲスい」と軽蔑し、自分の要求が叶わないと舌打ちをして人格否定発言です。性関係を「男が求めて、女が応じるもの」との勝手な考えを確信している男性主義的独りよがり。きっと、この男性にとって、夫婦の性生活は心と体を一つにする人格的な愛の交わりではなく、「男性の性的欲求を女性が満たすシステム」に過ぎなかったのでしょう。このカップル、ひどい男性だと思うと同時に、新婚当初から対等なパートナーシップがないことに心配を覚えます。


     このような夫婦の性のあり方は聖書の教えに真っ向から反するものです。コリント人への手紙第一の7章4節によれば妻の体は夫のもので、夫の体は妻のもの。つまり、夫婦は肉体の相互所有関係。言い換えるなら、自分の肉体の権利を相手に譲渡しているのが結婚関係。

     ですから、「女性が男性に体を与える、それを男性がむさぼり性的欲求を満たす」という構図は、聖書的には、正常な性行為ではありません。それは、あえて言うなら「女性の肉体を用いたマスターベーション」に過ぎません。残念ながら、そのような低レベルの性で生涯を終えていく男性は日本には少なくありません。私はそれを「お子ちゃまセックス」と呼びたいです。

     そこには深まりもなく、すぐ飽きます。次の女性を求めます。その結果、妻とはセックスレス、外では不倫となるのは当然のなりゆきでしょう。この夫は「愛は惜しみなく奪う」と考えているようですが、「愛は惜しみなく与える」が正解です。「夫が妻に体を与える」「夫が妻に喜びを与える」という側面がなければ、性関係は交わりではなく、一方通行。会話で言えば、一方的にしゃべりまくって、相手が話しかけようとすると無視するようなもの。女性にとってはたいへんな人格否定ですし、男性にとっても性が与える本来の喜びなどありません。


     また、同じくコリント人への手紙第一の7章3節には、夫も妻も相手に対して性的義務を果たすようにとはっきり命じています。ここでは、夫が求めて妻が義務を果たすだけでなく、妻が求めて夫が義務を果たす面も等しく命じれらているわけです。求めてくる妻を「ゲスい」と評しながら、自分の求めが拒否されれば舌打ちをして人格否定的言動などは、いかにひどいかが分かります。

     パウロがリアルに記している夫婦の性は、男尊女卑の時代と社会を超越した男女平等性と対等な両面通行性を持っていることがお分かりいただけるかと思うのです。こうしたリアルで生々しい事がらのなかにこそ、世の人々とは異なるクリスチャン夫婦ならではのあり方が現されるように思うのです。


     「そんなリアルなこと聖書に書いてあったの?」とか思われた方は、是非、第一コリント7章の1−7節をお読みください。この記事が性における未熟さや非聖書性に光を当てることを願っています。
     
    | ヤンキー牧師 | 夫婦相互の課題と成長 | 20:46 | - | - | - |
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