命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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過去の下着泥棒は現在の職業適性を問う根拠となりうるか?
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     最近は、第3次安倍改造内閣で入閣を果たした高木復興相が「パンツ大臣」「下着泥合」などの汚名を着せられております。どうも事実無根ではなさそうなだけに、どうしたものか?と思案しております。それは「過去の下着泥棒は現在の大臣職の資質を問う根拠となりうるか?」という下世話なのか高尚なのかわからないようなテーマであります。

     そもそも下着泥棒とはどういうことなのでしょう?私が愛用している書物に精神科医の森省二先生著「逸脱するエロス」があります。これは性非行や性的逸脱の深層にメスを入れて、健やかな愛と性を導く内容です。多くの事例の一つに典型的な下着泥棒の事例が出てきます。要約するとこんな事例です。

     A君は14歳の大人しく目立たぬ少年。ある時期から女性の下着に性的執着を覚えて、最初は母や姉の下着を持ち出していた。とこごが、母に見つかり厳しく注意をされる。いったんは治まったようい見えたが、今後は夜中に近所の物干しや洗濯場から女性の下着を盗むようになり、やがて、警察に補導されます。

     森先生は思春期に数回程度で、家庭内で治まれば、発達段階における過渡的なもので、正常の範囲だと判断します。しかし、家族以外に迷惑をかけながら、それが繰り返されて、成人以降も続くなら、異常のレベルとして位置づけます。

     彼の両親は自営業で、無口で真面目、仕事一筋の父。父と共に働くは母について、彼は母のスカート姿を見たことがないとのこと。彼に口うるさく威圧的に接する母親。大学生の姉は、活発で恋愛にも積極的。彼はあらゆる面で、姉に劣等感を持っていたとのこと。また、彼は心身両面で性的成熟が遅かったようです。中二で、射精能力もなく、ようやく異性愛に目覚めた頃だった。
     
     森先生の解説によれば、仕事一辺倒で心通いあわぬ父女性性を欠き威圧的な母の下で、A君は男性として健全な性を育むことができなかったわけです。男性としての性同一性を十分獲得できず、また、性的成熟も遅れていました。そのために姉に対して劣等感を持ってしまったということ。その結果、同年代の女子に年齢相応の方法で接近することもできず、その代償として異性の性的付属物である下着を性的対象としたという解説です。


     一昨日まで、復興相の件については、報道の詳細を知りませんでした。きっと地元の大物政治家の父と政治家の妻である母という特殊な両親のもとで育ち、A君同様の不幸な親子関係や成育歴をたどり、その結果、中高生の時に下着泥棒を何度か繰り返してしまったのだろうと勝手に思っていました。

     ですから、私は、「少年時代のことなんだから、世間も、マスコミも、もう少し寛容であってもいいのでは?当人は、正直に認めて謝って大臣を続ければいいのでは?」と思っていました。つまり、少年時代の下着泥棒は発達段階における一過性のものであるから、現在の大臣としての資質を問う要素とはならないだろうと考えていたのです。

     ところが昨日、考えが逆転しました。先週末に風邪をひいてしまい、一向に回復しないので昨日の午前は、医者へ。待合室にある「週刊新潮」を読むと、まさにこの事件を独占スクープのように連載しておりました。その記事によれば、復興相が下着泥棒をしたのは、約30年前とのこと。ということは、少年時代ではなく、29歳の時のこととなります。犯行の内容も、ベランダに干してあった下着を盗んだのではなく、意中の女性を狙い、家にまで入りタンスの中の下着を盗んだというのですから、かなり悪質です。当時市長であった父親が火消しに走り、示談で済ませたため、事件化せずに済んだとのこと。


     記事の内容もかなり信ぴょう性が高いように感じました。これを読んで、私の判断は逆転しました。事件時に、19歳であれば、発達期の過渡的な段階でありますから、寛容に見てあげればよいでしょう。しかし、29歳であれば、立派な性犯罪であり、寛容に見ることはできない事件です。たとえ、復興相の親子関係を含む不幸な成育歴があったとしても、29歳なら、当人の責任というのは社会的通念でしょう。だとしたら、現時点での大臣としての適性を問う声は必然です。

     話を分かりやすくするために極論するなら、こうなります。

     下着泥棒が、19歳の時の行為なら、これは「下着泥棒の少年が大臣になった」という美談とも言えるでしょう。

     しかし、それが29歳の時の行為なら、これは「性犯罪者が大臣になってしまった」という怪談でしょう。


     もちろん、一連の報道が事実であったとしても、29歳の時の犯行を心から悔いて、人格の成熟に向かい、性的にも問題のない政治家になっていれば、それはそれでOKでしょう。しかし、週刊新潮は、復興相が遊びに行く地元飲食店の女性たちからのそれと正反対の証言を掲載しています。女性に対する執着心が極めて強いことを証言とともに記事は訴えています。


     不幸な親子関係など成育歴に起因する多くの性的逸脱は思春期に表面化します。不幸にも、それが犯罪行為という形で現れたとしても、その後、人格的成熟や心身の性的成熟に向かい、成人以降に逸脱状態を卒業し、犯罪行為に至ることがなければ、健やかで幸せな愛と性の世界を歩むことができるでしょう。そして、それはその人物に対する社会的信頼にもつながります。

     週刊新潮など一連の報道が事実であるとすれば、この事件は、政治的問題であるとともに、少年の性非行、性的逸脱、さらに家庭病理の問題ではないかと思っています。ある分野の学者にとっては、格好の研究事例にさえなるのではないでしょうか?


     同じ下着泥棒でも、19歳と29歳では大違い。思春期と成人後では大違い。犯行が意味することも、社会からの評価も、現在の立場を問う材料となるかどうかも、大違い。今回の件については、私なりの見解としてそのことを記しておきます。
    | ヤンキー牧師 | ポルノ・アダルトサイト・性暴力 | 16:47 | - | - | - |
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