命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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「生まれ変わったら道になりたい」は未発達性欲の文学表現
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     昨日のこと、神戸で道路脇の側溝に隠れて、通行中の女性のスカート内をのぞこうとした28歳会社員の男が逮捕されたとか。報道によれば、人気のない朝の3時に側溝に潜り込み5時間わたって狭いスペースの中できつい姿勢を保っていたようです。

     この男性、二年前にも同様の容疑で逮捕されており、その際、警察にこう供述したそうです。

    「生まれ変わったら道になりたい」

     
    その記事がこちら。

    下着見たくて真夏の側溝で5時間のぞき見 28歳男「生まれ変わったら道になりたい」
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151109-00000211-sph-soci


     女性は嫌悪感を持つ方や呆れる方が多いでしょうが、きっと男性の多くは不謹慎にも笑いたくなることでしょう。女性は「まったくわからんわー」「きもい」と感じるでしょうが、男性は「気持ちはわからんでもないけど、そこまでするか?」と笑えてしまうでしょう。被害者女性の立場を考えれば、笑ってはいけないのですが、笑えてしまうのです。

     最近は反安保法案でも注目されているフェミニストの上野千鶴子先生にはその昔「女性のスカートは発情装置である」との主張をされた名著があります。私はフェミニズムには賛同しませんが、この見解は当たっていると考えています。西洋の男性社会が、女性にスカートをはかせてきた理由の一つは、女性を性的対象として、自らの性欲への刺激を得るためだろうと思うのです。男性の願う女性性やエロスを女性に押し付けてきた面はあるのでしょう。特に女性のスカートがひざ丈やそれより短くなってきた現代は、その要素はさらに高くなっているだろうと考えています。

     スカートの女性を見ると世の男性がすべて即時、発情しているわけではありません。ただ、スカートには、脚が見え、下着が見える可能性があり、それが男性の性的関心を引き付けるのは事実です。ご存知のように社会的地位も教養もある立派な男性たちがスカート内の盗撮でたびたび逮捕されます。それは一般的に男性が、スカートの中の世界に対して女性には理解不可能なまでの性的執着心を持っていることの証明と言えるでしょう。


     つまり、女性のスカートはある意味において、男性にとっての発情装置であり、スカートの中を見たいと男性が願うことは、女性にとっては不快でしょうが、通常の性的欲求なのです。では、この容疑者が通常の性欲の持ち主かと言えば、そうではありません。ここまでの執着心があることは異常と言えるでしょう。つまり、質において異常なのではなく、程度において異常なのです。

     近所のおばさまたちの証言によれば、この容疑者は穏やかで礼儀正しい青年だそうです。ただ、彼の幼少期を知る人からは、小学生の時からよく側溝に入っており叱られることがあったとの証言があります。どうも、推測するに彼は、小学生の時にいたずらで側溝に入ったら、偶然、女性のスカートの中を見てしまったのかもしれません。あるいは、そのために、意図的に側溝に潜り込んだかのいずれかでしょう。

     射精能力もない児童期の性欲を、そのことによって満たし続けてきたと思われます。彼にとってそれは生きる中で最高の快感となってしまったのでしょう。類似の経験があったとしても、通常は、思春期以降に射精能力を備えれば、もっとリアルに女性を求めるようになり、恋愛や性の世界に入っていくものです。

     ところが彼はこの刺激が忘れられず、卒業できなくなったと思われます。たとえ彼に恋愛経験や性体験があったとしても、児童期の性的刺激を繰り返し体験せざるを得なかったと私は予想します。だから、ありがちな盗撮やのぞき行為ではなく、側溝に身をおいたのでしょう。まさに、児童期の性体験の再現なのです。

     彼にとっては、女性との恋愛や性行為のあるなしにかからず、それよりもこのことが彼に最高の性的快感を与えていたに違いありません。精神的にも肉体的にも社会的にも、正常な大人に達しながら、その性欲形態だけは、児童期のあり方を温存してきたわけです。背景には、愛情実感できない親子関係など、性の健やかな発育を妨げる成育歴上の要因があったとも予想できます。「生まれ変わったら、道になりたい」とは、その思いを的確に表わした文学的表現だと私は思います。

     
     私はこの事件については「異常性欲」や「変態」という言葉はあまり適切ではないと思っています。ある種の異常性欲は、むしろ「未発達性欲」と表現すべきだと考えているからです。つまり、医学や社会通念が決めた「正常」に対する「異常」ではなく、本来大人になったら、卒業すべき過渡的な段階を不幸にも卒業できずに大人となった後もその過渡的性欲形態を温存してしまったのだと理解しているからです。言い換えるなら、「卒業しそこなった性欲」「留年中の性欲」ととらえているわけです。


    生まれ変わったら、道になりたい

     世の中は、このフレーズを「究極の変態性欲表現」として笑いのネタにするでしょう。しかし、私は、彼の不幸な性欲形態を表わした切実なる文学的表現として受け止めたく願っています。もちろん、犯罪行為として罰せられ、二度と繰り返されぬよう矯正されるべきです。しかし、一般に思われている程、簡単なことではないでしょう。女性の立場からは、その卑劣な行為に対しての憤りを覚えると共に、一方、男性の立場からは、背後にあるであろう不幸な親子関係や成育歴を思えば、悲しさを覚えてしまいます。

     この事件、興味本位でなく、容疑者の性的成熟に注目して真面目に考えてみると、深いことを教えられるように思えてなりません。
    | ヤンキー牧師 | ポルノ・アダルトサイト・性暴力 | 15:08 | - | - | - |
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