命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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恋愛は恥を隠し、結婚は恥を共有する(4)〜体の交わりは結婚の本質
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     夫婦は「一心同体」で、それは統合的一体で、心と体の両方を一つにすることです。ですから恥の共有も心と体の両方においてのこと、心も体も裸で交わり一つとなることが聖書が示す結婚の本質かと思います。

     よく夫婦の関係を「心のつながり」と「体のつながり」の対比で考えることがあります。たとえば、「心:体=9:1」の夫婦と「心:体=1:9」の夫婦がいるとします。私は、前者が心が通じ合っているよい夫婦で、後者が性欲で結びついている悪い夫婦だとは全く思いません。

     少なくとも一定若い年齢なら、「9:1」は、逆に心の通じ合いも弱くなる場合が多いのでは?と心配になります。もちろん、これは一般論で、夫婦それぞれにベストの割合があるでしょう。ただ、日本のクリスチャン女性には、時々、これを普遍的な理想像とする方がいらっしゃるので、それはどうかと常々思っています。逆に、「1:9」の場合は、会話を通じて心をもっと通じ合わせる方がいいのでしょうが、体の一致が言葉を超えた心の一致を与えているのでは?と想像します。


     今回、取り上げたいのは、時にクリスチャン女性に見られる「心:体=9:1」をクリスチャン夫婦の理想像としてしまう問題です。実はこのことが、夫婦不和や時には離婚原因となっているケースをお聞きします。どうして、こうしたことが起こるのでしょう?私なりに三つの理由を考えてみました。

     一つは、「心は聖で体は悪」とする禁欲的かつ異教的発想が、根底にあると思われます。聖書の性や聖書に立った結婚後の性生活の指針を教えられていないと、そうした非聖書的な思想に立って、クリスチャンが性生活を送ってしまいます。なかには、性関係を求めてくる夫を汚れているように見て、軽蔑する妻もいるようです。これなどは、神様からの聖なる祝福に対するほぼ冒涜でしょう。「神がきよめたものを汚れていると言ってはならない」ということです。

     二つ目には、性犯罪被害や性的いやがらせなどを受けて、性に悪いイメージが植えつけられてしまっている場合があります。こうした方は、聖書から性について繰り返し、教えられ、心の深い部分で価値転換がなされないと、なかなか夫婦の性生活についても肯定的に考えられないケースがあるようです。本来、喜び楽しむべき神様の恵みを、できれば避けたい苦痛や義務にしか思えないとしたら、それは何と残念なことでしょう。


     三つ目には、三浦光世・綾子ご夫妻の影響があります。綾子さんは、著書の中で、ご夫妻の性生活を公にしておられます。綾子さんは病弱で、出産育児の責任が果たせないことが予想されるために、妊娠を避けなければならないという事情があります。そのために、妊娠の可能性のない日を選び月に一回夫婦の交わりを持つそうです。また、三浦夫妻の信仰的判断でしょうが、避妊具は用いないことも書かれています。

     綾子さんは、こうしたリアルな問題で悩む読者のために、自分たちのあり方を一例として提示されたのだと思います。特殊な事情のある中で、妊娠を避ける自制と避妊具不使用という三浦夫妻のあり方は一つのモデルかと思います。三浦綾子さんのされたことは愛の業であり、称賛されるべきことです。ただ、読者の側が正しく受け止めるかどうかは問われます。あくまで、このあり方は、病弱のために出産育児の責任を果たせず、どうしても妊娠を避けなくてはならないという特殊事情の中でのことなのです。一般的で標準的なモデルとは言えないでしょう。

     私は22歳の頃に救われてまもなく、この書物を読んだのですが、「三浦さんご夫妻はこうなんだ。でも、一般的、普遍的なあり方ではないよなー。実際クリスチャンはどうしてるんだろう?」と考えました。ほとんどのクリスチャン男性は「これは例外的モデル」「光世さんはすごい、おれは無理」「この性生活なら、結婚したくない」などと思うでしょう。

     ところが、クリスチャン女性の中には、これを普遍的な理想像とする方がおられるようなのです。多分、「心は聖で体は悪」とする禁欲的かつ異教的発想のままの女性、性犯罪被害や性的いやがらせなどを受けて、性に悪いイメージが植えつけられてしまっている女性などは、そうした傾向がより強まるのではないかと予想します。

     また、避妊具使用の是非は、プロテスタントの中でも多様な判断があるようです。神様からの命が与えられるの恵みを人間が制限することの不当性と受け止めることもできますし、性の恵みを喜びながらも、より責任ある育児のために恵みの管理人として制限する責任を重視する考えもあるでしょう。こうした信仰理解の本質的問題ではなく、判断が分かれることは、ローマ14章にあるように当人の信仰による判断が尊重されるべきかと考えます。


     「心:体ー1:9」のプラトニック夫婦が、聖書的理想像ではないし、「心:体=9:1」の肉食系夫婦が、必ずしも御心に反しているわけではない。それが聖書に立った私なりの判断・評価です。

     もし、読者の中に、「プラトニック夫婦理想像」に該当者するクリスチャン女性がいらっしゃったら、一度、それが聖書の示す御心のあり方がどうかのご検討を。また、こうした価値観のクリスチャン妻に悩み苦しんでおられる男性の皆さんには、この記事が一つの指針となれば、感謝なことです。

     性生活がうまくいかない場合は、多くの場合、どちらが正直な思いを押し隠していて相手に伝えられないことが多いようです。最も私が願うことは、この記事によって、クリスチャン夫婦が正直に思いを伝え合うことです。心を裸にしての話し合いが、体を裸にする交わりの充実につながることです。それによって、夫婦がより一つとなり神様の栄光を現されることを願ってやみません。次回は別の聖書箇所から、心と体の一致について記します。
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