命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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信仰継承とは「三代目JSoul」と見つけたり(2)〜第三世代評価基準説は聖書的で普遍的?
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     昨日の記事に対して、フェイスブックの方には、一読者からこんなコメントが寄せられました。昨日の主張を「第三世代評価基準説」と呼ぶならば、その信頼性を高めるようなコメントであります。

     「迫害下の教会開拓の経験のある私の指導教授からは、大人に福音を伝えているときでも、常に彼らの子供、孫の世代を想って伝道するよう教えられました。初代クリスチャンは元々の宗教文化と常時格闘し、第2世代はまだ第1世代の影響下にあり第1世代の宗教文化と格闘します。しかし第3世代で信仰が確立するそうです。


     このコメントによれば、迫害下の教会開拓においては、

    第一世代が元々の宗教文化との常時格闘
    第二世代が第一世代の宗教文化との格闘
    そして、第三世代で信仰の確立とのこと。

     やはり、人間や社会の本質に由来するでしょうか?それとも人間の頑なさから価値転換が徹底しないせいでしょうか?神様の業が人間に対して為され、一定の結論が出るのには、三世代を要するようです。ですから、第三世代を見れば、神様の業の結果が分かり、第一世代の労したことの評価もそれによって、ようやくできるわけです。

     確かに聖書でも神様の業に一定の結論が出るのには、三世代を要した事例がありますね。

    神の召しを受け、偶像と異教文化、異教社会から、祝福へのスタートを果たした一代目アブラハム
    先代の信仰を継承しながらも、ダメおやじだったために三代目をマザコンにした二代目イサク、
    母子強制分離によってマザコンを克服し、ブラック企業「ラバン牧場」で鍛え抜かれ、イスラエル襲名に至った三代目ヤコブ

     やはり、スターターであるアブラハムから三代目にして、イスラエル民族が確立したわけです。


     出エジプトの民もまた、三世代での完結と言えるのでは?

    神の召しを受けたモーセに導かれ、奴隷の家エジプトから、栄光への脱出を果たした第一世代
    モーセの後継者ヨシュアをリーダーとして約束の地を占領し、部族ごとに土地の分配を果たした第二世代
    主との契約を忘れ、カナンの地の異教文化に染まり、偶像礼拝をするまでに堕落した第三世代

     「栄光への脱出」は三世代目には「堕落の定住」で終わりました。これは残念な第三世代での結論です。


     選んだ限りは見捨てず何が何でも祝福される真実な神様の業も、その選びに応答しえない不真実な人間の罪深さと愚かさも、三代目になって、一定の結論が出るわけです。


     でも、これは聖書が示す神様の特別な業に限らず、人類や歴史にも一定の普遍性があるように思うのです。

     戦後三代目に相当する男子高校生たちの電車内での実際にあった会話。
     「おまえ、日本が戦争したって知ってる?」
     「えっ、まじ?知らねーよ。どことやったんだ」
     「どうも、アメリカらしいぞ」
     「それで、どっちが勝ったんだよ?」
     「知らねーよ。そういえば、どっちなんだろ?」

     幼いころに戦争を実体験した第一世代
     髪を伸ばしギターで歌った「戦争を知らない子どもたち」と呼ばれる第二世代。
     そして、この高校生たち「戦争をしたことさえ知らない子どもたち」とでも呼ぶべき第三世代。

     はてさて、このことを、敗戦国であったことも忘れさせる程の戦後日本の発展を象徴する現象として喜ぶべきか?それとも、語り継ぐべき大切なことが、世代間で断絶されていることを悲しむべきか?
    戦争を知らない子どもたち」の多くは真剣に平和を願う世代でしたが、「戦争をしたことさえ知らない子どもたち」は、どうなんでしょう?戦後、私たちが平和についてどう考え、どう伝えてきたか?その結果は、戦後第三世代の信じがたい会話に現れているのかもしれません。

     現在の安保体制を確立したのが岸首相であります。そして、三代目に相当する現首相は、安全保障や国のあり方について、ある「完成形」を目指して、本気で実現しようとしているとの指摘があります。三世代にわたる約50年をかけての悲願だとしたら、それは、さぞかし強烈なものでありましょう。実は、私たちの身近で重大な事がらの中にも、「三代目での完結」があるのでは?

     戦後新たに建設された国家のリーダーは、世襲制によって、現在は三代目の将軍様となっております。国家の存続が厳しい状況なのか?これまで見られなかった様々の現象が起こっています。劇的な変化が三代目で訪れる可能性も予想できます。ここにも「三代目で真価が問われる」という真理を見ることができるのでは?


     昨今は、一代目である「家具づくりの翁」と二代目の「家具屋姫」の間での血肉の争いが世間の注目を集めているようです。株主総会がどうなっても、その後も争いや遺恨は続いていくでしょう。翁と姫のどちらが正しかったのかについての明白な結論が出るのは、二代目社長の時ではなく、三代目社長就任後なのかもしれません。「創業者のパイオニア精神→それを離れたビジネスモデルの模索→新たなビジネスモデルの確立」というパターンは、企業の世代交代にはよくあることなのでは?


     聖書が描く神様の業も、一般的な人間の業も、三代目に結果が現れること、それ故に三代目を評価基準とすべきというのは、そこそこ妥当かな?と考えます。第二テモテ2章2節から読み取ることのできる「
    第三世代評価基準説」。これって結構、聖書的でかつ普遍的な真理ではないかと思えてきたのですがどうでしょう?

     だとすれば、クリスチャンたる者、自分の世代のことだけを考えるなどありえないことのはずです。次世代はもちろんのこと、次々世代までを想定して、今の使命や業に励みたいですね。また、神の業であれ、人の業であれ、三世代を経ていない事がらについては、お互いは、近視眼的であり、中間決算のような評価しかできないことを覚えて、一喜一憂をし過ぎず、謙虚な考え方をしたいものです。
    | ヤンキー牧師 | キリスト教界(論説シリーズ) | 15:18 | - | - | - |
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