命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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信仰継承とは「三代目JSoul」と見つけたり(6)〜都市部教会の現役世代より、地方教会の次世代
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     今日で最終回としましょう。あと10年から20年程度で、無牧教会が急増し、なおかつ経済的自立ができない教会が大半となり、併牧、夫婦別教会担当、引退牧師の担当でも、教会存続が不可能となるでしょう。そして、最終的には、)匯嬋弸覆働き自活、近隣教会と合併教会閉会の三つに至ることが予想されます。

     そこで、個人的に大変心を痛めていることがあります。それは、地方の小さな教会から先になくなっていくのでは?という危惧です。経済効率からすれば、地方の小規模教会から閉鎖、合併して行くのは、理に適ったことでしょう。しかし、そうした経済効率にによる判断は、先輩方が積み上げてこられた地域宣教にとって、取り返しのつかないマイナスになるのでは?と心配しているのです。
     
     たとえば、ある団体には、一都市に30人以上の教会を三つ(各教会の距離は車で30分程度)、そこから車で二時間の山間地方に10人未満の教会が一つあるとします。経済効率を優先すれば、地方の10人未満の教会を閉鎖するのが、賢明でしょう。しかし、地方の教会の10人の背後には都市部の30人に勝る祈りと労が積まれてきたのではないでしょうか?


     地方では、歴代牧師がその土地に定住し20年以上もかけて地域から信頼を勝ち得て、教会が建て上げられていくとお聞きします。牧師が都市部から通っているようなあり方は本来好ましくないと見解にもたびたび触れます。ですから、地方の教会が一旦閉鎖されると、再開して軌道に乗るのには、また20年は要することになります。一方、都市部の教会は、三つを二つに減らしたとしても、将来、閉鎖された教会を再開すれば、5年から10年で軌道に乗るだろうと考えるのですが、この見込みは、甘いでしょうか?


     また、都市部の教会は閉鎖されても、同団体の近隣教会、別団体の近隣教会に行くことができれば、現役世代と次世代は、教会生活が可能となります。しかし、どの団体も同じように地方の教会を先に閉鎖するとなると、その地域は教会空白地域となり、クリスチャンたちが教会生活を送れなくなるだけでなく、地域宣教ができなくなります。

     近い将来、野党が選挙で共倒れをせぬよう、立候補者調整をするように、団体の間で「閉鎖教会調整」をせざるを得なくなるのかも?と空想しています。「A地区では、うちが続けますから、お宅は閉鎖でいいですよ、教会員は責任もってお受け入れしますから」「うちは閉鎖したいから、お宅は続けて、信徒受け入れお願いします」などの調整で地方教会の存続をせざるを得なくなるのでしょう。

     地域の雇用がなく、青年たちが、都市部へ出ていく地域の伝道と教会形成は今でも、極めて厳しいです。育てた中高生や青年たちが都市部の教会で活躍するというのが、地方教会の現実でしょう。地方教会の牧師が手塩にかけて育てた青年が、地域を離れ、と師の教会で信徒リーダーとして活躍していく様を多く見てきました。

     つまり、このシリーズが扱っているような信仰継承は、地方教会では、成立しないのです。育てて手放す、送り出すのです。都市部の教会は、育てることなく若いクリスチャンを受け止めるのです。自前で育てず、育てられた人材を獲得するのですから、どこかのプロ野球球団と似ています。地方都市の教会に仕える私としては、感謝よりは、申し訳ない気持ちで、罪悪感すら感じてしまいます。

     こうして考えますと、現状でも次世代育成については、都市部の教会は地方教会の尊い犠牲の上に、成り立っていることを思います。これ以上、地方教会を犠牲にして、都市部教会ばかりが存続する道を歩んでいいのだろうか?と思うことが私はよくあります。地方に教会空白地域を作ってまで、都市部の教会を三つから二つに減らすのを阻止するのが、正しいだろうか?思うのです。場合によっては地方教会の次世代絶滅の上に、都市部教会の現役世代の快適な教会生活が維持されるとしたら、果たして、それは神様の御心だろうか?と悩んでしまうわけです。

     経済効率>神様の御心

     都市部教会>地方教会

     現役世代>次世代



     この三つは、聖書が示す教会論や信仰継承とは、全く異なる「強者の論理」と言うべきでしょう。この聖書が支持しない論理や優先順位によって「弱者の犠牲上に成立する強者の利益」が正当化されるとしたら、その団体はみ言葉に歩んでいると言えるだろうか?と考え込んでしまいます。

     こうしたことを書きますと、「総論賛成各論反対」となる方も多いのでしょう。つまり、「地方の教会を閉鎖しないために、都市部の教会は犠牲を覚悟すべき、でも、自分の所属教会が閉鎖、合併になることは反対」という矛盾した態度です。もちろん、ご自分が仕えておられる教会はめちゃめちゃ大切です。でも、自分の教会第一では、戦後に宣教師たちが多大な犠牲を払ってもたらした地方での福音の灯は消されてしまい、再び灯るのはいつのことやらになるのです。

     今後、都市部教会のクリスチャンがいわゆる「マイチャーチ主義」を克服することが、地方宣教の灯を消さずに済むことにつながるだろうと予想しています。聖書的な教会論を持った成熟したクリスチャンは、本来それを実行できるはずだと私は信じています。


     都市部教会の現役世代か?地方教会の次世代か?

     都市部教会の合併か?地方教会の閉鎖か?

     再開可能な都市部宣教の縮小か?再開困難な地方宣教の停止か?


     こうした痛みを伴う選択が既に迫られていますし、これからはいよいよ厳しくこの優先順位が問われることでしょう。私は地方宣教に重荷を持ってきたわけではないので、多くの認識不足もあり、暴論となってしまっていたら、失礼をお赦し下さい。また、一連のこのシリーズは、お聞きしてきた現場の悲痛な声を私なりに統合分析したものです。拙いものであることは、自覚しておりますが、それでも、何かの参考になれば感謝なことです。
    | ヤンキー牧師 | キリスト教界(論説シリーズ) | 14:34 | - | - | - |
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