命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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信仰継承とは「三代目JSoul」と見つけたり(5)〜教会存続の危機か?次々世代絶滅の危機か?
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     日本の教会は、いま、地域や団体によっては、教会存続の危機と次々世代絶滅の危機という両方の危機に瀕しています。近年は、小規模な単立教会が、後継者が与えられない、あるいは財政的困難から、閉鎖をして、信徒は近隣教会へ合流というケースをいつくか見てきました。単立教会に限らず、団体に所属する教会でも、近隣の同じ団体の教会と合併するとの計画をお聞きすることも増えてきました。

     その段階まで至らなくても、教職者不足の中で、教会を存続されるために、一人の牧師が複数教会を併牧するケース、牧師夫妻が共に教職の場合は、夫妻で別教会を担当するケース、引退牧師が、働きを続けて教会を担当するケースなども増えてきました。

     どれも、教会の礼拝と働きが継続されるためには、必要なことでしょう。しかし、あくまでこれらは、緊急対処、応急処置であり、恒常的体制になってはならないと感じています。その理由は、ある教会でこの状態が10年以上続くと、教会自体は存続しても、次々世代が絶滅しかねないと考えるからです。つまり、応急処置を恒常的体制に移行させることは、教会の次々世代を絶滅に追い込みかねないと私は危惧をしています。


     一人の牧師、一組の教職夫妻が、一教会に忠実に仕えても、昔とは違い、現代の日本社会においては教会を担う次世代を育てるのは、困難だと私は感じています。普通に忠実に仕えていれば、そこそこ子どもたちが信仰継承し、青年たちが信仰的に自立をして、成熟に向かう時代は過ぎ去ったようです。

     ましてや、この時代にあって、併牧や夫婦別教会担当での牧会となれば、いよいよ次世代育成が停滞することが懸念されます。ます。その結果、次々世代を育てる次世代リーダーは育たず、次々世代においては、教会員数ゼロという絶滅の危機に瀕しかねません。

     また、引退牧師のお働きは尊く感謝すべきですが、引退牧師が二人、三人と5年も10年も担当しますと、次世代は衰退しかねません。一般的に高齢牧師の担当が続きますと、教会自体が牧師と共に老いてしまう傾向は否めません。(もちろん、牧師の次世代の信徒リーダーが、中高生や青年層を活性化されることはできます)。これまた次々世代滅亡の危険度を増してしまうと思うのです。


     さらに、近年は、定年後の教会員の比重が増えて、一教会の財政では、牧師家族を支えられなくなってきました。ですから、併牧をして、あるいは夫婦別教会担当によって、二つの教会からの謝儀なら、生活可能となるという事例も多くお聞きします。何か、本末転倒のような気もするのですが、だからと言って、二つの教会が合併して、一教会となればいいとは簡単に言えません。引退牧師のご活躍も同様で、本来はそれなりの福利厚生があるべきでしょうが、そこまでの財政基盤がないのが現実です。また、引退牧師ならではの働きの場があったらいいのですが、日本のキリスト教会にはそこまでの成熟をしていないようです。


     かくして、「併牧」、「夫婦別担当」、「引退牧師の教会担当」の三つは、牧師家族の生活を支えるための必需システムとなっていきます。そうなると、一牧師が一教会を担当する本来のあり方に戻れず本来の引退ができなくなってきます。つまり、教職者が、緊急対処システムに依存せざるを得なくなります。そうなれば、「緊急対処」は「恒常的状態」に変質してしまいます。

     最終的には、教会の存続と教職者の生活保障が自己目的化します。「何のための教会か?」「何のために、教職者家族の生活保障をするのか?」はどこかへ行ってしまうという根本的本末転倒に至ります。つまり、外的形式維持のために内的本質が損なわれ、物質的現状維持のために、霊的本質が犠牲にされるのです。


     やはり、こうした本質の喪失本末転倒次世代育成に明確に現れると思うのです。次世代が育てられなければ、その世代の多くは教会を離れます。また、残った次世代も、育ててもらえなければ、次の世代を育てる力はありません。その結果、次々世代は、絶滅の危機に瀕すると予想できてしまうのです。


     教会を存続させるための応急処置が悪いとは、私は全く思いません。しかし、応急処置が、応急処置でなくなるなら、その応急処置の是非は問われかねないと思うのです。「回復の見込みもない応急処置」を「恒常的状態」とすることは、「次々世代で教会を終わらせる選択」となりかねないと思うからです。

     応急処置で教会存続の危機を当面は回避できるでしょうが、その状態が10年以上続けば、教会は未来を失いかねません。ですから、応急処置をしながらも、次々世代を想定した展望のある対処が求められるのでしょう。(言うのは簡単ですが、実行は極めて困難ですね)

     高齢化が進む教会は、教会に体力があるうちに、働き人がいる間に、数少ない子どもや学生、青年たちを、数が少ないからこそ、大切にしましょう。それさえできなくなってしまう前に、絶対にチャレンジしましょう。宝石に価値があるのは、美しいからだけではなく希少だからです。少ないからこそ、愛と祈り、お金と手間をかけましょう。彼ら彼女らが、次世代を育てることのできるクリスチャンとなるように、今、私たちが育てましょう。

     とにかく、そうした意識改革と実践を今からでも始めることでしょう。既に始めている教会や団体は、多くあります。すぐに大きな結果はでないでしょうが、少なくとも、次々世代絶滅は免れることでしょう。いいえ、神様の御心なら、育て上げた一人次世代リーダーが30倍、60倍、100倍の実を結ぶことを期待しましょう。

     
     これは補足ですが、私は教会の存在意義の第一は伝道ではなく、礼拝だという考えです。ですから、過疎地域などで高齢者ばかりの数名の礼拝がささげられ、次世代はおらず、閉鎖するまで教会が存続し、そこで牧師が仕えることは、それも牧師とその教会の尊い使命でしょう。そのためには、教職者が働き自活する、年金生活がでるなどが前提となることでしょう。教会や地域によっては、次世代や次々世代で教会が閉鎖することが、必ずしも悪いわけではありません。そのことも付け加えておきます。


     今、都市部であっても、少なくない教会が、教会存続の危機と次々世代絶滅の危機の両方を迎えているように感じています。前者は応急処置で一定期間対処可能です。しかし、後者は、第二テモテ2:2が命じた継続的歩みによって克服されていくものでしょう。

     このシリーズでは「三代目評価基準説」を提唱していますが、今の世代の教会存続だけを願うと、かえって三代目を拙滅危機に向かわせかねない現状があるように思います。当面の近視眼的な対処が、未来を失わせることを危惧します。では、どうすればいいのか?も分かりません。当面の教会存続だけを考えての対処が悪循環本末転倒を産み、次々世代絶滅に至らせかねないジレンマに、これから多くの教会と団体が苦しめられて行くのだろうか?と思うと心は痛みますし、やりきれない思いがします。これと言った具体策も出てこない自分が情けなくも思えてきます。

     奉仕先などでお会いする多くの牧師から、この課題についてお聴かせいただきます。極めて切実で深刻な課題なのでしょうが、教会によっては、どこか他人事のような雰囲気や教職や団体が何とかしてくれるとか、信仰があるから大丈夫などの無責任な楽観ムードがただよっているように感じています。まずは、冷静な現状認識と責任ある未来展望が求められていると感じています。

     不信仰で悲観的な展望を語り、危機感を訴えているだけの拙い記事になってしまい申し訳ありませんが、それでも、何かの参考になればと願っています。
    | ヤンキー牧師 | 育児・信仰継承・家庭・養子 | 16:51 | - | - | - |
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