命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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和歌山小5刺殺事件容疑者は、現代版「祭司エリの息子」なのか?
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     高学歴エリート、地元の名士、ある分野のリーダーである父親を持つ息子が凶悪犯罪に至るというケースはこれまでも繰り返されてきました。昨日、逮捕された容疑者の父親も大学教授で仏教の僧侶であることが既に判明してるようです。世間の一部は、家庭事情も容疑者の特殊事情なども考慮せず、「エリート家庭の闇」とかレッテルを貼って、「僧侶が自分の息子も導けないのか」などのバッシングをするのでしょう。

     「宗教的リーダーを父に持つ息子」には、他の家庭にはない様々な葛藤や困難があることでしょう。聖書の代表格は、祭司エリの息子たちです。サムエル記第一の2章12節は、彼らについて「さて、エリの息子たちは、よこしまな者で、主を知らず、」と書き出しています。息子たちのよこしまさは「食欲と性欲における貪欲」に現れました。

     12節以下を読むなら、まずは食欲です。息子たちはささげものの定めを破って、神にささげるべき最上部位である脂肪を、搾取して食べていたようです。これは食における貪欲であり、同時に神からの搾取でもあります。もう一つは性欲です。息子たちは会見の天幕で仕える女性と性関係をもっていたのえす。これは性における貪欲であり、神への重大な冒涜です。無理やり現在の犯罪にあてはめるなら、国家を代表する祭司の息子が、窃盗犯と公然わいせつ罪の常習犯であったわけです。

     そもそも、いくら祭司が世襲でも「主を知らないまま」の息子に継がせてはならないでしょう。どうもエリは、息子の悪行三昧を知りながら、適切に戒めることがなかったようです。息子たちの問題の原因を聖書は「主を知らず」と明示しています。主を知らず、主を畏れることがないために、祭司の特権を悪用して、食欲と性欲を満たしていたのでしょう。残念な親子関係が見て取れます。

     「民を導く最高の祭司にして、同時に息子を導けない無力な父親

     これが、私たちの現実なのです。旧約聖書を読むながら、優れた宗教的リーダーと政治的リーダーの多くが、かなり残念な父親であることを発見します。聖書を読むなら、そうした父たちが、息子を傷つけたり、性格を歪めたり、不敬虔な者としています。


     私自身も、大規模教会の牧師や有名牧師の息子さんが、引きこもりになる、心の病になる、病的人格を持つ、リストカットする、アダルトチルドレンだと公言するなどの深刻な事例を、直接間接、いつくも見聞きしてきました。ですから、今回の事件の容疑者の父親が、大学教授で僧侶であると知って、およそ「仏教界のこと」とは思えません。大学教授でもある僧侶は、やはり、多くのお寺のお坊様とは別格の立派さが、息子にとってはあっただろうと推察します。

     父親がエリートやリーダーである場合、男同士の親子な関係は、ハイリスクハイリターンだと思います。うまくいけば、父を超える成功や父とは別のあり方での自分らしさに到達します。うまくいかないと、「いつまで父に認められたい息子」や「父に負けた生ける屍」になりかねません。

     よく言われるように男の子は〇童期には父親に憧れ、父をモデルとします。∋彌婀以降は、父をライバル視力し、父を否定して自己を確立してゆきます。青年期以降は、父を離れ乗り越え、冷静に他者として見ながら、自分本来の生き方を確立してゆきます。

     しかし、△うまくいかないで、に到達できず、△里泙泙農椎期以降も歩んでしまうことがあります。たとえば、立派過ぎる父親はライバルとして強すぎてしまい、乗り越えられず息子は潰れてしまいます。あるいは、強すぎて戦うこともできず、健全な自我を形成できなくなります。

     また、父親が息子に自分とは別のあり方を認めてやればいいのですが、自分と同じようになることや過剰な期待と要求を突きつければ、これまた、息子は潰れるしかありません。特に高学歴が期待されたのに、中学受験や高校受験で失敗してしまうと、10代にして自らを負け組としてしまいます。かくして息子たちは「いつまで父に認められたい息子」や「父に負けてけた生ける屍」になるのでしょう。


     神様が自分を愛されたように、父親が息子を、自分とは別の人格として尊び、あるがままで愛し、認めてあげればよいものをと思うのですが、どうも、父と息子の関係は、子弟関係に陥りやすいようす。過剰な期待をかけ、それに応えることで、息子がたくましく成長するという「巨人の星」のような子育て観を、クリスチャンの父親がもっていることは珍しくありません。星飛馬が真面目で純粋であるが故に、人格が歪み破たんしていったようなことがクリスチャン家庭で起こるわけです。


     今回の事件は、「仏教界」のことではなく、有力な宗教的リーダーが父親であるなら、どの息子さんにも、別の形で起こりうることとして、受け止めるべきではないでしょうか?聖書も、祭司エリの父子関係を通じて、そのことを警告してくれているように思うのです。

     とりわけ、大規模教会牧師や著名牧師の若い息子さんたちのためには、愛の配慮をもって接し、語りかけて下さい。多少の服装の乱れ、どうかと思うファッション、一時的な放蕩などは大目に見てやってください。その程度のことで、当人やご両親を責めないで欲しいです。

     何より、息子さんたちの健全な成長と信仰継承をお祈り下さい。牧師継承も祈っていいのでしょうが、どうか、黙って祈って下さい。間違っても、当人に「跡継ぎ・お世継ぎ・献身祈っているよ」とは語りかけないことです。時にその言葉の繰り返しが牧師の息子さんの健全な成長を決定的に歪めてしまうからです。


     和歌山の事件の容疑者については、悲しいことに今後、プライベートが暴かれてゆき、家庭環境や成育歴などについて、あることないこと報道されていくのでしょう。お互いはそれらを興味本位で見聞きするのでなく、自らの子育てや周囲の方の子育て、とりわけ牧師家庭の息子さんのために役立てていければと願っています。
    | ヤンキー牧師 | キリスト教界(論説読みきり) | 21:28 | - | - | - |
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