命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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婚活クリスチャン女子のための十戒(7)「あなたは、自分のやりたいことを握っていてはならない」
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     このシリーズも後半に入ってきました。今日は七つ目です。 第七戒はこれです!

    「わたしは、あなたを世の婚活、将来の空しい結婚生活から連れ出した、あなたの神、主である。
     あなたには、わたしの導きほかに、赤い糸があってはならない。
     あなたには、わたしの時のほかに、時があってはならない。
     あなたは、80点以上を合格としてはならない。

     あなたは、『いい人がいない』と言ってはならない。
     あなたは、快適な独身生活を送ってはならない。
     あなたは、結婚が見えない交際を長期継続してはならない。
     
    あなたは、自分のやりたいことを握っていてはならない。」



     時々、30歳前後の独身クリスチャン女性からこういうお話しをお聞きしたり、相談を受けたりします。相談者はこうおっしゃいます。

    「結婚しないのか?」「結婚はどうするの?」と親はうるさいし、周囲は心配して言って下さるけど、自分には「やりたいこと」があるので、今のところ、結婚する気はないというのです。

     では、「一生結婚しないのか?」と尋ねると「いつかはしたい」と答えます。さらに「では、そのいつかはいつなのか?」と質問すると「やりたいことを実現できてから」とか「やりたいことの目途がついたら」などの答えが返ってきます。さらに「では、その時、その年齢で結婚できると思いますか?」と意地悪な問い掛けをすると「難しいと思う」「無理なのは覚悟している」と答えたりします。「生涯、結婚しない結果になっても、そのやりたいことをしたいのか?」との問いには「そうだ」と返答する女性も少なくありません。ダメ押しで、覚悟のほどを確かめようと思い、「妊娠出産できないで一生を終わってもよいか?」と迫っても、「それでもよい」とおっしゃいます。

     しかし、お話しを聞いていると、どうも心配になってきます。その「したいこと」がそこまでのこととは思えないのです。そこで、「この点は、はっきりしておかないと人生全体が不正解になりかねない」と思い、超本質的な質問を投げかけます。

    「それって、自分がしたいことなの?それとも、神様があなたにして欲しいと願っていることなの?」

     大抵の女性は、まず、黙り込みます。何も言わずに泣き出す女性もいます。正直に「わからない・・・」とつぶやくケースも少なくありません。後者だと明言する女性は、まずいません。後者である女性は、話をお聞きしていたらわかるので、私もこんな質問をする必要はないのです。

     
     「神様が自分して欲しいと願っておられること、それは神様からの使命だから、結婚を先送りにしても、最優先にすべきことかもしれませんね。でも、自分がしたいことなら、どうでしょう?神様はあなたにそのことでなく、結婚をして欲しいと願っておられたら、そのみこころに従うべきではないかな?」

     「自分のしたいことをして、それを神様が応援するのが信仰生涯ではないよね?神様が自分にして欲しいことをして、神様がそれを応援したり、神様自身が成し遂げて下さるのが、信仰生涯だよね」

     「そこんとこ、どう、考えてるの?」

     傷つけないように、また、反論できるように優しく尋ねるのですが、まず、反論してきません。ある意味、反論の余地を与えない残酷すぎる正論なのでしょう。あるいは、「牧師の正論に反論しても無駄、どうせ対話にならない」と諦められているのでしょうか?どうも、「結婚」や「したいこと」より前に、向き合うべき根本的課題がクリアできていないように思うのです。

     
     結婚願望がない方だけでなく、結婚を願うクリスチャン女性にも同様のケースを見かけます。「自分にはしたいことがあり、それを理解・応援してくれる男性」あるいは「それを共有して共に実現する男性」と結婚したいとおっしゃる方です。もちろん、それが、「神様が自分にして欲しいと願っている使命」であるなら、模範的な結婚観とも言えるでしょう。しかし、逆にそれが単に「自分がしたいこと」だけなら、逆に結婚観としては論外だと私は思います。


     クリスチャンは「自分のしたいことをするため」に生きているのではありません。

     「神様が自分にして欲しいと願っておられることをするため」に生かされているのです。

     クリスチャンの人生の目的は、「おこころ(自分の意志)の実現」ではありません。

     「みこころ(神の意志)の実現」であるはずです。

     いわば、「自己実現」ではなく、「神実現」であります。

     そして、結婚について、確認したいのです。

     結婚相手は、あなたの自己実現のアシスタントではありません。共にみこころに従い、神様の恵みを分かち合い生きるパートナーであります。


     さらに付け加えますと、結婚から逃げたい思いから、責任ある人生からの逃避から、あるいは、結婚を願ってうまくいかず傷つくことの予防線として、「どうしてもしたいこと」を作り上げて、それを口実として、結婚から逃げている事例を時々お見受けします。つまり「今したくない」「今は考えずに済ませたい」「とりあえず先送りしたい」「親と周囲の干渉をやめさせたい」との思いを実現するための格好の口実として「仮想・どうしてもしたいこと」を作るのです。そうして結婚に向けて歩まない自分のあり方を周囲に対して正当化することができるわけです。

     そうせざるを得ない事情や心情は理解して差し上げたいのですが、そのままでは、結婚の問題だけでは済まなくなってしまいます。そうです。結婚から逃げていることが本当の問題ではないのです。そうした姿勢によって、クリスチャンでありながら「一女性として神の前に責任ある誠実な生き方を失ってしまうこと」が大問題だと私は感じています。


     結婚に際して「自分にはしたいことがある」と口にするクリスチャン女性には四つのパターンがあるように観察しています。

    一つ目は、それがまさに神様からの使命であり、結婚を先送りにしたり、より低い優先順位にすることが、正しい場合です。

    二つ目は、その思いと言葉によって、神様からの結婚への召しに耳を閉ざしてしまっているケースです。

    三つ目は、その思いと言葉が、自己実現のための結婚との結婚観を示しており、伴侶候補の範囲を不当に狭めているパターンです。

    四つ目は、仮想としてそれを作り上げ公言することで、結婚に向き合うことなく、責任ある生き方から逃避するという残念なあり方です。


     二つ目から四つ目に該当する女性には、今日の第七戒をお授けします。

    「あなたは、自分のやりたいことを握っていてはならない」

     どうか、「自分のやりたいこと」が、「神様が自分にして欲しいと願っていることかどうか?」をしっかりと神様の前に自問された上で、ご自分の結婚問題を考えられますよう切に願います。
    | ヤンキー牧師 | 婚活と伴侶選択のために | 17:16 | - | - | - |
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