命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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2050年時の日本の教会〜迎えるチャンスとクライシス
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     かつて私が勝手に「南国のブログ王子」と名付けた久保木牧師が「2050年日本の教会」と題して、シリーズ記事を書いておられます。的確な将来予想に立ちながら、優れた先見性と神学的考察によって、将来のあり方の一例と指針を示唆しています。信頼できる資料に基づく予想なので説得力もあり、描く教会や信徒の姿も実にリアルで現実感があります。これらの記事は、将来の教会を考える上で大変有益であると思いますので、全四回分をご紹介申し上げます。

    久保木牧師のきらきら探訪〜ゆるりと生きる〜
     四つの記事を読んで、思ったことを少し記してみます。

     既にに起こっていることですが、日本の教会の多くは、変化を強いられることでしょう。あと10年から20年で、大半の教会は現状での継続が不可能になると予想されます。教会内は、社会全体の移行以上に極端な少子高齢化を受けて、何よりリアルに経済面で成り立たないと思うのです。牧師夫妻の二人ともが働かなくて生活可能なのは、都市部の一定規模の教会か、富裕層を集めた教会か、現時点で青年をかなり多く集めている教会などでしょう。

     教会を形成する人々も、かなり変化しているでしょう。「大卒で、日本国籍を持ち、社会参加し、経済的に安定しおり、結婚し、子どもを与えらえ、妻は専業主婦で、離婚はせず、両親で子どもを育て、精神疾患を患っていない」という条件に該当する教会員が多数派であったのは、20世紀で終わっています。健全な家庭で育った教養のある若者が、真面目に純粋に真理探究をして、教会を訪ねることは、なくなってきましたし、多くの教会は信仰継承に苦戦を強いられています。

     クリスチャンホーム子弟が教会に留まらず、逆に、未信者家庭に育ち、求道する人たちのタイプは大きく変化しています。現在でも既に起こっている変化ですが、「学歴面での挫折経験者、日本以外の国籍、社会参加が不可能な方、貧困生活者生涯未婚者不妊に悩む夫婦、共働き夫婦、離婚経験者、片親家庭、精神疾患を患っている方」という条件の二つ以上を持つ方が教会の多数派となっていくでしょう。

     「クリスチャンの夫たちが社会で働き、妻たちは専業主婦で教会で交わりや奉仕、教養や社会的地位のある教会員が地域の信頼を得て、教会員はそれなりに健全な家庭生活を送って、証しをしている」という理想像は、もう既に崩壊しています。いいえ、それは、本当の意味で「理想像」ではないでしょう。集まっている人々にとって、都合と居心地がよいだけで、それは「理想像」というより「偶像」に近いと私は思います。そもそも、聖書が描く教会はそんな「優等生集団」でも「勝ち組共同体」でも「同質者限定サークル」でもなかったはずです。

     ですから、間違った理想像を偶像として持ち続けていくなら、あるいは、理想の名残りを残す教会の現状を今後も維持しようと願うなら、その教会は2050年まで、大きなクライシス(危機)を迎えてしまうでしょう。その結果、閉鎖や合併、吸収に至る教会も多く出るでしょう。(繁栄の神学のような信仰理解によって量的・外面的に栄える教会もあるかもしれません)


     しかし、久保木先生が示唆されるような新しいあり方や方向に舵を取るなら、クライシスはチャンスに転ずるのは?と思うのです。人口減少と貧困の中、多様な人々が教会に集ってくる中で、教会はむしろ、それを「現状維持を破たんされるクライシス」としてでなく、「より聖書的な教会のあり方に変化するチャンス」として受け止めるべきではないかと思います。久保木牧師が書いておられるように、貧しさと弱さこそが、教会本来の愛の交わりをもたらすからです。

     ある教会は、今後、予想される貧しさと弱さを恐れて、その回避を願って強行突破的現状維持を貫き、衰退・破たんをするのでは?と私は危惧しています。逆に、ある教会は、強いられてでも、貧しさと弱さを受け入れて、より聖書的な教会のあり方へと移行して、本当の意味での教会成長を遂げるだろうと期待しています。


     私は後者の教会が、貧しさと弱さの恵みの中で、こうなることを期待しています。


    お金はあっても信仰がない教会が、お金はなくても信仰にあふれる教会となることを。

    愛が語られても、愛し合う交わりのない教会が、愛が語られなくても、愛しあう交わりに生きる教会となることを。

    「神の家族」という言葉に白々しさを覚える教会が、神の家族を実感する教会となることを。

    片親家庭の親子を支えきれなかった教会が、片親家庭を補う神の家族として機能する教会となることを。

    弱さや傷を持つ人々が疎外感を覚えていた教会が、それらの人々が安心を覚える教会になることを。

    貧しく弱い者に劣等感を与えていた教会が、貧しく弱いことの中にある深い恵みを実感させる教会となることを。

    同調圧力で居心地の悪さを与えていた教会が、多様な人々が受け入れられていると実感できる教会になることを。

    在留異国人に溶け込めめない抵抗感を与えていた教会が、愛し受け入れられる喜びを与える教会になることを。

    牧師に依存し、牧師にばかり負担を強いてした教会が、信徒も教え合い、助け合い、共に成長する教会になることを。

    貧しさと弱さの回避を願っていた教会が、貧しさと弱さを強いられて、より聖書的な教会へと成長することを。


     今後、予想される、いいえ、多くの教会が強いられる貧しさと弱さが、日本の教会に大きな恵みをもたらすことを期待しています。もちろん、貧しさと弱さには、苦痛も戦いも試練も伴うでしょう。しかし、与えられる恵みはそれを補ってあまりあるものとなるのではないでしょうか。

     年齢を考えると、2050年の日本の教会を私は見ることが難しいかもしれません。悲観材料も多いですが、私は失望していません。むしろ、高度経済成長期のような繁栄や成功とは異なる「成熟した教会成長」が、貧しさと弱さのなかで、実現されるだろうと希望さえ抱いています。

     現在の2014年時点において、既に、2050年を未来展望して、「前例踏襲」と「現状維持」と「成功体験再現指向」から、より忠実に「聖書の愛と交わりを実践する教会」へのシフトチェンジが迫られているように思えてなりません。クリスチャン個人も、教会が経験する貧しさと弱さを「強いられた恵み」として受け止めるか、「回避すべき災い」として受け止めるか?が問われるに違いありません。久保木牧師の四つのブログ記事から、2050年時の教会に大きな希望をいただくとともに、いよいよそのことをリアルに感じています。
    | ヤンキー牧師 | キリスト教界(論説読みきり) | 17:49 | - | - | - |
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