命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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クリスチャン女子の経験する「いいじゃ〜ないの〜?」「ダメよ、ダメ、ダメ」(番外編)
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     思わず、笑ってしまいました!このシリーズの(上)がアップされた数時間後に、日本エレキテル連合会のツイッターで取り上げられていることが判明しました。きっと、検索して上位にでたのでしょう。でも、リンク先が間違っていて、開けないのが残念。あまりに宗教色が強いので、意図的にそうしたのかな?などと考えています。もしかしたら、マネージャーでなくて、あの二人が、本ブログの記事を読んでいるかもしれないと思うと、うれしいやら、恐ろしいやらです。

    ツイッターはこちらです。また、yahoo検索の「リアルタイム」で「命と性の日記」を検索すると出てきますよ。

    〈追記と訂正〉
     どうも、yahoo検索で出てくるのは、偽物のアドレスらしいです。こちらが本物とのこと。当人が記事を読んだ可能性はゼロのようで、残念。
    https://twitter.com/elekitel_denki


     さて、上中下の三回で完結の予定でしたが、最終回である下の前に、番外編を急遽いれてしまいました。実は、本日、大学教員である読者よりFBの方で、大変優れたコメントをいただいて、それにインスパイアされたのです。そのコメントを以下に紹介いたします。(太字は私の編集)


     大学の教員として、青年がどうセックスを要求するのか、という観点からも興味深かったです。ここに書かれているような「殺し文句」は、信仰、純潔うんぬん以前に、情愛をおとりにした脅しに他ならないように思いました。愛していると言っている相手に対してさえ(否、対してこそ?)のこの敬意のなさに、一方で青年らしい情念と、他方でそれにしてもちゃんと相手と向き合えない、対話できない人間関係の未熟を感じます。そうした中で、純潔に生きようとすることは、自らの愛の訓練であるとともに、関わる人たちの愛を問うことでもあるのではないか、と考えた次第です。


     このコメントは、個人的には大絶賛です。多くのことに気づきと思索のヒントをいただきました。このコメントが示している深い課題は、いつか別のシリーズで取り扱いたいと願っていますが、今回は一つだけ取り上げて「番外編」を記します。それは、このコメントの「情愛をおとりにした脅し」というフレーズです。

     この表現は、青年たちの
    「いいじゃ〜ないの〜?」「ダメよ、ダメ、ダメ」の本質を見事なまでに表現しています。つまり、これは私なりに言い換えるなら、「恋愛を人質にした誘拐犯罪」であります。どうでしょう。クリスチャン女子が経験する「いいじゃ〜ないの〜?」「ダメよ、ダメ、ダメ」は、誘拐犯罪に類似していると思いませんか?


     誘拐犯罪と言えば、犯人が電話で「子どもはあずかった、助けて欲しければ、身代金を渡せ」というのが常套句。子どもを誘拐し、その人質と引き換えに、金銭を要求するのが、誘拐という犯罪行為です。

     今回扱っている件も、人質をとっています。それから恋愛関係です。そして、要求はクリスチャン女性の肉体と性です。つまり犯人は、こう告げているのです。

    「俺とお前の恋愛関係を人質にとった。こいつを殺したくなければ、身代金として体を差し出せ


     異性理解の乏しいクリスチャン女子は、こうした犯罪的要求を、「愛の招き」と痛い勘違いをして、「彼氏の愛に応えなくては」と思ってしまいます。あるいは、「彼を失いたくない」「答えずに嫌われたくない」と人質を殺されたくないので、体を差し出すことを考えてしまいます。

     ここでよく考えてみましょう。起こっていることは、極めて犯罪的な行為です。誘拐犯罪との対比で考えるとこういうことでしょう。前者が誘拐犯罪で後者が本件です。


     人質=「子ども」と「恋愛関係

     交換条件=「子どもの命の保障」と「恋愛の延命

     被害者が恐れること=「子どもの死」と「恋愛関係の死

     交換対象=「身代金の提供」と「体と性の提供

     犯罪加害者=「誘拐犯」と「彼氏

     犯罪被害者=「人質の親」と「クリスチャン女子

     
     さらにこのことも言えると思います。

     犯罪報告先=「警察機関」と「神様・教会

     犯罪抑止力=「警察権力」と「信仰、祈り、学び


     日本社会ではまず、誘拐犯は成功しません。日本は法治国家で警察が真面目で優秀ですから。犯人に「警察に連絡したら、子どもの命はないと思え」と脅されても、ほとんどの被害者は警察に連絡します。現金引き渡し現場には、そうとはわからぬよう警察が張り込んでおり、犯人は拘束され、犯罪は罰せられ、子どもの命は助かるのです。

     このことは、クリスチャン女子が被害者となる「体と性の誘拐事件」も同様です。犯罪被害にあったら、すぐに、神様に連絡をしましょう。被害を訴えるのです。交換条件に応じたいとの迷いが生じたら、教会に連絡です。指導者や成熟した信仰の先輩や友に相談しましょう。犯人の要求が不当であること、そして、人質との交換に応じないように、人質を失うことを恐れないようにと愛の説得をされることでしょう。

     また、クリスチャン女子自身に交換条件を拒否できるまでの信仰的な確信があるか?神様の喜ばれる恋愛を祈り願ってきたか?聖書から恋愛や性を学んできたか?が問われます。それが、犯罪被害者とならないための大きな分岐点になるのです。

     ここで、残念な結果となり、大きな後悔をするクリスチャン女子の特徴は、ここで、神様も教会にも背を向けて、自分で決めてしまうことです。恋愛の世界への神様や福音の光の介入を拒否するのです。神様もそのみ言葉も排除して、彼氏と二人きりの世界に歩んでしまうことです。

     犯罪行為の成立後はどうなるでしょう?人質の命はその時は、助かりますが、ほとんどの場合、半年から一年の命です。来年には人質は死んでいます。クリスチャン女子は次の年には、元カノに降格です。どうか、知って下さい。「どうせ、結婚するからいいや」と交換条件に応じながら、結婚に至らないケースも山ほどあるのです。

     ですから、クリスチャン女子の皆さん!人質の半年や一年の延命のために、神様から授かった体と性を差し出すような「愚かな女」にならないでください!聖霊の宮である体で男をつなぎとめるさもしい女」にならないで欲しいのです。


     ここまでは、両者の類似点を記してきましたが、ここからは二つの相違点をお伝えします。両者には、決定的な違いが二つあるのです。 

     まずは、一つ目です。子どもの誘拐なら「どうぞ、好きにして下さい。殺してもらって結構、お金は払いませんから」で電話ガッチャンができません。子どもの命は、お金に代えられない価値があるからです。この交換条件を親は飲まざるを得ないのです。事実上、選択の余地はないのです。

     しかし、恋愛の場合は選択肢が他にあるのです。犯人からの犯行声明電話に「どうぞ、別れてもらって結構、体は差し出しませんから。」電話ガッチャンができるのです。犯罪被害者となったクリスチャン女子は、自分の意志で犯罪被害を免れることがかのうなのです。

     よく考えてみましょう。神様が授けた性と体の尊厳は、犯罪的方法で欲望を満たそうとする男性との恋愛関係よりも、はるかに価値があるはずです。決して、交換すべきものではありません。どう考えても、提案されて応答するような交換条件ではないでしょう。つまり数式で言えば、この違いです。

     わが子の命>全財産

     犯罪的方法で体を求める男との愛<神様から授けられた体と性

     これが、決定的な違いです。通常の誘拐犯罪は成立するだけの必然性がありますが、恋愛界の誘拐犯罪は、冷静かつ信仰的にに考えれば、犯罪として成立するには、どう考えても無理があるのです。

     
     二つ目の違いは警察と神様との違いです。クリスチャン女子の皆さん、決して忘れてはなりません。神様は遍在される方です。あなたが現金引き渡し場所に行き、人質と交換をするなら、その引き渡し場所にも、神様はご臨在なのです。神様は警察のように犯人を拘束し、強制的に犯罪行為をやめさせることはしません。そこにご臨在される神様は、あなたが自分の意志で犯罪被害者となったその犯罪成立を見ながら、深い悲しみの故に涙を流されるでしょう。

     聖霊の宮であるを、神の栄光を現す結婚のために与えたを、愛とは異なる一時の欲望と交換してしまっているその現場で、神様は、どんなに深く悲しく涙されることでしょう。


     この神様のお悲しみを自らの悲しみとして、歩みたいものです。自らの意志で被害者、あるいは加害者となった方は、真実な悔い改めをと願います。それは、罰でも責めでもなく、神様が愛の故に備えられた恵みの回復への道程ですから。また、教会に集う若い男女が、こうした犯罪行為の被害者にも加害者にもならないために、教え、導き、祈り、守るべき責任が、大人の世代にはあることを自覚し、それを実行する教会でありたいと切に願います。
    | ヤンキー牧師 | キリスト者としての性を考える | 18:49 | - | - | - |
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