命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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クリスチャン女子が経験する「い〜じゃないの〜?」「ダメよ〜、ダメ、ダメ」(下)
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     とりあえず、今回で最終回としましょう。次回に少し補足するかもしれません。クリスチャン女子が経験する「い〜じゃないの〜?」「ダメよ〜、ダメ、ダメ」。これについては、できれば、この「修羅場」を避けられたらと願うのです。


     今や18歳以上(あるいは高校生以降)なら、男女交際をしたら、最終的には性関係を結ぶのが、一般常識となっています。ですから、とりわけノンクリスチャン男性は、性関係というゴールを目指して、交際をしていくという面があるのは否めません。どんな真面目な男性でもクリスチャン男性でも、大抵は意識下には、そうした面があるものです。

     まず、中高生女子をはじめ、10代の女性には、そこから知って欲しいです。女子校育ちのクリスチャンには、まず、それが信じられなかったり、知って男性不信になったりする方も珍しくありません。女性にとってはがっかりでしょうが、これは決して男性の罪深さを意味するだけではなく、命をつなぐために神様が与えられた本能、恵みとも受け取るべきでしょう。

     そして、性関係を持っても、結婚しない選択がOKなのも標準です。今から30年ほど前は、結婚適齢期の女性と性関係に至った男性が結婚をしない選択をすると、「下衆の極み」のような評価を受けました。まさに適齢期の男女の性関係は「契り」を意味し、結婚しないことは、契約違反のような規範・道徳が日本社会にはありました。

     それを一転させたのが、「男女7人夏物語」だと言われています。このドラマでの共演がきっかけとなり、明石家さんまさんと大竹しのぶさんが結婚したことでも知られています。「男女7人夏物語」1986年に放送され、視聴率が30%を超える人気番組で、社会現象化しました。つまり、このドラマが描いた恋愛パターンが、その後の日本の若者の恋愛モデルとなっていきました。「性関係に至っても、結婚しなくてよい、自由だ」との恋愛観が日本に普及してゆきました。

     ですから、2014年現在において、世間一般の常識はこうです。

    「交際をしたら、最終的に性関係を持つのが常識
    「むしろ、ないのが不自然・異常
    「性関係を持っても結婚する必要は全くない」
    「セックスと結婚は基本、別


     クリスチャン女性は未信者の彼氏が、こうした常識をもって、交際を始めているという認識は持っていただいたきものです。そして、クリスチャン女子が持つ聖書的価値観は、まさに一般社会からすれば「非常識」です。彼氏にしてみれば、交際を続けてきて、いよいよという時に初めて、彼女からその「非常識」を聞かされたのでは、たまったものではありません。

     一定の交際期間を経て「い〜じゃないか〜?」を発した時、初めて「ダメよ、ダメ、ダメ、クリスチャンだから」と言われても納得がいきません。きっと、男性からしてみれば、詐欺被害にあったような気分になるのでしょう。「今頃、言うなよ!」「なぜ、最初に言っておかないんだ」、「分かっていたら、最初から付きあわない」などと言われ、中には、「将来、オレは絶対にクリスチャンにならない」と不信仰告白をする男性もいるそうです。また、これに応答して、彼の救いのために体を差し出すクリスチャン女子もいます。もちろん彼は、クリスチャンになりません。

     クリスチャン女子が、未信者からは、独善的な態度と見えることについて、私はよくこうアドバイスします。

     「それは、彼からしてみたらダメダメ詐欺だよなー。」と

     彼氏が、クリスチャン女子を不当だ、不誠実だと訴える気持ちも分からんではありません。一般的な社会常識からすれば、彼の怒りはごもっともでありまして、修羅場が展開するのも必然なのです。


     これを防ぐには、やはり、「い〜じゃないの〜?」を言われる先に「ダメよ〜、ダメ、ダメ」を通達しておくことでです。つまり、交際スタートの前に、交際の初期の段階で、「自分はクリスチャンだから性的な行為はできない」と彼に伝えることです。交際開始を際して、クリスチャンの親に紹介して、そのようなご指導を、親が彼氏にしてくれるという家庭もあります。

     これで必ずしも「い〜じゃないの〜?」が避けられるとは限りません。しかし、そのリスクを低下させることはできます。最終的に体を求められても、「約束したはずでしょ」で、断わりやすいです。クリスチャン女子の方に不誠実さはなく、男性の方が契約違反なのですから、強気で断ることもでき、過ちに至る可能性はかなり減少するようです。

     言うのは簡単ですし、理屈ではこれで修羅場や罪が避けられるのは、頭では理解できます。でも、これができるクリスチャン女子と、できそうにないクリスチャン女子が出てきます。

     たとえば、自分から好きになって告白しておいて、こんな条件を相手に提示できるでしょうか?

     これを通達して「じゃあ、オレ付きあうのやめるわ」と言われるのを恐れてしまいます。

     彼氏に嫌がられる、嫌われる、彼氏が気分を害するなど、クリスチャン女子が言いだせず交際を続けてしまいます。


     性関係という最終目標を目指して交際を続けていく彼と、交際の過程自体を喜びとして交際を続けるクリスチャン女子。いつまでも、この交際がいつまでも順調に続くわけがありません。両者の違いはやがて「い〜じゃないの〜?」「ダメよ〜、ダメ、ダメ」の修羅場となって現れてしまいます。つまり最初から掛け違ったままで、交際をスタートしているのです。

     
     なかなか厳しいアドバイスとは思いますが、私としては、後になって悲しい形で交際が終わり、交際が傷となってしまうよりは、最初の段階で、別れたり、交際をしない選択をする傷の方が浅いように思うのです。交際を継続して最終的に惚れた弱みから過ちを犯してしまうよりは、初期段階で交際をやめて寂しい思いをする方が、当人にも神様にもベターではないでしょうか?

     初期段階でのより小さな傷を覚悟することで、最終段階でのより大きな傷を避けられるのです。交際初期に、寂しさや喪失感を恐れなければ、最終段階で過ちを犯すことはなくなります。


     クリスチャン女子が未信者男性と交際する場合は、その分岐点は、実は、交際スタート直前や交際初期の姿勢にあると言えるでしょう。その分岐点で、信仰的姿勢を表明することを避けてしまうと、交際は続くでしょうが、やがて、決定的な場面を迎えます。それは、より危険な分岐点で、つらい別れや過ちのいずれかになりやすいものです。

     最終段階まできて未信者男性が、クリスチャン女子の信仰を尊重するケースは、私が聞いてきた限りでは、かなり少ないのが現実のようです。逆に初期段階であれば、彼氏が了解してくれるケースが多いように聞いています。特に彼氏の方が、クリスチャン女子に好意をもって告白してきた場合はそうです。

     ですから、クリスチャン女子の皆さん!未信者男性と交際をされるなら、「勝負所」を早めに置くことです。気持ちは分かりますが、くれぐれも勝負を避けて、交際を続けないことをお勧めします。

     
     今回のアドバイスが、「い〜じゃないの〜?」「ダメよ〜、ダメ、ダメ」の修羅場を避けて、辛すぎる別れや重大な過ちを経験することなく、クリスチャン女子たちが、祝福の結婚に向かって歩んでゆける役に立てればうれしいです。
    | ヤンキー牧師 | キリスト者としての性を考える | 22:50 | - | - | - |
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