命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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阿久悠に学ぶ現代日本の恋愛観
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     40歳になるまで、私は歌謡曲を馬鹿にしていました。しかし、大衆音楽に目覚め、音楽産業の構造を学び、歌謡曲が洋楽の大衆化であること、そして時代の精神を見抜きそのニーズを満たす世界であることを知ったとき、私はもはや歌謡曲を見下すことはなくなりました。むしろ、そこに評価すべきものや、その世界での音楽表現の豊かさを見つけられるようになったのです。

     先日の夜は、阿久悠さんの追悼番組を少し観ておりました。阿久悠さん作詞の沢田研二の曲を聴きながら、見事なロックの歌謡曲化に感心し、演歌作品の数々には従来の美学を打ち破る前衛性すら感じてしまいました。

     特に「津軽海峡冬景色」の完成度とクリエイティブさは恐るべきもので、中途半端なロックバンドなどは、この曲の前でロックスピリットの無さをお詫びしてほしいです。「俺たちのロックスピリットはあんたの演歌スピリットの足元にも及びません。ごめんなさい」と。

     きっと阿久悠さんは、青島幸男さんと並んで、時代の精神を読み取り、半歩先にそれを示してきた超一流の表現者だったのだと思います。また、彼は常に従来の恋愛観や美学に縛られず、むしろ、それへのアンチテーゼを試みておられたようです。

     具体的には「どうせ私は・・・」や「しょせん世間は・・・」という歌詞は書かないことに決め、従来の、あきらめと自虐性を詩の中から排除したそうです。さらに「女性が恋愛において結論を出すのもあり」という方針を打ち出し、従来の「決断できない女性」という観念を打ち破りました。

     「あきらめと自虐性の排除」と「主体的に決断する女性」という面に限って言えば、信仰に通ずる面もあるかもしれませんね。

     別の番組での報道によれば、生前の阿久悠さんは「最近のヒット曲は、『あなた』という歌詞がなくなり『わたし』や『ぼく』が増えたね。」と指摘しておられたとか。

     私がブログで、「恋愛後出しジャンケン」やら「無痛恋愛」やらで指摘するとっくの昔に、「現代恋愛の自己中化」を音楽の世界で見抜いておられたのでしょう。

     愛する「あなた」よりもそのあなたを愛する「わたし」にスポットを当てた方が、共感を得て、支持をされるとは、恐ろしい社会になってしまったようです。

     恋愛という他者を愛する行為や関係においてさえ、それによって苦しむ自分、喜ぶ自分、切ない自分、ときめく自分、傷つく自分が、相手より大切なのでしょうか?恋愛の世界でさえ、自分が興味関心の中心は自分ということでしょうか?「自己愛を克服し得ない恋愛など、恋愛ですらないわ!」とおじさんは怒ってしまいます。

     そういう自己中恋愛者には第一コリント13章を歌詞に転用して、歌って聞かせてやりたいですね。

    ♪愛は自分の利益を求めません(13:5)♪と。
    | | ポップと演歌が描く恋愛と性 | 07:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - |









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