命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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代理母出産・障碍児受け取り拒否(3)商品化により生産・管理・供給される命
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     またまた、続きの記事を書こうとしていたら、昨日はタイの代理母に関係する別の事件が報道されました。

    タイで乳児9人を保護、父は日本人か 代理出産施設など摘発

     いろいろな情報を総合すると、24歳の実業家である日本人男性が、後継者候補として自分の子どもを代理母に産ませたとのこと。代理人の弁護士がそのように説明しており、違法性がないと主張しているようです。ベビーシッターたちは、代理母とはどうも別人のようで、一人だけいる日本人女性はこの男性の秘書とも言われ、その女性は自分の子どもだと主張しているそうです。

     DNA検査などと捜査が行われているようです。警察介入後、この男性はマカオに移動しており、警察は行方を追っているとのこと。あまりに不自然なことですから、当然、これは人身売買のなどの犯罪や不正な代理母出産ビジネスなどが疑われます。

     タイは、人身売買の発信国と言われています。タイから世界中に乳幼児が売買されて行きます。今回の件では、身元不明の子どもたちを誕生させ、売っていた可能性が疑われます。そうした場合は、不妊夫婦への養子縁組ではなく、奴隷労働や性産業従事、臓器売買の資源とされることが予想されます。つまり、大人に利用、搾取されるための命を生み出して売っているのです。

     一部報道では、この9人を含めて12人の乳幼児が、代理母出産によって誕生しており、一人の赤ちゃんは日本に渡っているとのこと。


     この事例は、通常の代理母ビジネスとして、かなり不自然です。この男性と秘書とされる日本人女性の発言がただしいとすれば、この男性は、同時期に多くの子どもを持ったわけです。また、この女性はこのマンションで自分の子を育てているわけです。

     ですから、あくまで仮定ですが、私が想像する最悪のケースは、こういうことです。

     この男性と秘書の女性の間(日本人同士)で胎外受精が行われる→その受精卵を低価格で依頼できるタイ人代理母の胎内で育てて出産→マンションでベビーシッターを雇い、斡旋先が見つかるまで、お世話する→「日本人の赤ちゃん」として高価格で取り引きがされる。

     これは、「日本人の赤ちゃん」というブランド商品の大量生産システムです。そして、血のつながったわが子を商業目的で譲渡しているという「鬼畜ビジネス」です。さらに、子どもたちは両親の愛を受けて育つとは限りません。私の知識では、これでは日本への国際養子縁組はできないだろうと思うからです。だとすれば子どもたちは、奴隷労働、生産業従事、虐待目的などに利用される可能性も高くなります。ますます、これは「鬼畜ビジネス」です。

     もちろん、これは今回の件についての私の勝手な最悪の想像に過ぎません。事実がそうでないことを願います。しかし、法規制が十分されておらず安価で依頼できるタイの代理母システムを用いるなら、こうした悪徳ビジネスが可能となるのは事実です。そして、人を人とも思わぬ犯罪組織がこれに関係する可能性が高くなるわけです。だからこそ、代理母ビジネスの標的になる貧しい国は自国の法整備が、依頼者となる豊かな国は国際間での取り決めが必須なのです。

     今朝のテレビ番組の中で香山リカさんは保護された9人の子どもたちのことを一番問題にしておられました。それぞれの子どもに人生があること、また、乳児期の劣悪な育児が成人以降に問題となって発症することをあげて、こうした育児環境に置くことの問題を指摘していました。


     代理母が産業化されていく中で、「生まれ来る子どもの命は何か?」が問われます。この産業システムの中では、子どもは、「依頼者という顧客を満足させる商品」のように扱われます。それは商品ですから「生産・管理・供給」というプロセスを歩んでいきます。

     胎外受精卵というから、代理母というを借りて、乳児という命が生産されます。そこに至るまでの商品ですから、商品管理が為されます。障碍児は規格から外れた不良品扱いをされ、今回のように中絶が求められることも。また、事実上タイの代理母システムでは、男女の産み分けという商品管理もされているようです。このようにして最終的に顧客のニーズにマッチした乳児という商品が供給されるのです。


     農業も牧畜業も命を育て、生み出し、管理し、供給する産業です。食用の命が商品化され、それによって、人命は支えられています。それは、基本的かつ尊い産業だと思います。しかし、人命を食用の命と同等に扱ってよいものでしょうか?神のかたちを宿す人間の命を、それを持たない動植物の命と同等のように扱うことは、神の御心にかなうのでしょうか?

     もしかしたら、私たちは、神のかたちの有無という人間と他の生命との絶対的な差異を見失っているのかも知れません。人類があまりに自らの欲望を肥大させ、それを無制限に肯定し、その実現こそが幸福であるかのように考え違いしたために、動植物との絶対的な差異という人間の尊厳を自らの手で放棄しかけているのかもしれません。

     障碍児受け取り拒否事件と今回の邦人による異様な事件を期に、少し立ち止まって考えてみてはどうでしょう?生まれ来る命の商品化、人間と他の生命との絶対的差異、そして、欲望のあまり自らの手で人間の尊厳を放棄しかねない私たちの愚かさ、罪深さを。
    | ヤンキー牧師 | 生命の尊厳・生命倫理・医療倫理 | 15:05 | - | - | - |
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