2014.07.24 Thursday
碓井先生の発信〜少女を犯罪から守る、犯罪被害者少女を守る
yahoo!ニュースで、碓井真史先生が岡山小学生誘拐事件に際して有益な発信をしておられます。碓井先生は、クリスチャンでアッセンブリー教団の信徒さんです。「さんまのホンマでっかTV」の初期にはレギュラーで出演しておられました。
二つあるのですが、一つは子どもを守るために大切な教えです。
変質者犯罪から子ども守ろう:少女誘拐監禁事件の犯罪心理学(岡山小6誘拐監禁事件から)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/usuimafumi/20140721-00037583/
「怪しい人についていってはダメ」「知らない人についていってはダメ」では、不十分とのこと。私自身も、児童期幼児期に性犯罪被害を受けたクリスチャン女性に何名もお会いしてきましたが、性犯罪加害者の多くは、子ども好きで優しく知り合いの大人であることが多いのが事実です。「大人を信用するな」ではなく、「大人の中には悪い人もいる」と教えるようにとの指針も、なるほど納得です。
本日、特にお伝えしたのはこちらの方です。
ネットと世間に流れる「少女はなぜ逃げなかったか」に答える:岡山小6少女誘拐監禁事件被害者保護のために
http://bylines.news.yahoo.co.jp/usuimafumi/20140721-00037585/
性犯罪にあった子どもを責めないことです。これは大人の女性たち(時に男性たち)も同様です。逃げられないという心理、生き延びるためには加害者の指示に従わざるを得ない現実などを記しておられます。このことは、是非ともお読みいただき、とりわけ犯罪被害者少女や女性に、寄り添い助ける際に活かしていただきたい内容です。
一般的に性犯罪被害者となった女性たちは、間違った理由でしかも過剰に自分を責める傾向があります。「あの場所に行かなければ」「もっと慎重に行動していたら」「信用した自分が愚か」など、自分を責めて苦しみ続けるのです。周囲が、「あなたは悪くない、悪いのは加害者」と繰り返し、伝えていくことが大切なのです。
残念ながら、キリスト教会でも、こうした知識がないために、性犯罪被害にあった女性が周囲に責められて苦しむケースは少なくありません。先輩のクリスチャン女性が、「そんな服装」「そんな時間」「男女二人になるのは非常識」などと被害者女性側の非を指摘し、責めることがあります。加害者が牧師であったりすると、このパターンは残念ながら多いです。まるで被害者女性が誘惑して牧師に罪を犯させたかのように言われることがあるのです。これは、残酷極まりありません。断じてあってはならないことです。
さらに残念なことにキリスト教会では時に、「赦しなさい」と加害者に対しての赦しを強要されたり、赦さないことを責められるのですから、最悪です。これは聖書の赦しの教理の乱用、誤用であって、被害者の傷をさらに深め、その回復を著しく妨げるものです。
被害者から、相談を受けた牧師も、悪気はないのですが、被害者女性の非を指摘してしまい、傷つけることはあるように感じています。私自身も思うのですが、男性牧師にとっては、これを徹底するのは、意外と難しいのでは?相手の心に寄り添う共感性より物事の善悪の判断や因果関係を優先しがちな男性指導者は、くれぐれも気を付けたいと自戒しています。
どんなにみ言葉に精通しており、聖書の教理を正しく理解していても、人間理解において欠けているなら、み言葉と教理の誤用、乱用がおこり、相手を活かすのでなく、傷つけ殺してしまうことすらあるものです。それは、第一コリント13章2節が示しているとおりです。あらゆる奥義と知識に通じていても、山を動かす信仰さえも、「愛による他者理解」や「愛による想像力」がないなら、何の値打ちもないのです。
大切な子どもたちを、犯罪から守るために、また、とりわけ性犯罪被害者を守り支えていくために、その「愛」が「愛として働く」ために、碓井先生の記事が用いられたら感謝なことです。
二つあるのですが、一つは子どもを守るために大切な教えです。
変質者犯罪から子ども守ろう:少女誘拐監禁事件の犯罪心理学(岡山小6誘拐監禁事件から)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/usuimafumi/20140721-00037583/
「怪しい人についていってはダメ」「知らない人についていってはダメ」では、不十分とのこと。私自身も、児童期幼児期に性犯罪被害を受けたクリスチャン女性に何名もお会いしてきましたが、性犯罪加害者の多くは、子ども好きで優しく知り合いの大人であることが多いのが事実です。「大人を信用するな」ではなく、「大人の中には悪い人もいる」と教えるようにとの指針も、なるほど納得です。
本日、特にお伝えしたのはこちらの方です。
ネットと世間に流れる「少女はなぜ逃げなかったか」に答える:岡山小6少女誘拐監禁事件被害者保護のために
http://bylines.news.yahoo.co.jp/usuimafumi/20140721-00037585/
性犯罪にあった子どもを責めないことです。これは大人の女性たち(時に男性たち)も同様です。逃げられないという心理、生き延びるためには加害者の指示に従わざるを得ない現実などを記しておられます。このことは、是非ともお読みいただき、とりわけ犯罪被害者少女や女性に、寄り添い助ける際に活かしていただきたい内容です。
一般的に性犯罪被害者となった女性たちは、間違った理由でしかも過剰に自分を責める傾向があります。「あの場所に行かなければ」「もっと慎重に行動していたら」「信用した自分が愚か」など、自分を責めて苦しみ続けるのです。周囲が、「あなたは悪くない、悪いのは加害者」と繰り返し、伝えていくことが大切なのです。
残念ながら、キリスト教会でも、こうした知識がないために、性犯罪被害にあった女性が周囲に責められて苦しむケースは少なくありません。先輩のクリスチャン女性が、「そんな服装」「そんな時間」「男女二人になるのは非常識」などと被害者女性側の非を指摘し、責めることがあります。加害者が牧師であったりすると、このパターンは残念ながら多いです。まるで被害者女性が誘惑して牧師に罪を犯させたかのように言われることがあるのです。これは、残酷極まりありません。断じてあってはならないことです。
さらに残念なことにキリスト教会では時に、「赦しなさい」と加害者に対しての赦しを強要されたり、赦さないことを責められるのですから、最悪です。これは聖書の赦しの教理の乱用、誤用であって、被害者の傷をさらに深め、その回復を著しく妨げるものです。
被害者から、相談を受けた牧師も、悪気はないのですが、被害者女性の非を指摘してしまい、傷つけることはあるように感じています。私自身も思うのですが、男性牧師にとっては、これを徹底するのは、意外と難しいのでは?相手の心に寄り添う共感性より物事の善悪の判断や因果関係を優先しがちな男性指導者は、くれぐれも気を付けたいと自戒しています。
どんなにみ言葉に精通しており、聖書の教理を正しく理解していても、人間理解において欠けているなら、み言葉と教理の誤用、乱用がおこり、相手を活かすのでなく、傷つけ殺してしまうことすらあるものです。それは、第一コリント13章2節が示しているとおりです。あらゆる奥義と知識に通じていても、山を動かす信仰さえも、「愛による他者理解」や「愛による想像力」がないなら、何の値打ちもないのです。
大切な子どもたちを、犯罪から守るために、また、とりわけ性犯罪被害者を守り支えていくために、その「愛」が「愛として働く」ために、碓井先生の記事が用いられたら感謝なことです。