命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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「真面目、熱心、思いやり+熟年、思慮分別=女性問題大丈夫」からの卒業
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     小学校の校長が、校内のトイレで女性教員を盗撮した件が報道されています。詳細はこちらのNHKのWEBニュースで。

    「小学校長がトイレで盗撮容疑逮捕」
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140608/k10015057221000.html

      性的問題を起こす教師は、多くの場合、「真面目な先生」、「指導熱心」、「生徒思い」なのです。「それなのになぜ?」という声が出てきます。しかし、実際には、生徒や父兄や同僚教師から信頼度や評価の高い教師が、この手の性的問題を起こすものです。

     最近は医師や弁護士なども、同様の事件があったと記憶します。「先生」と呼ばれるような職業にある熟年男性が、引き起こす残念な性的逸脱行為・・・。でも、多くの人は繰り返される報道や経験値から統計学的に、気が付いています。なぜか、「真面目」、「熱心」、「いい人」が、そして、「地位も立場も分別」もある熟年男性が、そうした逸脱に走ることを。


     このことは、学校だけでなく、企業のリーダーや教会のリーダーも例外ではありません。本ブログは、何度か、地位も立場も分別もある50代以降の熟年男性が性的不祥事を起こる理由を、聖書の事例も引用して、記しています。必要と関心のある方はご参照ください。

    男が危ないTPO(1)
    http://blog.kiyoshimizutani.com/?eid=1285

    「権力者たちの密会現場が意味するもの」
    http://blog.kiyoshimizutani.com/?eid=1859


     藤掛明先生はこの分野において、ご経験をも踏まえて、優れた見解を発信しておられます。代表的な記事を二つ紹介します。

    「宗教者の二元論」
    理想論に立って努力するタイプほど、危機に直面すると柔軟に対処できず逸脱するのでしょう。
    http://fujikake.jugem.jp/?eid=3895

    オピニオン「指導者の使命感と共感性」
    使命感の視点から、逸脱行為が解説されています。
    http://fujikake.jugem.jp/?eid=1141


     地位と立場があるからこそ、力の確認作業として性的逸脱行為が必要となるのです。その必要性は、熟年男性の思慮分別など軽く吹き飛ばすほど強力なのでしょう。さらに深く考察するなら、藤掛先生がご指摘されるように「聖職」と呼ばれるような職業においては、特に理想論に走るために、二元論的発想に陥る危険があるのでしょう。真面目で熱心でいい人だからこそ、熟年期の危機に直面した時に、柔軟に対処できず、逸脱行為に走ってしまうようです。

     この手の事件が起こるたびに、下世話な表現で恐縮ですが「下半身は別人格」のような言葉を耳にします。しかし、私は全く逆の理解をしています。恋愛行動、性的行動にこそ、その人物の人格の歪みが未成熟さや出ると考えるのです。真面目で熱心で思いやりの深く見える人物が持つ、人格の歪みや未成熟さが、逆に性的逸脱行為となって表れてくると理解しています。

     むしろ、過剰な真面目さや熱心さや思いやりの深さが、実は、その人物の人格の歪みや未成熟さを発信源としていることすらあるのだと考えています。これは極論ですが、最も成熟しバランスのよい人格の持ち主とは、別れてもよい思い出になるような恋愛ができる人、円満な結婚生活幸せな性生活を送ることのできる人物ではないかと思うようになってきました。

     熱心な教会生活や職業生活真面目一筋の性格強烈な使命感純粋で理想追求姿勢は、一見好ましく思えるのですが、必ずしも、その人物の成熟したバランスのよい人格を意味するわけではないと考えています。(もちろん、未熟さを意味するのではありません)この人格的成熟は信仰者としての成熟と連動しているのだろうとも感じています。このことは、私自身も50歳を過ぎてようやく分かり始めました。個人的には、40歳くらいで卒業しておけばよかったと後悔しています。


     生徒と父兄から支持される熟年男性教師、部下や同僚の信頼が厚い熟年男性上司、信徒と同労者の尊敬を集める熟年男性牧師。そのこと自体もは、また、そこまでに至った努力も、賞賛されるべきことでしょう。しかし、それは、必ずしも当人の人格的成熟度を意味していはいませんし、逆に、逸脱のリスクの高さにもつながりかねないと思うのです。

     それなのに、当人も周囲の者も、「真面目、熱心、思いやり」と「熟年、思慮分別」をもって、「女性問題絶対安心」と判断しがちなのが現実です。だから「まさか」「どうして」となるのです。教育現場やキリスト教会で繰り返される同様の事件を、嫌というほど耳にしてきたお互いは、そろそろ、この発想を卒業できるのではないでしょうか?積み重ねてきた残念な事例の数々から、この発想の間違を認めて、別の発想に移るべきだと思うのです。


    「真面目、熱心、思いやり」+「熟年、思慮分別」=「女性問題、絶対安心」→「祈らない、考えない、守らない

    ではなく、

    「真面目、熱心、思いやり」+「熟年、思慮分別」=「女性問題、一応心配」→「祈るし、考えるし、守る工夫するし

    へのシフトチェンジ。


     「先生」と呼ばれる熟年男性たちが同様の逸脱から守られるために、このシフトチェンジが必要かと思うのです。今回の校長の事件を通じて、そんなことを考えてみました。今回の記事が身近にいる該当者の方を守る一助になれば感謝なことです。
    | ヤンキー牧師 | 教会不祥事&AERA報道関連 | 21:08 | - | - | - |
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