命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
<< 5月のご愛読の感謝と人気記事の紹介 | main | 第三回ローザンヌシンポジウムは、満員御礼、激若状態! >>
中村うさぎの背景にピューリタニズムを見抜いた佐藤優
0
     一昨日の中村うさぎさんの記事が好評なので、補足として一つ記事を記します。中村うさぎさんは、佐藤優氏との対談本を二冊出版しています。一つ目は、佐藤氏がうさぎさんに「一緒に聖書を読みましょう」と呼びかけ、11年に出版されたのが、「聖書を語る・宗教は震災後の日本を救えるか」です。その続編となる対談本「聖書を読む」は2013年に出ております。私の近所の図書館には両方ともありました。

     「聖書を読む」のあとがきには、佐藤優氏が、中村うさぎさんと聖書を読もうとした動機と経緯が記されてます。佐藤氏をご存知ないクリスチャンには、少しだけ説明しておきます。佐藤優氏は、同志社大学の神学部を卒業後、外交官として活躍。「外務省のラスプーチン」と呼ばれたりしました。鈴木宗男事件に連座して逮捕され、獄中生活を送ります。その後、執筆活動が仕事のメインとなり、出版の世界で生きることになります。

     実は、出版の世界に入ろうとしたときに、佐藤氏が読んだのが、うさぎさんの代表作とも言える「女という病気」。佐藤氏は、直接的にキリスト教に触れていない書物にも、かかわらず、うさぎさんにプロテスタントの背景が強くあることを直感的に見抜きます。それだけでなく、うさぎさんの破滅的な生き様に、ピューリタン的な信仰の影響を見て取ったのです。

     ホスト狂い、買い物依存、整形依存の三つは、まさにピューリタンの信仰理解にピッタリ反するからです。ピューリタンが大切にする性的聖さと結婚尊重の正反対のホスト狂い。勤労と節約を尊重する教えに反する買い物依存、整形どころか濃い目の化粧でさえ罪悪視しかねない文化に反抗するような整形依存。どれもが、ピューリタンの信仰理解や文化に対して狙い撃ちで反抗するようなあり方に、佐藤氏は、見抜いたそうです。うさぎさんは、プロテスタント、しかもピューリタンの流れにある教派の出身であると。優れた知識と鋭い洞察力の持ち主ならではのことでしょう。

     日本のプロテスタント教会は、全体として非常にピューリタンの影響が強いと言われます。個人的にはそれはよいことだと思っています。異教的文化の中では、禁酒禁煙などノンクリスチャンとは異なるライフスタイルを際立たせるあり方は、インパクトある証だと思うからです。私自身も禁酒禁煙主義なので、非常にピューリタン的だと自覚しています。そのこと自体は大変感謝しております。


     ただ、こうしたピューリタン的な信仰者は、自戒を込めて記すのですが、親として気を付けなければらならいことが多いと考えています。いくつか、あげてみましょう。

     厳格な教育は時に、「親に従うこと=神に従うこと」のように子どもに伝わってしまいます。親に従うことは最終目的ではなく、それを通じて、神を愛し従う(従うのは愛が動機)ことが、最終目的なのに、子どもの中では、本末転倒してしまいます。親の使命は子どもを自分に従わせることでなく、それを通じて神様に従うように育てることですが、子どもの目には、親が自分に子どもを従わせるようにしか見えないことも。これはクリスチャンホームによく起こる親子間の誤解のようです。

     そのことは、思春期以降の教会離れに拍車をかけます。「それゆえ男は父母を離れ」(創世記2:24)とあるように、思春期以降は、親から離れながらキリストにつながるのが正常かつ健全。しかし、思春期後も、「親に従うこと=神に従うこと」が、続くと、「親への反発=神への反発」となり、「親からの自立」そのまま「教会生活からの卒業」につながってしまいかねません。

     また、親の内側で、信仰が道徳化されていると、子どもには「信仰=道徳規範」として伝達されてしまい、信仰継承の妨げになりかねません。極論すれば「いい子、優等生で、教会に行け」というメッセージばかりが伝達され、「悪い子のまま愛されているから大丈夫、そのままでイエス様信じよう」というメッセージは伝わりません。

     さらに、信仰が道徳化されると、外面的行動が内面より重視されるようになります。たとえば「礼拝、聖書、お祈り、奉仕、献金」の5点セットの実行が、信仰のアイデンティティーとなってしまいます。つまり「行動義認」となり、「信仰義認」の真逆となります。この五つの行動をしていれば、逆にそれをする際の心や動機は問われないのです。動機となるはずの愛は子どもに伝わりません。これは、「仏作って魂入れず」ならぬ「信仰生活作って愛入れず」と言えるでしょう。

     
    「クリスチャンにすること」ばかりを願い「神を愛する子になること」を忘れ、「クリスチャンをする」見本を見せても、「神を愛して生きる」模範を示していないということが、起こりやすいように思うのです。このことは、イチローの父親の言葉を引用してかつて記事にしましたし、以前、教会学校教案誌「成長」の巻頭言としての掲載していただきました。

    「クリスチャンをうまくなる努力?<キリストを愛する努力」
    http://blog.kiyoshimizutani.com/?eid=2012

     参考までにその記事はこちら。


     「親に従うことの自己目的化」、「外面的行動の重視」、「信仰の道徳化」が親の中にあると、子どもの目には「信仰は不自由で、抑圧的で、喜びがなく、自分を殺すもの」と映ってしまいます。逆に教えや文化規範に従えないことに過剰な罪悪感を与えてしまい、子どもが、自罰的、完全主義的となり、精神衛生上もよくないと思える面も。

     ピューリタン的な信仰理解は、決して、「親に従うことの自己目的化」、「外面的行動の重視」、「信仰の道徳化」ではありません。しかし、神様の恵みに生き切れない私たちは、そのようにして、「行動義認」と「自己義認」に走ってしまいやすいのが現実でしょう。

     親の信仰の未熟さや歪みは、結果的に、子どもを抑圧疎外し、信仰から離れさせかねないのでしょう。とりわけ、うさぎさんのように、鋭い感性の持ち主の場合は、親への屈折した心情を形成し、それが大きな逸脱を引き起こしかねないように思うのです。うさぎさんは、キリスト教への「愛憎」を正直に告白しておられます。

     
     日本に伝えられたピューリタニズムへの感謝

     それさえ「行動義認」と「自己義認」の材料としかねない罪人のどうしようもない愚かさ

     それ故に親の下で、信仰による疎外の犠牲者とされかねない子どもたちの悲劇

     これは「ピューリタニズムの落とし穴」と呼ぶべきではないでしょう。

     「ピューリタニズムという強固な地面に、自ら落とし穴を掘って、親子共に落ちかねない私たちの罪深さ」と呼ぶべきでしょう。

      中村うさぎさんの生き様、それの背景としてのピューリタニズムを見抜いた佐藤優氏の洞察力に触れながら、そんなことを思わされました。


    〈追記〉
     さっそく、神学的突っ込みをいただきました。
    のらくら者の日記「ピューリタニズムのステレオタイプ
    http://seikouudoku-no-hibi.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-56ee.html

     日本で出回っているのは「ピューリタニズムのステレオタイプ」とのことです。そうだったのかー!知らなかったよ、空がこんなに青いとは、知らなかったよ、ピューリタニズムがステレオタイプだったとは。

     どうも、佐藤優氏が見抜いたのも、私が論じたのも、いかにもの「日本に出回っているピューリタンのステレオタイプ」のようです。もしかすると、そもそも日本に出回っているピューリタニズムが真正ではなく、ステレオタイプなのが、問題なのかもしれませんね。神学に疎いところへの援護射撃に感謝します。私の見解は、この記事の見解を参考にして、ご検討ください。

     〈さらなる追記〉
     続いてこちらからも援護射撃をいただきました。本来のピューリタニズムを教えてくれる幸いな記事です。そして、どこかどう間違って、私も含め、ピューリタニズムの本質を外面的文化や人間的道徳行為に取り換えて、誤った理解をしやすいのかを示してくれています。

     「一キリスト者からのメッセージ」より「ピューリタン雑考」
    http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=577
    | ヤンキー牧師 | キリスト教界(論説読みきり) | 11:27 | - | - | - |
    1234567
    891011121314
    15161718192021
    22232425262728
    2930     
    << September 2019 >>
    + SELECTED ENTRIES
    + RECENT COMMENTS
    + RECENT TRACKBACK
    + CATEGORIES
    + ARCHIVES
    + MOBILE
    qrcode
    + LINKS
    + PROFILE