命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
<< 国際福音キリスト教会、民事裁判、判決内容と声明文 | main | 明日が申込み締切!第三回ローザンヌシンポジウムのお知らせ >>
「教会内・戦前天皇制・再現現象」としてのカルト問題
0
     天皇家と出雲家の間での結婚が話題となっております。私は日本神話には詳しくないのですが、これは「日本神話に遡る縁」「2600年の時を超えた歴史的結婚」のような意味があるそうです。その理由は、天皇家(大和族)がアマテラスの子孫で、出雲族はアマテラスの弟スサノウの子孫オオクニヌシの家系だからとのこと。

     私はカルト問題の原因を尋ねられると、その内面的一因として、日本人が心の奥底に持つ「内なる天皇制」を指摘します。以前、辛淑玉(シン・スゴ)さんは、雑誌Ministryの対談で、「日本のキリスト教会は、天皇制に対して批判的だが、教会内部で天皇制をしているではないか?」という趣旨の痛い批判をしておられました。

     万人祭司のはずが、聖書を読み思索判断せず、思考停止のように指導者の言葉や意向に従う依存的な姿勢。キリストでなく指導者につながりやすい体質、ともすれば、指導者を絶対視、あるいは神格化するような傾向、指導者との関係による神の民としての民族的アイデンティティー獲得、指導者に疑問を持つ者への排除姿勢などは、戦前の天皇制の下にあった日本国家と極めて似ています。


     敗戦以降の象徴天皇制の下でも、日本のクリスチャンたちの心の奥底にある「内なる天皇制」には、あまり、福音の光が差し込むことがないまま、日本のキリスト教会は歩んできたのかもしれません。教会の外にある天皇制に対しては、批判的であっても、教会内の信徒の「内なる天皇制」に対しては、批判能力を喪失してきたように感じています。外なる天皇制とは戦ってきた教会も、内なる天皇制とは戦うことなく、戦後の教会形成を進めてきた面もあるのでは?

     それ故に、何らかのきっかけがあれば、キリスト教文化の姿をとって、時に、それを支持する聖句引用を伴って、教会内で、戦前の天皇制が再現されてきたように思うのです。「教会を(神様でなく)自分の意図通りに支配したいと願う指導者」と「聖書からの自己判断を放棄して楽な信仰生活を望む会衆」が出会えば、両者の非聖書的要望は一致します。そして、「教会内戦前天皇制」に向かってしまうケースは少なくないようです。

     その結果としての「絶対的指導者と思考停止で服従する信徒」という構図はまさに、「戦前の天皇制の教会内における再現」ではないでしょうか?とりわけ、日本のキリスト教会におけるカルト問題などは、聖書的教会観の体現の対局でありましょう。それは、言うなれば、聖書とは異なる日本神話の体現なのではないかと思います。2600年の時を超えた「教会内日本神話再現現象」、そのようにカルト問題を見ることも可能ではないでしょうか?



     先日、7,8年ぶりに尊敬する先輩牧師から、宣教についての理念をお聞きしました。その先生は「どの民族、どの国家にも偽りの物語がある、それを転換して福音宣教がなされることが大切」との見解をお持ちでした。さっぱり理解できない私は、「偽りの物語とは何ですか?」と素直に質問。

     そこで、実例として示して下さったのが、日本国家、あるいは日本民族?に伝承されている「偽りの物語」でした。「日本は昔から、人間を神様として、その人物を拝んで、その人物に従って、その人物を中心に共同体を構成してきた」、それが「偽りの物語」だとおっしゃるのです。この「偽りの物語」を転換させるとの宣教理念は、知り合いの宣教師によれば、宣教学の最先端なのだとか。


     一連のお話しの中で、興味深く思ったのは、「この偽りの物語には原発問題やカルト問題も含まれる」との見解でした。そして、今回の結婚報道に触れて、思ったのです。「戦前の天皇制、原発問題、カルト問題、どれも神話だよなー」と。現人神が神話であったこと、原発の安全も神話だったこと、牧師が絶対というのも神話と判明してきたこと、まさにどれも神話です。

     そして、もう一つ思ったのです。「どれも、クリスチャンが騙されるよなー、自分だって例外ではないよなー」と。残念ながら、この三つのどれについても、日本のクリスチャンたちは、一定騙されたり、妥協したりで、日本社会に十分な証しができてこなかったわけです。(これは天皇制、原発の是非とは別問題として受け止めて下さい。)私自身、日本クリスチャンの一人として悔い改めるしかありません。そして、悔い改めの実を結ぶしかないだろうと思っています。この記事もその一環として記しています。


     民族や国家に語り継がれ、精神的DNAのように心の奥底に潜み、人を強烈に支配し動かす「偽りの物語」。それが、私が「内なる天皇制」と呼んでいたものの正体、あるいはさらに深い本質ではないかと思ったのです。私なりに言い換えるなら、それは、民族の心の中に深く根付いている「指導者、支配者を神格化し、思考停止での従属によって、アイデンティティー獲得と共同体の一致を求める思い」と言えるでしょうか。

     日本の教会が持つ「どうしようもない権威主義への親和性」「万人祭司実現への拒否反応」「カルト化への潜在的危険性」などは、こういったことに由来するように考えたのでしょうが、どうでしょうか?
     

     多様な解釈がありますが、日本神話は、編纂を命じた天皇の意向に沿って、支配者が神格化され、実際の歴史や支配が、投影された物語だと私は受け止めています。当然、神格化によって、その支配は正当化され、民が支配者に従うことが、神への従順であり、逆らうことは神への反逆となるわけです。神格化された支配者は絶対者となり、民は絶対者への服従が唯一の選択となります。服従しなければ排除あるのみです。

     残念なことに、極一部のキリスト教会では、「日本神話」でなく「聖書」を用いて同様の教えがなされているようです。「支配者」が「牧師」に、「民」が「信徒」に置き換わり、同じ教えが、説かれ、教会内で戦前の天皇制が再現されているかのようです。そして、これが実現可能となってしまう根底には、2600年?にもわたって、日本に生きる者たちの心の奥底に植えつけられてきた「偽りの物語」があるように思っています。


     外なる天皇制の世界では、多分、戦後初めて日本神話によって神格化された家系の間での歴史的な結婚がなされようとしています。それに対して、内なる天皇制の世界において、戦後ずっと、一部の教会の中とはいえ、「聖書によって神格化された牧師絶対的服従が求められる信徒」という関係が継続してきたとすれば、それは、あまりにも痛い皮肉でありましょう。

     昨日の民事裁判の判決報道と今回の結婚報道を受けて、そんなことを考えてみました。今回の天皇家と出雲家の結婚報道は、多くのクリスチャンに、外側の天皇制の問題を考えさせるものでしょう。しかし、この記事の趣旨はそこにはありません。どうか、今回の結婚報道を機に、「教会内戦前天皇制再現現象」や日本のクリスチャン個々の「内なる天皇制」、心の底に潜みながら福音の光を当てられていない「偽りの物語」についても考えていただければと願ってやみません。

    〈後記〉
     一読者より、天皇家(大和族)はアマテラスの子孫で、出雲族はアマテラスの弟スサノウの子孫オオクニヌシの家系とのするのが一般的とのご指摘をいただきました。愛のご指摘を感謝します。ご指摘を受けてこの記事の一段落目は訂正させていただきました。
     wikipediaの「日本神話」の「出雲神話」にその記述があるとのご紹介をいただきましたので、ご参照ください。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E8%A9%B1
    | ヤンキー牧師 | キリスト教界(論説読みきり) | 14:08 | - | - | - |
        123
    45678910
    11121314151617
    18192021222324
    252627282930 
    << November 2018 >>
    + SELECTED ENTRIES
    + RECENT COMMENTS
    + RECENT TRACKBACK
    + CATEGORIES
    + ARCHIVES
    + MOBILE
    qrcode
    + LINKS
    + PROFILE