命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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他者支配のための暴力
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     他者を自分の思い通りにコントロールするために、暴力ほど、即効性があり、インスタントな手段はありません。

     暴力を用いれば、親は子どもを言いなりにできます。夫は妻を奴隷にできます。教師は生徒に言うことを聞かせられます。ビール一杯に数万円を払わせることができます。気の弱いそうな中高生から、財布の中身全部を奪い取ることもできます。

     今回は夫婦、親子、師弟関係について、暴力の即効性とそれ故に起こる依存と問題点を簡潔に記します。

     まずは、夫婦。夫が妻を暴力によって、支配するのは、私たちの多くが時々耳にして、心痛めていること。肉体的な暴力であれ、言葉による暴力であれ、それを受け、支配されてしまった妻の自己価値や自尊感情は著しく低下し、隷属者の感情にどっぷりになっていきます。その関係は、夫婦(人生のパートナー)ではなく、主人と奴隷の関係でしょう。

     そうした結婚は、創世記3:17が「あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる」と示す呪われた結婚。愛し、愛される関係でなく、支配と被支配の関係、愛の絆ではなく権力関係で結ばれた夫婦です。

     一旦、暴力という手段で、結婚関係を築いてしまうと、愛と信頼いう手段で幸せな結婚を築き上げていく方向にシフトするのが、どんなに困難であるかは想像に難くないでしょう。

     次は親子関係。子どもは親に従うべきでしょうが、親に従うことと、親の暴力を恐れて、親の言いなりになることは全く別のことです。むしろ、子どもが神に従う親の姿を見て、その親の模範に従うという図式を聖書は示しているように思います。

     さらに「主にあって親に従うこと」は子どもに命じられていることであり、親の側に命じられていることは「子どもを怒らせてはなりません」という内容です。これは子どもの人格尊重です。

     体罰については賛否両論あるでしょうが、少なくとも暴力によって子どもの人格を傷つけてまで、親の思い通りにさせることは、体罰ではありません。それは「他者支配のための暴力」に過ぎません。あくまで愛という動機で、子どもの成長や矯正を目的としなければならないでしょう。
     親子関係も、暴力に依存して形成するなら、本来の愛や尊敬、模範を示しての権威と従順などの本道を失うことでしょう

     教師と生徒の関係は一対一や一対数人でなく、一対集団であるだけに、暴力依存の誘惑は強いと言えるかと思います。体罰の是非に関係なく、親子関係同様、体罰とは言えない体罰が行われてしまうこともしばしば。愛、成長、矯正以外の動機や目的で、肉体的暴力、言葉の暴力、脅しなどによって、生徒を支配コントロールしてしまいかねません。

     かつて岐阜県で、一教師が体罰によって生徒を死に至らしめるという教育現場であってはならない事件がありました。体罰を行わなかったその加害者教師が体罰教師に転じたのは、後輩の教師から指導力不足を指摘されたからだと言います。元教師の私はその時の加害者教師の心情を察するとやりきれない思いがします。

     体罰とは言えない暴力によって生徒を支配できる能力が指導力と評価されてしまう体質が学校全体にあったのでしょう。「そんなのは教育者としての指導力ではない」と後輩教師に言い返せないような校風だったと予想できます。

     その教師は事件後に「一旦体罰を行うようになるとその即効性に魅了されてしまい、自分をコントロールできなくなってしまった」というような内容のコメントを残していたのを覚えています。
     体罰とは似て非なる暴力への依存は、正常な生徒指導を駆逐したのでしょう。

     暴力は、容易に他者を支配できる手段です。時にその即効性やインスタントさは私たちの正常な感覚を麻痺させ、暴力依存を起こさせます。その結果、私たちは夫婦、親子、師弟に限らず、正常な人間関係を作れなくなります。暴力は愛情関係、信頼関係によって形成されるべき人間関係を、いとも簡単に力関係や権力関係に変質させます。

     暴力によって歪められた人間関係からは、本当の意味での幸福や成長などは望み得ないのでしょう。学校教師や牧師として約20年間、暴力によって権力関係に変質された夫婦関係、親子関係、師弟関係を幾多となく見ながら、つくづくそう思います。
    | | キリスト教界(論説シリーズ) | 08:19 | comments(6) | trackbacks(0) | - |
    先日、杉山登志郎先生(あいち小児保健医療総合センター心療科部長兼保健センター長)が出版された
    「子供虐待という第4の発達障害」

    http://www.amazon.co.jp/%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E8%99%90%E5%BE%85%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E3%81%AE%E7%99%BA%E9%81%94%E9%9A%9C%E5%AE%B3-%E6%9D%89%E5%B1%B1-%E7%99%BB%E5%BF%97%E9%83%8E/dp/4054033652

    という本を読みました。

    夫婦間の暴力が、そのまま子供に連鎖し、そして、それが、ドンドン広がっていく。

    最近の、不思議な事件の多さ。
    そして、周囲の家庭の暴力の多さ。
    なにより、子供達から聞く暴力の多さ。
    そして、それと同じくらいの無関心と、そこからの逃避。

    古くから聖書の中で、そのことが語られているのに、非常に残念に思います。


    >暴力によって歪められた人間関係からは、本当の意味での幸福や成長などは望み得ないのでしょう。

    本当にそうですね。
    | ぴーまん | 2007/09/05 8:54 AM |
    この先生は私の地元なので、存じ上げています。記事にピッタリの著書の紹介ありがとうございます。
     本当に子どもたちからは家庭や学校での暴力をよく聞ききますね。それに対しての社会の無関心や向き合おうとしない逃避は、同じ位つらいですね。
    | ヤンキー牧師 | 2007/09/05 9:34 AM |
    妻への暴力、それは夫の自己評価の低さのあらわれでもあるかと。妻から正当な評価や尊敬が得られないストレスが暴力に繋がっていくケースもあるんじゃないでしょうか。
    エペソ5章22〜24の御言葉、妻として忘れないようにしたいです。
    | meg | 2007/09/05 4:43 PM |
    鋭い指摘ですね。妻から評価されたら、夫はどんなに自信を持ち、成長することでしょうか?こんな簡単なことを実践しない妻たちが不思議に思えてしまう私です。
     その逆が、妻への暴力になるケースは多いですよね。本当に悲しいです。劣等感やストレスを克服するには暴力が手っ取り早い手段になってしまいますからね。妻としてみ言葉に立つmegさんは偉い!
    | ヤンキー牧師 | 2007/09/05 6:08 PM |
    脅し、威嚇、人事での降格や罰、評価をちらつかせるパワーハラスメントもあります。暴力まではいなかなくても権力、権威の行使で、人を動かそうとする暴力もあると思います。
    とくに教会では、牧師や牧師夫人からパワーハラスメントを受けて去っていった人もいます。(受けたと感じる信徒側の問題もありますが)

    夫の暴力ばかりが注目されますが、その夫は、会社で上司、同僚から圧迫を受け、心理的暴力を受けてます。無能を厳しく評価される現実があります。そしてつねにそのはけ口が弱者に向かうという悪循環があります。

    武力という社会的暴力をあつかうなら、暴力をふるいような状況に追い込まれる男性に対する社会的暴力も扱う必要があると思います。男性にも解放が必要です。
    | 太郎 | 2007/09/06 10:09 AM |
    太郎さんのコメントでもう何歩か深く考えるヒントをいただきました。暴力の連鎖、世襲制、下請け構造、そんなことを考えました。次に暴力を扱う時はチャレンジしたいですね。感謝。
    | ヤンキー牧師 | 2007/09/07 9:42 AM |









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