命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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育てよう健全牧師(54)谷繁牧師
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     野球つながりで、今日のテーマは、「谷繁牧師」であります。先にお詫びしておきますが、この「谷繁牧師」は、固有名詞でなく一般名詞で、実在する谷繁姓の牧師を意図しているのでなく、たとえに過ぎませんので、ご理解をお願いします。

     谷繁監督は、監督としてゲームの指揮を執り、選手の指導・育成をするだけでなく、捕手として試合にも出場し、苦心のリードもせねばならず、さぞかし大変だろうと想像します。こういう監督と選手を兼任するあり方を「プレイング・マネージャー」というそうです。

     教会政治や教職者観は、多様でしょうが、プロテスタントの場合は、牧師は信徒ですし、理念としては万人祭司ですので、ほとんどの牧師は「プレイングマネージャー」なのが、現状でありましょう。教会の指揮を執り、信徒の指導育成という野球で言えば「監督」に専任というわけではないでしょう。

     それ自体は、問題ないと思うのですが、今回、問題として考えたいのが、教会における「代打オレ」であります。先発出場していないゲームでは、自分自身を代打として指名する可能性が、プレイングマネージャーにはあります。これって、どうなんだろうと思うわけです。

     教会の掃除当番が急遽、不都合で来れないとなれば、「代打オレ」となり、牧師が掃除をします。週報作成担当が、奉仕できないとなれば、説教準備で多忙な牧師が、週報まで自分で作成します。教会への送迎奉仕者がお休みとなれば、牧師自身が近隣駅への送迎車の運転です。

     聖書によれば、「教職がみことばと祈りに専念するための執事選出」が起源なのだから、執事や役員、あるいはその指示を受けた信徒が、「代打」をすべきだろう?というのは、聖書的な正論であっても現実論ではないのでしょうか?教会の少子高齢化や日本社会の超多忙性などで、働き手が少ない現実にあっては、牧師の「代打オレ」は、仕方ないのでしょうか?

     私の記憶が正しければ、昨夜の試合では、サヨナラ勝ちのチャンスで、「オレに代打」ということで、谷繁監督は自分の打席に代打として小笠原選手を送ったと思います。野球のプレイングマネージャーには、「代打オレ」もあれば、「オレに代打」もあります。

     しかし、教会のプレイングマネージャーには、「代打オレ」はあっても、「オレに代打」はないのが一般的です。これはなかなか厳しいですね。

     苦悩する谷繁監督を目にするたびに、牧師の苦労を覚えられてはどうでしょう?また、教会内のプレイングマネージャーについて、「聖書はどう記しているか?」「教会はそのみことばに歩んでいるか?」をお考えになってみてはどうでしょう?自らに代打を送る谷繁監督に触れながら、そんなことを考えてみました。
    | ヤンキー牧師 | 「育てよう健全牧師」シリーズ | 20:12 | - | - | - |
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