命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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国際平和装置としての暴力
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     アメリカにおいて銃がイコライザーとしての機能を持つのと同様のことが、今、地球規模で起こっているように思います。核という暴力によって、戦力の平等化がなされ、安全が実現されているというのが今の国際社会なのでは?
     
     つまり「核の傘」です。核を持つことにより、相互が攻撃できなくなり、安全が実現されるという理念や方法論は、アメリカの銃社会と同様でしょう。そして、わが国日本もそうした「国際平和装置としての暴力」に守られているわけです。

     特定の国のみが核を所有し、その力の均衡によって平和が維持されているなら、核兵器は、まさに地球規模のイコライザーでしょう。

     日本のクリスチャンの多くはアメリカの銃社会を批判するでしょうが、同様の方法で自らの安全を確保しているのでは?との反論も成り立つのでしょう。もしかしたら、「アメリカのクリスチャンは銃廃絶運動をすべき」と主張する前に日本のクリスチャンは核廃絶運動をすべきなのかもしれませんね。

     かと言って、核の傘からはずれ、別の方法で日本が安全を確保する道があるのか?それだけの自衛力を持つのか?核保有をするのか?と恒例の論議になりまねません。

     一旦、核という強大な暴力によって、平和を構築した国際社会が、暴力以外の方法によって、平和をつくることは不可能に近いように思えてしまいます。いまさら核を捨てて、対話と理解によって平和を築くというのは、あまりに遠い理想、もしかしたら21世紀のユートピアかも。

     「暴力という手段に依存してしまうと、それ以外のより好ましい手段への移行は極めて困難になる」

     私なりのこの仮説は、現在の国際社会が直面しているジレンマだと思うのですが。一度成立した暴力依存は、対話と協調のような理想の手段に後戻りすることを私たちになかなか許しません。アメリカの銃社会が持つ問題と日本の安全問題とは、実は本質は同じではないかと思うのです。

     そして日本に生活するすべての者は、好むと好まざるにかかわらず、このイコライザーの恩恵の下で暮らしているのではないでしょうか?世界唯一の被爆国として平和を希求し、いのちを大切に思うはずの日本が、実は、莫大ないのちを奪いうる暴力によってその安全と平和を保障されているというのは、あまりに直視しがたい皮肉な現実です。日本はアメリカの銃社会に自らの姿を映し見るべきなのかも。
    | | キリスト教界(論説シリーズ) | 07:39 | comments(0) | trackbacks(1) | - |









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    米国の銃規制と自民党の改憲草案 その2
    (その1からの続き) アメリカの銃社会を指差す前に そして次の記事をお読みください。 「国際平和装置としての暴力」 銃という暴力の手段を国家間のレベルで見ると、「核兵器」が平等化の機能を果たしているという見方です。私もこれに同意です。在日米軍完全撤退、自
    | ロゴス・ミニストリーのブログ | 2012/12/28 4:06 PM |
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