命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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三つの愛に愛されて生きる?21世紀のクリスチャン(2)
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     本ブログで自己愛性信仰障害をスタートし、雑誌「船の右側」でも連載をして下さり、何名かの方から、感謝の声をいただいております。その多くは、「理解困難であったクリスチャンが理解できた」というものでした。「クリスチャンなのにどうして?」が「クリスチャンでもこうだよね」に「クリスチャンにはありえない!」が「いまどきクリスチャンならありえるかもね」に変わったようです。問題が解決したわけではないのですが、問題の本質理解には多少なりとも役立ったとしたらうれしい限りです。

     そして、今回は、別の表現で、「理解困難ないまどきクリスチャン」の理解に役立てばと願って記事を書いてみました。どうしたわけか、きっと自己愛による心の歪みのせいでしょう。いまどきクリスチャンの中には、聖書が示す愛について、この三つに限定して、受け止めます。前回の繰り返しになりますが、この三つです。


    神様は自分を愛しておられる」(神→自分) 

    「神に従う教会は自分を愛してくれる共同体」(隣人→自分)

    「ならば、自分が自分を愛するのは当然で正当」(自分→自分)




     どれも、矢印は自分に向いています。この三つの「自分が愛される三つの愛」が、福音の根幹であり、その信仰理解に従って、教会生活を送るわけです。すると、どうなるかは明らかです。


     この信仰理解に立つと、神を愛するのでなく、神に愛される一方通行の愛で生きるのです。その神観は「自分を愛してくれる全知全能の神」なのです。間違っても、「自分がすべてを捨てて愛し従うべき神」ではないのです。

     ですから、神を愛するが故の犠牲や従順は、ありえません。たとえ、聖書に明記されていても、その教えはスルーです。牧師や兄弟姉妹から、戒められても、悔い改めは困難です。なぜなら、自分が信じているのは、「自分を愛してくれる神」であって、「自分が愛すべき神」ではないからです。要は「神観」という土俵が既に違っているのですから、説明や戒めをするほど、自己愛にしがみついてしまい、なかなか功を奏しません。


     また、隣人を愛するのでなく、隣人に愛される一方通行で生きています。「神が自分を愛している」という事実は、正常で健全な人間の場合には、「神を愛そう」「隣人を愛そう」という「愛の応答」と「愛の転用」に結びつきます。しかし、三つの愛で愛されて生きるクリスチャンは、そうではありません。自己愛によって、歪められこういう論理になっているようです。

    「自分は神様に愛されている」→「教会は神に従うべき共同体」→「教会は自分を愛するべき

     
     すさまじいまでの自己愛的な論理展開です。こうなれば、当然、人に自分を愛するよう要求し、愛が不十分なら、教会には愛がないとの定番フレーズで訴えます。一方の自分は隣人を愛することもせずに、平気でそうした訴えを繰り返すことできるのです。周囲は呆れますが、当人は、本気で不当性を訴えているのです。なぜなら、この論理が聖書の教えだと信じているからです。


     さらに驚くべきことには、自己愛だけは例外で、何の躊躇もなく、自分で自分を愛します。神や隣人を二の次にして自分の欲望や快適さを満たし、自尊心充足と自己実現にまい進します。「三つの愛に愛されて生きる」という福音が自己欲求の正当化として利用されているのです。

     自己愛が信仰の中心にあるので「クリスチャンなのにどうして?」と言われても、理解不能です。話が噛み合いません。ましてや自らの強い自己愛傾向を罪や過ちと認めることはできません。(神ではなく自分の願望実現としての)「自己実現は、クリスチャンとして間違いです」などと言おうものなら、「何が悪いのですか?!」と逆切れするクリスチャンも。実際に、ここ数年、そうした事例をいくつかお聞きしています。


     牧師は、神と人を愛するようにと「二つの愛に生きる道」を説いていても、いまどきクリスチャンたちは、それを「自分は神様に愛されている」を土台にして受け止め、「三つの愛に愛されて生きる道」に、即時変換しているのかもしれません。

     カウンセリングブームの1990年代に大量発生した「三つの愛に生きるクリスチャン」たち。そして、2010年代に大量増殖しつつある「三つの愛に愛されて生きるクリスチャン」たち・・・・。


     「大量発生」とか「大量増殖」とか言っても、害虫ではないのですから、駆除などしてはなりません。このタイプのクリスチャンたちも21世紀の日本の教会を支えていくメンバーなのですから。

     根底において、福音とは異質の「三つの愛に愛され教」を信仰しているクリスチャンたちを、どう、健全な信仰者に育てていけばいいのでしょうか?根本的な神観や信仰理解を矯正するにはどうすればいいのでしょうか?根底にある心の歪みの矯正には、カウンセリングなどの医療的アプローチも必要なのでしょうか?たとえ、そのアプローチが正しく有効であったとしても、当人に拒否されてしまうという現実を前に苦慮している方々も少なくないように思います。実に困難な課題が、起こっているようです。
    | ヤンキー牧師 | 自己愛シリーズ | 20:11 | - | - | - |
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