命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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続・自己愛性信仰障害の時代(5)〜自己愛の最終目的化と成熟拒否
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     今日で最終回としましょう。先日、移動中にラジオから聞こえてきたのは、平原綾香さんが歌う「スマイル・スマイル」という曲。作詞も平原さんだそうです。歌詞が心に沁みるとラジオ・パーソナリティーが絶賛しておりました。

    「平原綾香 スマイル・スマイル」歌詞
    http://j-lyric.net/artist/a00002a/l0293cf.html

     ラジオパーソナリティーがとりわけ絶賛していたのが、この歌詞。

    がむしゃらでいい、一生懸命がいい、あなたのままでいい


     なるほど!これは心に沁みる歌詞です。誰もがこんなことを言って欲しいのです。多分、日本の若者は世界一自己肯定感が低いはず。こういう言葉を必要としているのです。

     では、「この歌詞が正しいか?」となると急に怪しくなるわけです。こんなことを言って、無責任でないのは、せいぜい相手が、中高生ぐらいまででしょう。少なくとも、社会に出た人間に私はこんな無責任な励ましはできません。

    社会参加してからのいい大人の場合はまったく正しくないと思うのです。


    「がむしゃらでは、困る。周囲と調和をしろよ。

     一生懸命はいいけど、独りよがりは、周囲が迷惑だぞ

    あなたのままでは、周囲の信頼は得られないぞ」


     社会性があり、周囲と調和し、一致を乱さず、自己客観視ができて適切な努力ができるという「前提」がなければ、「がむしゃらでいい、一生懸命がいい、あなたのままでいい」は無責任きわまりない言葉であります。

     いい大人の男性が、こんなのを聞くのは、妻か彼女、あるいは飲み屋の女将か愛人さんからだけでありましょう。つまり、愛情関係や打算関係においてだけです。職場など、当人と共に生活をかけている人々にはちょっと言ってもらえそうにありません。せいぜい「失敗を恐れずに、思い切ってやれ」まででしょう。

     自己肯定感が持てずに大人になりがちな日本社会にあって、こうした無責任なメッセージは実に有効です。人々が必要としているからです。歌や書物なら売れて儲かります。そして、教会なら、人が来てくれます。


    がむしゃらでいい、一生懸命がいい、あなたのままでいい、神様に愛されているのだから


      ここ数十年はこの手のメッセージが、当世の心情にアピールして、有効な伝道フレーズになってきたのでしょう。もちろん、これは「神様に愛される」という面では正しいでしょうし、聖書的なメッセージだと思います。しかし、既に救われたクリスチャンにまで、いつまでもこのメッセージのみを発信し続けるなら、先に示したように、大人に向かわせるには、無責任すぎるのでは?


    「がむしゃらでは、困る。キリストの体として調和と一致をもって行動しろよ。」

    「一生懸命はいいけど、御礼言葉で自己正当化して、独りよがりなのは証しにならんでしょ。」

    「今のあなたのままでは、神様からも兄弟姉妹からも信頼は得られないぞ」


     そうです。神様に愛されているからって、いつまでも、子どもじみたがむしゃら独りよがりの一生懸命や「幼稚なあなたのまま」が許容されると思ったら大間違いであります。聖書は明確に成熟を命じています。キリストの体としての自覚をもって、周囲と調和し、教会の一致の中で、行動する成熟を聖書は命じています。神様に対しての個人的「がむしゃらさ」はよくても「教会内でのがむしゃら行動」は困るのです。一生懸命も神様の御心、すなわち聖書の原則に従った正しい目標に向かっていなければ、空しいだけです。

     未成熟なクリスチャンの「がむしゃら」と「一生懸命」が教会の調和を壊し、周囲を傷つけ、神様に苦笑いをさせるのはよくあることです。私も身に覚えがありすぎです。それでも、周囲の寛容さに支えられ、たくさん赦され、時に戒められて、その未熟さを卒業していくものです。そして、御言葉に従い、キリストの体として歩みうる成熟に向かっていくわけです。


     ところが、自己愛が強すぎますと、神様に愛されることが最終目的となってしまいます。母親にいつまでも、可愛がってもらいたかったら、大人にならないことです。未熟なまま、依存的で甘えていればいいのです。下手に成熟などしてしまうと、母親から甘やかしてもらえません。人格的成熟もせず、社会参加もせず、ニートでいれば、母親はずっと自分に子どものように面倒をみて、愛情を注ぎ続けれてくれます。

     ちょうどそのように、神様に愛され続けることが最終目的となってしまえば、成熟に向かうモチベーションなどありません。未熟なままでも、最終目的である神の愛は注がれ続けるからです。子どもじみた「がむしゃら」で、キリストの体として生きなくても、独りよがりの一生懸命で、御言葉から逸脱していても、「未熟なあなたのまま」でも、最終目的である神様の愛は変らないからです。

     神様の愛に応答して神様に喜ばれる歩みを願うというモチベーションがなければ、聖書の言葉に従い、キリストの体として生きる成熟を願うわけがありません。


    がむしゃらでいい、一生懸命がいい、あなたのままでいい、神様に愛されているのだから

    「がむしゃらに一生懸命、礼拝・聖書・お祈り・奉仕・献金しているあなたのままでいい、神様に愛されているのだから」


     このメッセージだけで教会形成がされたり、このメッセージ以外は拒否しながら信徒が信仰生活を続けてしまっているとしたら、その教会は「永遠の初心者コース」となってしまうでしょう。成熟拒否が標準化されたなら、どんなに大きな教会あっても実態は「卒園者のいない幼稚園」となりかねません。それでは、教会に集うクリスチャンたちは、サザエさんのタラちゃんと同じでしょうが!当人たちが、それで自分を大人だと思っていたら、それは滑稽を通り越して、かなり痛い悲劇ではないでしょうか?


    「がむしゃらを卒業して、キリストの体として調和と一致をもって行動できる大人を目指そう!」

    「独りよがりの一生懸命は捨てて、御礼言葉に従う歩みに一生懸命になって、証しをしよう!」

    「『あるがままのあなた』から『みこころのままのあなた』に変えられて、神から人も信頼をいただき共に働きましょう!」

    「神様に愛されているのは、当たり前。それはもういいでしょう。神様の喜びと神様の栄光を第一とする歩みをしてゆきましょう!」

     たとえ、拒否されても、スルーされても、逆切れされても、教会は、そして成熟したクリスチャンたちは、そうした初心者卒業への招きを絶えず発信していくべきだと私は考えています。もちろん、成熟拒否をする方々への深い理解や愛の配慮、そして、忍耐をもってです。

     「そうした招きがあれば、私だってちゃんと成長したのに」という信徒が一人たりともいないことを願います。神様から「あなたがその招きをしなかったから、あの方は初心者止まりになったのです」とお叱りを受けてはならないと思います。少数ではあっても、応答する方はいるはずです。そうした「潜在的自立クリスチャン」が「潜在」のまま終わっていくのは、教会の未来を暗くする恐ろしい損失でありましょう。

     自己愛が最終目的化されたら、成熟拒否が起こるのは当然の帰結でしょう。それは、残念すぎる現実ですが、その声の力に負けることなく、成熟への招き、自己愛を克服しての初心者卒業への招きが発信し続けられることを願ってやみません。


      平原さんの歌は、多く人々が求めているメッセージを提供する優れた歌詞でしょうが、キリスト教会がいつまでも同様のメッセージのみを発信し続けることは問題であろうと思い、こんなことを書いてみました。5回にわたる「続・自己愛性信仰障害の時代」にお付き合いをいただき、ありがとうございました。

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