命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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続・自己愛性信仰障害の時代(2)〜罪の神話化、自己愛の絶対化?
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     今週火曜は、CBMC神戸の定例会にお邪魔しました。ブログの告知をご覧になり出席した方もあり、読書会はたぶん、通常とは異質の盛り上がりを見せたようです。さっそく、CBMC神戸のサイトに報告がされております。

    「CBMC神戸3月例会の報告」
    http://cbmcjp.org/blog/archives/date/2014/03

     その例会の中、現代の教会の課題の一つとして「自己愛」を語り合う中でのこと。私は「『こんな罪深く愛される価値などない私たちを、神様は愛しておられる』と説教で語ると、『神様の愛はスゴイ』ではなく『罪深く愛される価値がないと言われて傷ついた』という応答をするクリスチャンたちが増えてきた」というお話しをしました。すると、参加者の一人が、「自分は愛されなくてはいないと思っているのです」という趣旨での発言をされました。

     私は思いました。「そーか、そもそもの発想の出発点が違うのか!『罪深く、滅ぼされて当然の私』でなくて、『愛されるはずなのに、愛されない私』なのかー!『罪人の私』でなく『自己愛者の私』だったのかー!」と。

     「罪深く、滅ぼされて当然の私」でなく「愛されるはずが、何かの間違いで愛されていない自分」なのです。「愛される権利などない自分」でなく「愛される権利が不当にも侵害されている自分」なのです。つまり、自分が不当なのでなく、誰かさんや環境が不当なのです。その不当性によって、注がれるべき愛が注がれなかったのです。まるで自分の側に愛を阻んできた原因がないようです。

     これは、出るはずのシャワーが出ないのは、自分が悪いのではないのにと修理を願えば、業者が来て、本来の注がれるべきお湯が注がれるかのようです。言うまでのシャワーが出ないのは、住人の責任ではありませんが、神の愛のシャワーが注がれないのは、自分が罪という傘をさしているからです。

     通常、人が神の愛を知って、救われていくのは以下のようなプロセスでしょう。

    「神は愛、♪君は愛されるために生まれてきた♪」→「それなのに君は神を離れて生きている」→「そんな罪深く滅ぶはずの君が、♪今もその愛受けている♪」→「その愛を受け止めて、罪を認め、悔改めよう」→「罪赦され、救われた者としてこの愛に応えて生きよう」

     ところが前提が違うとこうなります。

    「自分は愛されるはずなのに愛されていない」→「この不当な状況を打開する方法はないのものか?」→「神様の愛は無条件で一方通行らしいぞ」→「この愛を受け止めたら、自分は正当に愛されることになる」→「では、この愛を信じて、受け止めよう」→「わーい、愛されてうれしいなー、これからはもっと愛されていこう」

     自分についての出発が違うと不当なのは「罪人である自分」でなく「愛されない環境」になります。そして、自分が愛されることが最終目標になります。信仰生活の目標は自分がさらに愛され続けることであります。かくして、神様の愛は応答されず、永遠に一方通行となります。

     自己愛性信仰障害の一因はこの「前提としての自己理解」にあるのでしょう。「神を離れた人類は滅びに至るべき存在」との罪の教理は、ゲームかファンタジーのストーリー扱いで、「まあ、そういうストーリーに乗っておこう」と思っているように感じます。つまり、罪は実話ではなく、神話化されます。その結果、全てが自己愛によって歪められ、自己愛充足が、最終目的となり、絶対化されてゆくのでしょう。

     昨日は、自己愛充足の神話化を記しました。しかし、自己愛性信仰障害者は、「罪人の自分」という現実を、神話化するのです。滅ぼされて当然という自分の立場も、神話に過ぎません。罪も滅びについて、リアリティーも実感もないのですから、真摯な悔改めや赦された喜びもなく、恵みの大きさが分からないので、注がれた愛への応答も起こりません。
     

    自らの罪深さを実話として受け止め、自己愛充足を神話化して、神に応答し、隣人を愛する歩みへ前進するのが健全クリスチャン。

    自らの罪深さを神話として受け止め、自己愛充足を絶対化して、神への応答と隣人愛に移行せず、さらなる自己愛充足を追求するのが自己愛性信仰障害者。

     「罪の神話化」と「自己愛の絶対化」のセットが、福音理解を根底からひっくり返しているという構図です。そんな風に仮説を立ててみましたがどうでしょう?そもそも「自分は愛されなくてはならない」という昨今の「王様発想」や「俺様前提」が、不健全なクリスチャンを生み出している大きな一因であるように思えてきた私です。

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