命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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続・自己愛性信仰障害の時代(1)〜自己愛充足神話崩壊?
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     本ブログで、最近のヒットシリーズは「自己愛性信仰障害」でした。それをまとめた「舟の右側」の連載も、好評のようで、真摯で喜ばしい応答をいくつかお聞きしております。そこで、補足的な記事として、続編を数回ほど記してみます。

     今回の記事の趣旨は、愛について広く信頼されている見解の再検討であります。イエス様は「神を愛すること」と「自分を愛するように隣人を愛すること」の二つを一つのこととして、福音の本質とされました。

     その愛の教理について、この20年くらいで浸透してきたのが、「隣人を愛するためには、自分を愛する必要がある」というもの。たとえば、ある方は「三つの愛に生きる」として、「神、隣人、自分」の三者を愛することを勧めます。イエス様はここで、「神への愛」と「隣人への愛」の二つの愛を示しているのですが、「隣人を愛するための自己愛」ということで、自己愛を二つの愛と同列に並べて「三つの愛」とするのです。そして、「自分を愛しましょう」となるのです。

    神様からの自分への愛を受け止める」→「自己愛が正しく満たされる」→「神の愛に応答して神を愛し、神の愛で満たされた自己愛転じて隣人愛となる」

     私自身はこう考えております。「神様の愛を受け止めるなら、自己愛が健全に満たされる」とは考えています。これは、結果としての自己愛の満たしです。しかし、「隣人を愛するために自己愛が満たされるべき」と聖書が言っているとは思えません。つまり、目的としての自己愛の満たしは違うだろうと思うのです。あくまで私見ですが、聖書は「結果としての自己愛の満たし」を想定している可能性はあるかもしれませんが、「目的としての自己愛」は命じていないと思います。特に、既にクリスチャンになった者に「よりよく隣人を愛するために自分を愛しましょう」と聖書が命じているとは読めません。むしろ、聖書は「クリスチャンになっても自分を愛しすぎるその自己愛を、隣人愛に転じなさい」と命じているように読めるのです。

     私自身もいわゆるクリスチャンカウンセリングブームの中で育ってきました。「自分を正しく愛しましょう」「隣人を愛するためには自分を愛する必要があります」などのメッセージに触れながら、聖書の愛を理解してきたように思います。「聖書自身がどう言っているか?」よりも「人気のカウンセリング系牧師がどう言っているか?」に影響されて、愛を学んできたように感じているのです。そのために、どうも「自己愛充足神話」をある程度、信奉してきた面があるのでは?と思い至っています。「自己愛性信仰障害」シリーズを書き、その応答などに触れながらそう自己分析しています。

     心理学の世界では、自尊心が満たされることが土台となり、その土台の上で人は他者を愛するようになるというのが定説のようです。これを聖書の隣人愛に適用すると、「隣人を愛するクリスチャンになるためには、自分を愛する必要があります」となります。つまり、これは心理学による福音の再解釈、あるいは再構築であります。福音理解のために心理学を援用しているのではなく、心理学の理論構築の中に、福音を取り込んでいるのです。福音が心理学に優先しているのでなく、心理学が福音に優先しているのです。福音が保持されたまま、よりよい理解のため心理学が利用されているのではなく、心理学の理論構築に取り込まれたために福音が変質しているのです。

     どうも聖書本来の「自己愛放棄系隣人愛」が「自己愛充足前提系隣人愛」に置き換えられてしまっているように思うのです。さらに、そのような愛の理解のために、「自己愛充足は、クリスチャンの当然の権利」と考え違いをするクリスチャンが激増してきたのでは?と心配しています。

     カウンセリングブームの中で歩んできた私自身が、「自己愛充足神話」の信奉者になってきた面は否定できません。「結果としての自己愛充足」と「目的としての自己愛充足」が、混同していたのが、最近はかなり分離できてきました。その上で、聖書自身が示す愛を考えながら、「聖書的愛とは」を再検討しているところです。本ブログの記事も舟の右側での連載も、両者の分離が不十分のまま、書いてしまったなーと少し反省しております。
     
     読者の皆さんに考えていただくのにどうすればいいのか?この課題を、分かりやすく解説し、再検討を迫る資料はないだろうか?と思案したのですが、やはりこれがいいでしょう。私もこの書物には、大いに自らの愛の理解を問われました。それは、愛読している一ブログで翻訳版が提供されているチャックスミス師の「愛:さらにまさる道」であります。今回の記事もこの書物に触発されている面は大きいです。まずは、211ページ以降をお読みいただけば、「聖書的自己愛充足」が神話ではないかとの問いかけが生まれるかと思っています。

    以下で同著のPDFファイルがダウンロード可能ですが、300ページを超えるので、時間を要することもあります。
    チャックスミス著「愛:さらにまさる道」(PDF版)
    http://calvarychapel.com/home/assets/Uploads/jaLOVE.pdf

     今回は、「自己愛充足神話崩壊?」と題しましたが、どうでしょう?キリスト教界内で触れる「聖書的自己愛充足」は聖書的な実話なのでしょうか?それは「ポスト・カウンセリングブーム」のキリスト教界にあっては、崩壊させるべき神話なのでしょうか?再検討されるべきとの声は以前からありましたが、改めて、再検討必要の声を発信してみました。
     
    | ヤンキー牧師 | 自己愛シリーズ | 14:22 | - | - | - |
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