命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
<< 女は音楽会、男は美術館 | main | 自己愛性信仰障害シリーズ連載二回目掲載「舟の右側」のご紹介 >>
末広涼子報道に思う「使命に励む夫と夫の想像が及ばぬまでの孤独に苦悩する妻」という図式
0
    「音楽会と美術館」の記事を書き終わって、トップページに戻ると、yahooヘッドラインにこんな記事を発見。

    広末涼子 かつて共演した佐藤健のマンションにお泊まりをする
    http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140227-00000001-pseven-ent

     どうも、末広さんが、人気若手俳優と不倫ということでしょう。キャンドル・ジュンとの再婚前から、あまり異性関係については評判のよくない女優さんでしたので、心配していた方も多いでしょう。実は、私もその一人です。キャンドル・ジュンさんがクリスチャンなので、より一層このニュースには心を痛めております。以前は、この記事で彼がクリスチャンであることを記し、いつかそのファッションやタトゥー、末広さんとの結婚に「小さなツッコミ、大きなお世話」をしようかと思ったまま、忘れていたようです。

     「小林幸子、隣人愛としての米10トン」
    http://blog.kiyoshimizutani.com/?eid=2483


     昨日の記事で、「女性は一人の男性からの愛を実感していれば、浮気はまずしない」と記しました。それが正しいとすれば、「末広さんは十分な愛情実感を得ていなかったのでは?」とも想像してしまいます。yahooニュースの記事でも、震災地で長期間滞在する夫を思いながら、寂しい思いを抱いていたかのように書かれています。

    キャンドル・ジュンさんがどこまでクリスチャンとしての使命感をもって、平和運動をしているかは私は知りません。しかし、彼の働きは、社会的に尊いものと評価されるでしょうし、彼も強い使命感をもってキャンドルを灯していたのでしょう。その尊い使命を果たし充実感を覚えているその時に、どれほど妻が孤独に苦しんでいたか想像ができなかったのかもしれません。彼は妻に頻繁にメールや電話で愛情を伝えていたのかもしれません。それでも、夫が伝えたつもりの愛情と妻が必要としている愛情の間には、想像を絶するギャップがあるものです。

     職業であれ、教会奉仕であれ、「尊い使命に真剣に生きるクリスチャンの夫、その間に耐え難い孤独に追い込まれ、不倫に走ってしまう妻」という事例は、結構多く見聞きしてきました。残念ながら、妻がクリスチャンである場合も少なくありません。「聖なる使命や社会的責任に生きながら、妻の孤独の深さを想像もできずにいる夫」というのは、ほどんどの既婚者クリスチャン男性に、ありえることなのでは?最も身近な隣人である妻をスルーして、それ以外の隣人を愛し仕えてしまう愚行は、既婚者クリスチャン男性のある意味、典型的失敗であると思うのです。

     三浦綾子さんは、ウリヤの妻は、ダビデ王に見えるように沐浴をしていたと想像します。「女性だから自分はわかる」とまで記しています。長期間、夫を戦争に送り出している妻の孤独の現実を垣間見る思いがします。また、ポティファルの妻は単なる好色淫乱女とは言い切れません。有力な説の一つは、ポティファルは「宦官」であったとします。つまり生殖機能を除去されたエリートだったのです。もし、この切が正しければ、ポティファルの妻の孤独は、想像を絶するものだったでしょう。

     「使命に励む夫と夫の想像が及ばぬまでの孤独に苦悩している妻」という図式は、もしかすると聖書も提示しているのかもしれません。私が見聞きしてきた事例では、既婚者であるクリスチャン男性たちは、真面目で職業も教会奉仕も忠実に励むタイプが多かったです。それだけに、私はやりきれない思いがしました。逆に、妻の側がクリスチャンであったとしても、単純にその罪を責める気にはなれませんでした。どの夫婦にも起こりうるこの「夫と妻のギャップ」に心を痛めるばかりです。

     確かに末広さんのしたことは、結婚を破壊し、お子さんにマイナスを与え、自らの評価も失わせかねない罪深く愚かな行為でありましょう。メディアや世間は、きっと「また、やった」との論調で末広さんをバッシングするのでしょうか?クリスチャンであり平和運動家であるキャンドル・ジュンさんは、「同情されるべき被害者」と評価されるのでしょうか?

     だとしたら、あまりに表面的だと思うのです。「男女の差異に由来する結婚の困難さ」を自覚しているなら、決して夫婦を「加害者と被害者」に二分しないでしょう。どうでもいい芸能人の不倫スキャンダルと扱うこともできるでしょう。しかし、クリスチャンの夫が使命に生きている最中に孤独な妻が不倫に走るというのは、他の芸能人の不倫スキャンダルとは違う面もあるのでは?

     もしかすると、この事例は、超多忙社会に生きる既婚者クリスチャン男性こそが、当事者感をもって事として受け止めるべき要素があるのかもしれません。もし、キャンドルジュンが、教会生活を送っているクリスチャンであるなら、まさに牧会で扱われるべき課題ですから。

     私自身も思ったのです。これを機に向き合ってみてはどうだろうかと。「責任があるから、世のため人のため、家族のため、主のため」との名目で妻を「不倫せざるを得ないまでの孤独」に追い詰めながら、その事実に対して、時に無自覚となりがちなクリスチャン既婚男性の現実に。
    | ヤンキー牧師 | 夫の課題と成長 | 17:19 | - | - | - |
          1
    2345678
    9101112131415
    16171819202122
    23242526272829
    30      
    << September 2018 >>
    + SELECTED ENTRIES
    + RECENT COMMENTS
    + RECENT TRACKBACK
    + CATEGORIES
    + ARCHIVES
    + MOBILE
    qrcode
    + LINKS
    + PROFILE