命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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自己愛性信仰障害の時代(1)〜今、教会の中で
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    今日から、真面目に記事を書こうと思っております。第一弾は「自己愛性信仰障害」について。これは以前、好評であった「あるがまま、ずっとわがままクリスチャン」の続編に相当します。

     まずはこの記事から。「あるがまま信仰告白」が受けたのか、多くのいいね!をいただきました。

     育てよう健全信徒(28)あるがまま、今のまま、ずっとわがままクリスチャン
    http://blog.kiyoshimizutani.com/?eid=3579

     その後、記事への応答を受けて「あるがまま詐欺」について二度記しました。

    「あるがまま詐欺を考える(上)」
    http://blog.kiyoshimizutani.com/?eid=3599

    「あるがまま詐欺を考える(下)」
    http://blog.kiyoshimizutani.com/?eid=3602



     続編を書こうと思ったきっかけは、今、読んでいる一冊の書物です。それは、大淵憲一という方の「満たされない自己愛ー現代人の心理と対人葛藤」というタイトルの新書。著者によれば、現代人の心理を理解する大きな鍵の一つが「自己愛」とのこと。巷でも「自己中」なる言葉が、使われ始め、既に定着をしています。それ程、自己愛が、露骨に表現されたり、従来にはありえないような自己愛の逸脱・暴走で周囲が困惑するケースが増えているのでしょう。

     大淵先生は一般的に持たれる自己愛者のイメージを以下のように列挙しています。

    自分のことにしか関心がない」
    これは、逆に言えば、他者とか、教会とか、社会に対しての著しい無関心でもあるでしょう。

    「人から愛されることを求めるが、人を愛することはできない
    愛されたがりほど、自分から愛せないものですが、そういう方々が増えていますね。

    「あきれるほど自分に自信がある」
    実績や才能など客観的な根拠がないのに、自信があるのは、仮想優越感でもあるでしょう。

    自分の魅力に酔い、客観的に自分を見ることができない」
    いわゆるナルシストなのでしょうが、自己客観視ができないことは、ある未熟さを意味すると思います。

    どうでしょう?これって、若年層を中心に、ここ10年ほどで、キリスト教会の中でも、増えてきたタイプの人たちだと思いませんか?

     かつては、強い自己愛というものは、恥ずべきものでした。少なくとも社会の中でそれを露にすることは、信頼を失い、関係を壊すことを意味していました。誰にでも自己愛はあります。しかし、それをコントロールして社会生活を送るのが大人なのです。それができない事は、未熟さであり、幼児性を示し、人格と社会性での欠損を意味することでした。ですから、強い自己愛の持ち主はそれを隠したり、抑圧したり、適切に出しながら、社会生活を送ってきたのでしょう。

     ところが、現代はこの自己愛が強すぎてコントロール不能な方々が増加しているようです。自己愛が不健全レベルで強い方がクリスチャンになると、どうも、信仰の土台が自己愛で、その上に神様の愛が乗っているような信仰の構造になるようにお見受けします。その根底にあるのが、自己愛であって、神の愛さえもその自己愛に奉仕するという構造なのです。クリスチャンになる前にそういう精神性をもっているわけです。

     そうなると、クリスチャンになり、聖書のことばを聴き続けても、価値転換も生き様の転換も極めて困難となります。なぜならそのクリスチャンの根底にある自己愛が、神様に代わって主人となり、みことばを自己都合や好き嫌いで取捨選択するからです。「あるがまま、今のまま、ずっとわがままクリスチャン」の信仰構造は、もしかしたらこうなっているのでは?と思い至りました。

     今回、強すぎる自己愛が、福音の光を閉ざし、信仰的成長を著しく阻害するこの症状を「自己愛性信仰障害」と名づけました。自己愛が不健全なまでに強く、社会生活に困難を覚え、人間関係を築けない症状があれば、その人は「自己愛性人格障害」と診断を受けることがあります。同様に、自己愛が不健全なまでに強いために、聖書的な信仰理解を拒否し、正常な教会生活を送りえず、信仰的成長と自立を放棄していしまう症状があれば、それを「自己愛性信仰障害」と呼びたいのです。

     病気呼ばわりしておいて、何ですが、該当者を批判したり、断罪することが、このシリーズの目的ではありません。病者だからこそ、尊重し、愛し、その回復を願うのです。人間の罪がもたらす一種の信仰上の病としてこれを位置づけて、むしろ愛をもって正しく理解して、暖かく受け止め、その克服を支援するために、このシリーズを記して行きたいと思っています。特に指導的立場にある方々が、理解不可能ゆえに失望してしまわないために、お力になれたらと願っています。

     次回からは、実例や事例、その原因、自己愛のメカニズム克服支援の可能性などについて4,5回程度で書いていきます。
     

    | ヤンキー牧師 | 自己愛シリーズ | 18:20 | - | - | - |
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