命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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「老化」とは「喪失・衰退・決別による聖化」、「引き算による花嫁修業最終ラウンド」
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     キリスト者たるもの、すべてのことにおいて神の栄光を現したいもの。聖書が「飲むにも食べるにも」と記しているのは、きいと飲食が最も卑近で、神の栄光と無関係に思えることだからでしょう。飲食まで、神の栄光を現すべき分野なのですから、人生をどう歩むか?は言うまでもございません。

     そこで、今回、とりあげたいことは、「食べるにも飲むにも、老いるのにも神の栄光を現しなさい」ということ。外なる人が衰える程に、内なる人が新にされ、神の栄光が現されたらと願うのです。そこで、考え付いたフレーズが「老化は聖化なり」であります。

     乱暴な言い方をすれば、クリスチャン人生とは、不貞の妻ゴメルが、キリストの花嫁へと整えられていくようなものです。豊かな愛を注いでくれる夫と三人の子どもを捨てて、別の男に走り、遂には奴隷(神殿娼婦との説も)にまで、身を落としたゴメルであります。そのゴメルを、夫であるホセアは、全財産をはたき、買い戻し、再度、結婚生活を始めます。

     同じように神に背を向け、罪の奴隷にまで身を落としていた私たちをも愛し、御子のいのちを代価として買い戻してくださいました。そして、キリストの花嫁として整えてくださるわけです。選びにふさわしくない者を選らび、その者を選びにふさわしい者へと造り変えて下さるのが、神様の恵み。言い換えれば、聖化とは、キリストの花嫁修行であります。

     そして、老化も聖化の一プロセスかと思うのです。言うなれば、老化とは、「聖化のラストスパート」であります。「キリストの花嫁修業、最終ラウンド」なのです。死の前の10年、20年は、様々な喪失、衰退、決別によって、キリストの花嫁へと整えられるです。

     老いていくとは、喪失、衰退、決別のプロセスです。失うのは毛髪すべすべお肌だけではありません。健康や体力を失います。さらには、社会的地位、評価、収入なども失います。今までと同じようなことが出来ない衰退を思い知らされます。何より、愛する人々と決別があります。これは死による喪失です。そう考えますと「老化とは引き算の聖化」であります」。「喪失、衰退、決別による花嫁修業最終ラウンド」であります。

     外面的な虚飾、付加価値、社会的評価などを取り除かれ、その人物自身が露にされていきます。人間の花嫁修業は、美容も学歴も経済力も、社会的評価などを身につけることも大切なようです。ある意味、「外的要素の足し算」であります。人間の花嫁は足し算ですが、キリストの花嫁は引き算なのです。神様の恵みとして与えられてきた様々な恵みを喪失し、衰退を経験し、決別しながら、死に備えていくプロセス。それが「老化という名前の聖化」であります。キリストの花嫁修業の最終段階なのです。

     ですから、老化を受け入れ、老化の意味を悟り、その目的を果たすべく正しく老いていくのが正解だろうと思うのです。喪失、衰退、決別を、悲しみながらも受け止めるのです。そのことを通じて、自分が向かうべきキリストの花嫁の姿をイメージしながら、老いていくのです。こうして地上での花嫁修業を終えて、天に召され、やがてキリストに嫁ぐのであります。

     ですから、晩年に「しがみつく生き方」をしてはならないでしょう。神様にしてみれば「神様が花嫁修業のために奪おうとしているのに、しがみついてどうすんの?」「花嫁修業、最後の仕上げの邪魔せんといてやー」ということ。それは香山リカだけでなく、未来の夫であるキリストにもヒンシュクをかってしまいます。財産、地位、名誉などの喪失を拒み、執着する態度、現在の衰退を弁明するような過去の自慢話オンパレード、決別を恐れ自分をちやほやしてくれる交わりにしがみつくあり方などは、キリストの花嫁修業への反逆行為であります。引き算で聖めようとする主の聖化の恵みへの拒否であります。飛行機の着陸直前逆噴射の如き、危険行為であります。

     そうした老いの行程は、「聖化ならざる老化」であり、「神の栄光を現すことなき老い」であります。それは周囲には失望、躓きともなり、行き着く果ては、キリストの花嫁にふさわしくない「困った嫁」なのかも。

     美しく老いること、神の栄光を現す老いは、決して容易なことではなさそうです。聖書中の偉大な信仰者の失敗例を読み、尊敬していた先輩クリスチャンや教職の残念な晩年に触れながら、その現実性を認めざるをえません。そうならないためには、まずは、「老いの概念」を変えることかと思います。

     「老化は聖化なり
     「老いとは、喪失・衰退・決別による聖化
     「老いとは引き算によるキリストの花嫁修業最終段階

     熟年に差し掛かってきたら、そんな価値転換を徹底しながら、老いてゆきたいものです。人生の最期まで、神の栄光を現し、キリストの前に美しい花嫁として立つために。

     同様の趣旨の記事としてはこちらが、参考になるでしょうか。
    「残すべきもの、残すべからざるもの」
    http://blog.kiyoshimizutani.com/?eid=3577

    | ヤンキー牧師 | キリスト教界(論説読みきり) | 11:05 | - | - | - |
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