命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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釣った魚にこそ餌をやれ!(4)
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     このシリーズも今日で、最終回です。男性にとって、結婚の質は釣った後の魚への餌やりで決まるのであります。同じ状況で同じ女性と結婚しても、結婚後に、釣った魚に餌をやらないのか?それともやるのかで、数年後には夫婦関係は全くことなっているでしょう。10年も経てば、雲泥の差ができてしまっているはず。

     それは、「試行錯誤や葛藤を繰返しつつも、聖書的努力をして相互成長を続ける祝福された結婚」と「聖書的努力をしないことに決めて、失望と傷つくことを避けるため、お互いには期待せず、共同生活をしながら、それぞれの人生を歩む結婚」という雲泥の差であります。

     さんざん、「餌」と繰返してきましたが、夫が妻に与えるべきものとして聖書が命じているのは何でしょう?餌やその具現化としての時間、優先順位、関心、プレゼント、愛情表現どころではありません。聖書はこう記しています。

    「夫たちよ。
    キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」(エペソ5:25)

     キリストは教会を愛し、ご自身のいのち、全存在をささげられました。それを模範として夫が妻を愛するということは、夫はすべてを妻に与えるということです。自分自身を妻に与え続けるのです。妻に与えるべきは、餌どころか夫自身、全存在、夫の命であります。

     これをデーモン小暮風に言い換えれば、こうなるでしょうか?
     
     「オマエを、魚の餌にしてやろうか?

     どうも、聖書的意図を込めたとはいえ、悪魔的でよくないですね。これでは夫は惨めな犠牲者に過ぎません。


     やはり、ここは聖書的に山上の説教風に言い換えてみましょう。

     「昔の人々に『釣った魚に餌をやってはならない』と言われたのをあなたがたは聞いています。しかし、私はあなたがたに言います。釣った魚に餌をやらないような夫は、燃えるゲヘナのような妻の怒りや悲惨な結婚生活に投げ込まれかねないと。夫たちよ。釣った魚にこそ、餌をやりなさい。いいえ、あなた方自身が餌なのです。自らを餌として魚に与え続けなさい。これがキリストイエスにあって、神が夫たちに望んでいることがらなのです。」

     うーん、メチャメチャなまとめだなー。でも、聖書の結婚観は、夫は献身という形で、妻は従順という形で、自らを相手に与え続けることだろうなと思うのです。かく言う私も妻の優しい励ましや厳しいご指導によって、絶えず、悔改めと軌道修正をさせていただきながら、今日に至っているに過ぎません。実感として、自己中心を悔改めながら、妻に自らを与え続ける歩みにこそ、男性側からできる結婚向上のための最高の努力なのでは?と感じております。いずれにせよ、聖書の言葉に従って結婚生活を送るというのは、リアルにこういうことだと思うのですが、どうでしょう?
    | ヤンキー牧師 | 夫の課題と成長 | 16:50 | - | - | - |
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