命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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恋愛・結婚より先に、親子関係の清算かもよ?(5)
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     このシリーズも今回で最終回と致しましょう。

     クリスチャン女性たちの中には、父からの十分な愛を受けることなく育ちながら、それを一定克服している方々が多くおられます。そうなれば、恋愛や結婚に大きな悪影響はなくなります。成長する中で、特にクリスチャンとしての成熟過程で、親の立場に身を置き、寛容になれたり、親を客観視して、自分も同じ弱さや罪を覚えるものです。

     「真面目な父親は家族のため働き超多忙で、娘に愛を示す余裕もなかった。」との理解
     「教会の奉仕、神様のためだから、自分は寂しかったけど、仕方なかった」との寛容
     「父は残念ながら、他者を愛せない人間だった」という事実認識
     「愛以外の理由での体罰もあった。罪人だからそんなもの」との達観

     感情の深い部分で、「まあ、いいや」「しかたない」「父も辛かったろう」「大人になれば、自分も同じ」と思えているなら、一定克服でしょう。

     しかし、そうではない場合もあります。キリスト教会独自の「親子関係未清算」というものがあるように思うのです。

     「真面目な父親は家族のため働き超多忙で、娘に愛を示す余裕もなかった。」との理解。
     「教会の奉仕、神様のためだから、自分は寂しかったけど、仕方なかった」との寛容。
     「父は残念ながら、他者を愛せない人間だった」という事実認識。
     「愛以外の理由での体罰もあった。罪人だからそんなもの」との達観。

     ・・・と自分に言い聞かせています。意識上では、そのように自分を納得させています。でも、心の底での思いは異なります。

     「どんなに忙しかったとしても、自分は父にもっと愛されたかった」との強い不満
     「教会の奉仕、神様のためだからと言っても、、寂しいものは寂しい」との本音
     「父は残念ながら、他者を愛せない人間だった。その事実を納得できない」という怒り
     「愛以外の理由での体罰もあった。罪人だからそんなものだろうが、それでも赦せない」との憎しみ。
     
     理性と感情意識と無意識が乖離しています。皮肉なことにこうした乖離は、キリスト教会だからこそ、起こるように観察しています。では、どうして、こんな乖離が起こるのでしょう。それは、教会がこう教えるからです。そして、それは原則としては、聖書的で正しいことだからです。

    「父と母を敬いなさい
    赦しなさい
    憎んではいけません」

     こうした聖書の言葉、聖書の教えに応答して、最初のように、克服できればよいのです。しかし、それが簡単には、できないような場合も多々あるようです。そこで、起こる事は、偽の解決であります。言い換えれば「自己欺瞞」と「抑圧」です。

     現実にある、父から愛されなかった強い不満、寂しかったという本音、残念な父への怒り赦せない思いや憎しみ・・・・。それらは、心の奥底に現にあるのに、信仰という名目で「ないこと」にしてしまいます。あるいは、表面上の意識に出てこないように心の奥底に押さえつけます。神様が喜ばれないから、罪の思いなので、捨てるのです。いいえ、捨てられない自分なのに、捨てたことにするのです。
     
     これは、克服でも、解放でも、聖化でもありません。「自己欺瞞」か「抑圧」です。そして、このままですと、親子関係未清算状態となるのです。そして、不幸恋愛の泥沼にはまっていくのです。このように、信仰の名目での自己欺瞞や抑圧を、克服、解放、聖化と自分に思い込ませてしまうことは、珍しくないことでしょう。


     このことを分かりやすくたとえてみましょう。親から、こう教えられて育ってきた娘がいるとします。

    「世界中には、飢餓で苦しむ人が多くいる。冷蔵庫の食べ物を腐らせるなど、とんでもないこと」

     ところが、ある時、冷蔵庫の奥にしまって、見えなくなっていたプリンを腐らせてしまいました。しかし、彼女はその事実を認めません。親からの教えに反するからです。親を悲しませるからです。飢餓で苦しむ人々に申し訳ないからです。それを認めることは罪悪感を生み出すからです。

     事実を認めることも、プリンを捨てることもせず、自分に「冷蔵庫内に腐った食品はない」と言い聞かせて、過ごします。遂に、プラスティックケースから、腐敗したプリンが流れ出てきて、悪臭を放ち始めます。冷蔵庫を開けるたびに、その悪臭を嗅いでも、事実を認めません。冷蔵庫の食品がつぎつぎと腐敗していくのは容易に予想できるというのにです。

     これが、親に対しての本心を、認めず、抑圧して、「信仰的」を装ってしまうクリスチャンが、陥る「親子関係未清算」の姿でしょう。

     「信仰的偽装」をしている限りは、一歩たりとも本物の信仰には、近づきません。神様の前に正直な思いを認めることからしか、親子関係の清算は、始まらないと私は思います。

     神様の前に「もっと父に愛して欲しかった!」と泣くのです。
    「教会に父親をとられたようで、寂しかった」と本音を訴えるのです。
    「どうして、あんな父なのですか?」と神様に正直な怒りを伝えるのです。
    「父の体罰で傷つき、父を憎んでいます」と憎しみをも神様の前に認めるのです。

     できれば、信頼できる導き手となるクリスチャンに聞いていただき、受け止めていただいてもよいでしょう。

     そんな神様の喜ばれないものを、神の前に出すのは、不敬虔だとの反論もあるでしょう。神に聞いていただくのでなく、神に聴くのが人間の本分だとのご意見もあるでしょう。しかし、私は、最も神と人との親密な関係の代表とされるダビデと神の関係、ヨブと神の関係は、こうした正直なものだったと考えます。神の前に自らを偽らず醜い思いや不信仰の言葉さえ、語る親密さは聖書が模範として示していることではないでしょうか?暴論かもしれませんが、これが、私なりの親子関係清算の第一歩です。

     不幸恋愛者の皆さん、冷蔵庫内の腐ったプリンを認めましょう。心の冷蔵庫の一番奥に隠れている愛してくれなかった親への不満、深い寂しさ、怒り、憎しみなどを認めましょう。そこからしか、悪臭と腐敗進行を止めることはできませんから。父の本質を持つ男性にしか、魅力を感じず、不幸恋愛を繰返す「不幸連鎖」から、脱するためには、親子関係に向き合い、それを清算するしかないのでしょう。

    聖書は命じます。

    「父と母を敬いなさい
    赦しなさい
    憎んではいけません」

    他方で聖書は親子関係の清算と、正直な交わりを示しています。

    「それゆえ男はその父母を離れ・・・・」
    「主よ、いつまでですか?」
    黙っていないでください」

     片方の言葉の故の自己欺瞞や抑圧はもうやめましょう。それは聖書の言葉に従っている振りに過ぎませんから。他方の真理は、その信仰的偽装から、私たちを解放し、健全で幸せな恋愛や結婚へと導きます。

     当事者かもしれないと思われたら、記事を参照し、愛をもって本当の事を言ってくださる成熟したクリスチャンや指導者にご相談されるようお勧めします。そして、とりあえず、親子関係未清算のままで、恋愛をされないことを切に願います。また、このシリーズが不幸恋愛者の女性の近くで、祈り支えておられる方々の一助になれば幸いです。
    | ヤンキー牧師 | 聖書的恋愛論 | 21:08 | - | - | - |
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