命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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外れてはいないけど、乱暴だなー、wikipedia「異宗婚とキリスト教」
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     先日、必要があり、クリスチャンと未信者との結婚について、各教派の見解や指導をネット上で調べておりましたら、こんなページが出てきました。wikipediaの「異宗婚とキリスト教」であります。

     一読して思いました。「未信者の方々にアバウトな情報を伝えるなら、許容範囲かも?でも、あまりにも乱暴だよなー」と。

     http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%B0%E5%AE%97%E5%A9%9A%E3%81%A8%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99


     乱暴さを多少なりとも軽減するために、四つのポイントで記してみます。

    ,泙此▲トリックについては、私の知る限り(実はよく知らない)ですが、ほぼこの通りだろうな?と思いました。妻の友人(福音派で受洗したが、教会を離れた女性)が、未信者男性と結婚することに。カトリック系の大学を卒業しているので、学生時代にお世話になった神父に司式を依頼。そこで、出てきたのが、このページにある「婚姻障害免除書」であります。私もその時、その存在を初めて知りました。つまり、その神父は、カトリックではないクリスチャン彼女を、信者として認め、未信者との結婚に障害があるとした上で、「障害免除書」を出してくださったのです。このことは、少し、このページとは異なりますね。ただ、カトリックが基本的に、信者と未信者の結婚には、障害があるとの前提を持っているのは明らかなようですね。

    ◆.廛蹈謄好織鵐箸砲弔い討任垢、「ウエストミンスター信仰告白」は、かなり厳しく未信者との結婚を禁じております。根拠となっている聖句や実際の教会の指導について、幾つか疑問が湧いてきたので、知り合いの改革派系の教職にお尋ねしたのですが、これが、「スッキリ」でありました。

     まずは、記されている聖句は後付けとのこと。私は、正直、「この聖句を根拠に、この教理というのは精密さに欠けるだろう!」と思ったのです。つまり「その聖句から未信者との結婚禁止を断言するのはちょっと無理があるのでは?」と思える聖句もあったわけです。後付けということは、すべてが「根拠となる聖句」というわけではなく、いくつかは「参考聖句」ということなのですから、納得であります。

     また、この信仰告白に立ちながら、字義通りに教会で指導がされているとは限らないのは、どうしてか?という疑問です。これについては「信仰告白」は「教理的普遍性」を持つと共に「歴史性」を持つとの説明で納得。350年前の非キリスト者が社会にほとんど存在しないヨーロッパ社会という歴史性があるからでしょう。そのまま現代日本の教会に杓子定規に当てはめるわけにはいきません。実際に改革派系の諸教会では、この信仰告白を尊重しながらも、牧会レベルで多様で弾力的な対応がなされているようです。

     こちらのサイトの3節の解説は、改革派教会がどう受け止めているかの指針となるでしょう。
    「ウエストミンスター信仰告白解説 第24章結婚と離婚について」
    http://homepage3.nifty.com/msasaki/kokuhakukaisetu24.html

    リベラル派に対しての記述は、乱暴きわまりないですね。これはちょっと失礼でしょう。この記述は、根拠としている聖句について解釈違いとしてダメ出ししているのですから。未信者との結婚に許容的、あるいは全く不問とするには、それなりの聖書的根拠があるわけです。信者、未信者という区別を超えた、普遍的な一般恩寵として結婚をとらえようとするからだろうな?と不勉強ながら、思っています。(違っていたらごめんなさい)

    な歇蘿匹梁緝修里茲Δ亀有教会の鈴木靖尋先生の発信が、引用されております。きっと、wikipediaの記者が、ネットで検索したら、上位にヒットしたからでしょう。3割否定的で7割不介入という見解は一定正しいと思います。ただ、より正確に言えば、「立ち入らない」のではなく、聖書的根拠や牧会的配慮から、許容あるいは不問としていると私は観察しています。

     未信者との結婚によって教会生活を離れる事例が多いとの鈴木先生の見解は、多くの教会での現実でもありましょう。そして、結婚生活を通じて、未信者の伴侶が救われる事例の少なさも悲しい現実でありましょう。クリスチャン同士の結婚を推奨する理由は、聖書的根拠だけでなく、むしろこうした現実的な理由が強いのだろうと思います。


     さて、私自身、教団教派を超えて、お交わりを頂く中で、未信者との結婚についての見解や実際の指導について、よく牧師の方々とお話しします。未信者との結婚が即除名対象となる教会もあります。改革派系や福音派で厳格な場合、それは媒餐停止などの戒規対象となることも(戒規とは断罪して罰を与えることではなく、回復を願って為される愛の業に他なりません)。また、教会によっては、教会で司式をしない場合も。逆に、クリスチャン同士の結婚を推奨せず、まったく不問とされている教会もあります。

     「えーっ、そんなのカルト的!」とか「そんなの福音に生きてないじゃん!」とかの感想も読者によっては、あるでしょうが、それ程、教会の見解と指導は、多様なのです。ただ、多様なようで実は、ほとんどの教会が、クリスチャン同士の結婚が聖書的に望ましいとしており、同時に、一定レベルで多様で柔軟な指導をしているように観察します。

     補足ですが、少ないようで多いのが、ダチョウ倶楽部のごとき「エーッ、聞いてないよ!パターン」であります。「もう何年か教会生活してきたけど、未信者との結婚が望ましくないなんて聞いたことがありません。結婚対象が見つかってから、そんなこと言われても・・・」というパターンです。当人だけではなく何十年も教会生活を送っているベテランクリスチャンが、お子さんの結婚に際して「何十年もいるけど、そんなこと、聞いてないよ」となることも。心配になった信徒の方や指導者の方は、一度、確認の機会を持たれてはどうでしょう?この行き違いは、信仰生涯において、大きな躓きにもなりかねませんから。

     ことの性質上、非常にデリケートになりやすいテーマですが、私がいつも願うのは二つの極端を避けて話し合われるべきということです。一つは、「キリスト教的社会での基準」をそのまま現代日本に適用したり、この件を律法的に扱ってしまう極端です。もう一つは、「聖書がどう言っているか?」を二の次にして人間側の感情や教会組織の利害を優先して主張するという極端です。両極端に走ると、どうしても不毛で傷つけあうだけの議論になりがちです。

     今、特定の団体や教会に所属しているのは、神様の摂理によるものですから、その方針や指導の下で歩まれるようにと願います。その前提の上で、自らとは異なる見解を学び、自らを客観視することで、聖書に立って、より成熟した考え方をしていただければ感謝です。
    | ヤンキー牧師 | 聖書的結婚観と今どきの結婚観 | 20:57 | - | - | - |
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