命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
<< 婚活系クリスチャンのための自己決定、自己管理、自己責任セミナー(3) | main | 「世界にひとつだけの花」は何を歌っているのか? >>
婚活系クリスチャンのための自己決定、自己管理、自己責任セミナー(4)
0
     今日で最終回となりますこのシリーズ。最後は、自己責任です。具体的に言えば、自分で決めたことに関して、その結果については、自分で責任を取る姿勢です。否定文で言えば、好ましくない結果を生じたとしても、それを他者のせいにしないこと、特に親のせいにしたり、親に尻拭いさせないことです。こうしてみると、「自己責任」と「自立、親離れ」はとても密接であることが、ご理解いただけると思います。

     結婚生活がうまくいかない場合の一因に自己責任観念にかけることがあります。結婚相手は最終的に自分で決断したのですから、その結婚をよいものとする責任は、自分にありますし、そのための具体的努力をする義務もあると考えるのは責任感ある大人です。しかし、結婚前までに自己責任の訓練ができていないと、自分で決めた結婚なのに、責任もってよいものにする努力をしません。そればかりか、結婚生活がうまくいかなくなると、原因を結婚相手や結婚を勧めた人たちに転化します。

     ほとんど結婚生活は、常に順風満帆とはいきません。特に最初の1,2年は様々な不一致のために、苦痛に満ちた調整作業やそのための話し合いが必要となります。自己責任が訓練されている成熟した大人は、その課題に向き合い、伴侶に向き合い、話し合いを重ねます。そして、納得いけば、責任をもって、自分がすべき努力はするものです。

     しかし、自己責任観念に大きく欠ける人は、双方にあるはずの不一致の原因相手の責任にしかねません。夫婦の共通課題として問題に向き合いません。相手側だけの問題としてしまい、自分の責任は不問とします。これは、結婚初期につまづいて、そのまま、倒れたままになる典型的パターンの一つでしょう。まあ、「甘ったれのお子ちゃまのまま、結婚してはいけませんよ」というだけのことですが・・・。

     結婚がつまづいても、回復したり、雨降って地固まるになるか?つまづいたら、倒れたままや破綻に向かうか?その分岐点の一つは、結婚したものの自己責任にあると思うのです。

     分かりやすい事例をあげましょう。結婚生活がうまくいかなくなりました。自分と相手とどちらが悪いか?を考えます。よほどのことがない限り、どちらかが一方的に悪いとは思いません。そこで、悪いのは、自分が10%で相手が90%だと結論を出したとしましょう。

     自己責任の強い人は、この状況でも、自分の側の努力責任を果たすのです。自分で決めた結婚だから、よくするために、相手側の改善を願いますが、それとは別に、ちゃんと自分側の10%の責任を果たそうとするのです。自分が10%についての責任を認めて、改善の努力をすると、多くの場合、それに応答して、相手も改善努力をし始めます。しばらくすると90%のうちの30%くらいは改善に向かうものです。場合によっては、これによって、ある程度の課題は残しながらも、相互が努力姿勢を見せたことで、信頼関係が生まれて、結婚関係が安定してかなり良好になることも。夫婦、双方が、親離れをした成熟した大人で自己責任を持っていれば、こうなりやすいわけです。

     しかし、自己責任が訓練されず結婚に至るとこうはいきません。「自分が悪いのは、10%で相手が90%だから、相手が先に、またより強く改善努力をすべきだ」と考えるのです。さらには、「自分は相手が努力して改善を一定達成したら、自分の側の10%について改善努力を始めよう」と結論を出すのです。

     この考えや姿勢は、相手にどう受け止められるでしょう。「おまえの方が悪い」と責められているようで、自己防衛に入り、いよいよ改善努力をする意欲を失います。「確かに自分の方に非は多いけど、おまえにだって非はあるだろう」と相手を責める気持ちが生じます。こうなると、夫婦お互いが、よい夫婦関係を築くために努力するという結婚式で神と会衆のまえにした約束が、簡単に反故にされてしまいます。

     さらに自己責任に欠ける場合は、結婚生活がうまくいかない責任を、結婚相手以外にも追求します。結婚相手を紹介してくれた誰か、前に結婚を考えた時に反対した誰か、強引に結婚を勧めた誰かなどです。「こうなったのは、そもそもあの人のせい、自分は悪くない」と最終的には自分が決断したのに、他の誰かのせいにしの責任回避であります。「自分が決断した結婚については、自分に責任がある」との当たり前の責任を認めようとしないのです。

     こうしたことはそもそも、自分で決めたことに関して、その結果については、自分で責任を取ることを、十分訓練されぬまま、結婚してしまったことに問題があるわけです。それは親が過保護で、常に子どもの尻拭いをして、自己責任を取らせなかったからもしれません。あるいは、クリスチャンである親が、親の思い通りの安全コースを歩かせて、小さな失敗もさせず、自己決断と自己責任のセットを訓練する機会を与えなかったからかも知れません。

     四回にわたる連載でした。自立とは様々な要素がありますが、分かりやすく具体的な要素は、自己決定、自己管理、自己責任の三つ。私は聖書が、結婚の前提として示す「父母を離れ」とは、具体的には、発達年齢に応じて、この三つを訓練していくことだと考えています。クリスチャンホームの落とし穴は、親が正解を知っているばかりに、親の指示通りの模範解答コースを歩ませてしまい、三つのことの訓練機会を与えずに大人になるまで過ごさせてしまうことでしょう。

     クリスチャンである親は、子どもに「主にある自己決定、自己管理、自己責任」を育てる機会を与えたいものです。言葉で教え、親自身も模範を示しながら。また、結婚を願っている若いクリスチャンの皆さんは、自分の成育歴を顧みて、こうした面での評価をしていただき、親はどうあれ、まず、自らができる努力を始めていただければと願います。
    | ヤンキー牧師 | 婚活と伴侶選択のために | 16:19 | - | - | - |
     123456
    78910111213
    14151617181920
    21222324252627
    28293031   
    << October 2018 >>
    + SELECTED ENTRIES
    + RECENT COMMENTS
    + RECENT TRACKBACK
    + CATEGORIES
    + ARCHIVES
    + MOBILE
    qrcode
    + LINKS
    + PROFILE