命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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マツコ・デラックスと中村うさぎの往復書簡に教えられる
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     先日、歯医者の待合室で、サンデー毎日を読みました。マツコ・デラックスと中村うさぎの往復書簡のコーナーがあり、これが、興味深かったのです。その回は、中村うさぎのからマツコへの手紙。それまでの経緯が分かりませんが、予想するに、中村うさぎは自分と同様に社会的不適応者で、仲間であったマツコが、近年は人間関係においてバランス感覚を持つに至ったと知ったらしいです。そして、これまでの共依存的な関係をやめて、マツコを一人格として手離そうとしているという不思議で不健康な内容であります。

     マツコ・デラックスさんは、突出したキャラと辛口発言だけが目立ちますが、観察すると、発言はよく計算されており、抜群のチームワークで働いているのが分かります。コメントなどは、怒りや攻撃から入るのですが、最後は優しく手加減して終わることが多いです。辛辣なインパクトながら、後味がよいのです。そして、「マツコって意外といい人」と思われます。バラティーなどでも、期待通りのタイミングで期待通りの発言をします。突出した外見とキャラとは違い、全体の調和を考えて発言しております。あれだけ仕事が多いのは、きっとスタッフや共演者からの評価がよいのでしょう。

     多分、うさぎさんには、10年来、自分同様の社会不適応者と思っていたマツコが、このように成長したのを喜びながらも、寂しく思い、親が子を手放すような思いで記したのでしょう。中村うさぎは、律法的なクリスチャンの父親と世間体至上主義の母という両親に育てられました。中村自身の発言では、「そんな親を憎しみながらも、親の期待に応えたいと願っていた」とのこと。

     その中村うさぎさんは、作家になってからも、風俗嬢になったり、整形手術依存症になったりの壊れ具合は治りません。常に破壊的な方向に歩み、自罰的あるいは自己否定的行為ばかりに走るのは、彼女の成育歴と無縁ではないでしょう。

     律法的なクリスチャン父の願う「よい子」と世間体至上主義の母が願う「よい子」の期待に答えようとして、破綻し続ける彼女です。うさぎさんは自罰的行為を繰り返すことによって、今でも、両親の愛を求めるメッセージを送っているのでしょうか?あるいは両親のどちらからも「条件付の愛」しか与えられず、「期待とは異なるこんな自分でも愛せるか?」と両親の愛を試しているのでしょうか?あるいは、親の期待通りでないので、自己肯定感を持てずに、自分を大事にできないでいるのでしょうか?
     
     中村さんはマツコさんへの書簡の中で、自分を「人間関係不全」と評価していました。自分を育て、信頼し、助けてもらい、お世話になった人たちを、最後には傷つけ、裏切り、失望させてきたことを自覚しています。健全な人間関係を構築できないこと、社会的信頼関係を作りえない自分の現実とそれがどうしようもないことを彼女は認めています。

     うさぎさんのような現象は、律法的なクリスチャンの親、世間的ばかりの母親の場合だけでなく、強い宗教や思想を指針とする親、わが子を厳しく鍛えるスポーツ指導者である親、子どもに期待をかけすぎる親、子どもを通じて自己実現を図る親、愛情実感なき厳しいしつけをする親などの場合に現われるように思います。

     クリスチャンの親が子どもに、愛情実感を与えず、「〇〇しなさい」「〇〇してはいけません」の命令と禁止がメッセージの中心ですと、子どもにとってはそれは「条件付の愛のメッセージ」として受け取られます。子どもは「〇〇でなければ親は自分を愛してくれない」「〇〇でない自分は愛されない、価値がない」と判断します。それは時に中村うさぎさんと同様の傾向を子どもに生み出すようです。

     「神様に従う子に育てる」というポリシーは何ら間違いではないでしょう。しかし、そこに人格的な愛、特に神の愛に準ずる「無条件の愛」がなければ、子どもは喜んで主体的に生き生きと神に従う者にはならないでしょう。聖書が示す神への従順は愛への応答を動機とするからです。親が子どもを従わせるのは、神に従う子に育てるためです。親を通じて子は、神を知ります。ならば、親には神の愛に準ずる無条件の愛を子どもに注ぎ実感させる責任があります。
     
     無条件の愛を受けて、子は親を信頼し、従う心を持ちます。これが健全な従順でしょう。みことばを盾に、子どもを従わせるだけの愛なき従順は、「奴隷の従順」です。聖書が示す「子の従順」ではありません。

     厳しい牧師家庭や熱心なクリスチャン家庭で育った子どもたちの一部から、うさぎさん同様の叫び声を何度か聞かせていただき、涙したことがあります。立ち止まって、「厳しさと熱心さの底に無条件の愛があるか?」「その愛が愛として子どもに伝わっているか?」。自戒を込めて思うのですが、クリスチャンである親こそ、そうした自己検証が必要なのでしょう。社会適応を果たしたマツコさんに対する自称「人間関係不全者」であるうさぎさんの書簡から、そんなことを考えました。
    | ヤンキー牧師 | 育児・信仰継承シリーズもの | 16:29 | - | - | - |
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