命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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”time goes by”に学ぶ、「愛の未熟さ悔改め」
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     二回目はELTの”time goes bye”であります。徳永バージョンを聴いて、目からウロコであります。歌詞が抜群であることに気がつきました。不覚にもいまさらながらに気づいたのです。どうも持田のキュートな外見、不思議ちゃんキャラと不安定な音程が前面に出て、歌詞にまで関心が届かなかったのです。ビッグヒットが当然のリアリティーのある歌詞であります。多くの恋愛者が自らの経験と重ね合わせ、深い共感を抱いたことでしょう。

    歌詞はこちら
    http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=64816

    歌詞表示付きのPVはこちら
    http://www.youtube.com/watch?v=Zns9yL2Bizo


     まずは歌いだしの歌詞からして、本質を突いております。
    「きっときっと誰もが 何か足りないものを 無理に期待しすぎて 人を傷つけている

     本来であれば神の愛、親からの愛など無条件一方通行の愛で、満たすべき心の隙間を、生身の異性に完全に埋めるようにとの不当な要求をしてしまうのが、未熟な恋愛者。そして、要求を満たせず、自分を満足させられたない相手を責めて傷つけるのです。こうした恋愛関係は、最初から破綻に向かっているわけです。そうです、愛における未成熟者同志の恋愛は、最初から破綻が決まっているのです。どこかの時点で自らの未成熟さを自覚し、相手に改善を求めるのでなく、自らを改善しなければ、破綻は避けられません。そのことは以下の歌詞からもわかるでしょう。

     「都合悪い時には、いつも言い訳してた。そうね、そんなことろは 二人よく似ていたね」

     相手には、誠実な愛し方を求めていながら、自分が求められるといい訳です。自分の愛における不誠実さ認めることも、それを詫びることも、改める約束と実行もしなかったのです。つまり相手には愛を要求し、満たされなければ責めるその一方で、自らは要求されると愛の実行ができない言い訳をして逃げるのです。

     二人に共通するのは、「相手を愛する愛」は乏しく「相手に愛される愛」の要求ばかりということ。言い換えるなら、「他者愛の乏しさと自己愛の強さ」という「未熟さ丸出しのセットメニュー」であります。

     この二人は、どこかの時点でこうしたあり方を認めて、悔改めて、愛において成長する方向への転換ができなかったのでしょう。長い時間をかけて、いつか、本当の愛で愛し合えるお互いに成長することを願って、別れるしかなかったのでしょう。

     これは結婚生活でも同様のこと。多くの結婚生活ではこうした課題が問われると思うのです。結婚生活を破綻させる最大の要素は、自己中心でありましょう。それが夫婦関係で現われるのが、やはり「他者愛の乏しさと自己愛の強さ」という「未熟さ丸出しのセットメニュー」であります。自分の愛の乏しさを棚に上げて相手の愛の乏しさを責めて傷つけるのです。自らが与えるべき愛を怠りながら受けるべき愛については厳しく相手に要求するのです。伴侶は自分が愛をもって仕える対象ではなく、自分の愛情欲求を満たすために自分に仕える手段なのです。

     自らのそうした愛における未熟さに、神、聖書、伴侶などから、気がつかされて、それを認めて、悔改め、悔改めの実を結び続けていくことで、結婚は、破綻や形骸化を免れ、夫婦の一致が強められていくのです。よい夫婦関係のほとんどはそうしたプロセスの積み上げによって、築き上げられているように観察しています。

     恋愛は別れたらいいのです。これ以上の努力をしないで別れるという選択もアリの世界。しかし、結婚生活においては、こうした努力もせずに別れる選択は絶対あってはならないと思います。ところが、自分の問題も自己変革の必要も認められず、相手にばかり責任を問うケースもなきにしもあらず。

     この歌は、悲しい歌であります。しかし、これは聖書的に言えば、御心に沿った悲しみの歌です。希望の光を垣間見せえる歌であると思うのです。ここには、自らの愛の未熟さに対する真実な悔改めがあります。別れる結果になっても、この恋愛からは学んだ事は貴重であったでしょう。

     サビは、愛における成熟目標に主人公が目が開かれたことを示しているようです。

    信じあえる喜びも傷つけあう悲しみも、いつかありのままに愛せるように・・・」

     そう、喜びも悲しみも、ありのまま愛せる自分に、あるいはお互いに成長すること。そこにこそ、真実の愛の喜びと結実があるのです。

     自己変革と自己成長なくして、本物の愛の喜びも結実もありえません。いいえ、双方に愛の成熟の決断と努力さえあれば、ほとんどの場合、両者に愛の関係は構築され、自足発展すると私は信じています。これこそ、真実の愛が持つ厳さであり、その厳しさこそ、罪深く自己中心で愛の乏しい私たちがチャンレジすべきものなのでしょう。
    | ヤンキー牧師 | 聖書的恋愛論 | 17:55 | - | - | - |
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