命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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育てよう健全信徒(14)蝶々クリ?
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     蝶々夫人は有名ですが、今回考えたいのは、蝶々クリスチャン、失礼ながら略せば「蝶々クリ」であります。蝶々クリスチャンとは、童謡、「ちょうちょう」のごとき信仰姿勢のクリスチャンであります。

    ちょうちょう ちょうちょう菜の葉にとまれ菜の葉に飽(あ)いたら桜にとまれ桜の花の 花から花へ とまれよ あそべあそべよ とまれ」

     この歌詞、真偽の程は明らかではありませんが、浮気常習犯の父親のことを母親の立場から子ども伝えているのだという説があります。当然、「花」は女性をたとえているのでしょう。

     ちょうちょうが菜の葉にとまるように、ある教会にとまります。しかし、菜の葉に飽くように、そこでの教会生活に飽きてしまい、桜のように魅力的に見える教会に移動。では、その桜教会で忠実に歩むかと言えば、桜の花から花へと、目新しい魅力を求めて、教会を移動し続けるのです。

     教会を移動することが一概に悪いというわけではありません。移動の動機やその信仰の本質に問題があるのです。また、この「蝶々クリスチャン」は、一昔前の「ジプシークリスチャン」とも異なります。ちなみに近年は「ジプシー」なる呼称も差別語とされるのが一般的で、「ロマ」と訂正されるようになっております。ただ、帰属意識が薄いことが原因ではないのです。当人に、人間関係形成が苦手であったり適応力の欠如などの欠点があるわけではないのです。

     蝶々クリスチャンは、まさに蜜を吸いに教会に来ているのです。「自分にとってのおいしい蜜」をいただくこと、それが、蝶々クリスチャンの教会生活のモチベーション。自分が教会を通じて神様に仕えるとか、教会を建て上げるために自らを与えるなどの発想はございません。

     教会は「霊的サービス業」で自分はそのサービスを受ける「顧客」であるかのような信仰理解、教会論、自己中発想であります。こういう発想であれば、当然、おいしい蜜に飽きれば、別の花に移ります。別の教会から目新しいおいしそうな蜜の香りがすれば、そちらに移動して蜜を吸うわけです。やがて、それも飽きて、さらに新たなおいしさを求めて移動を繰返します。これではグルメの食べ歩きと大差ありません。

     こうした教会生活においては、神の家族の形成はできません。家族なら嫌なこと不都合なこと、不満があっても簡単にはその場を去りません。しかし、蝶々クリスチャンにとっては教会の交わりは神の家族でなく、神のサービス業とその従業員なのですから、サービスに不満があれば、別の店に移動は、顧客、つまり信徒としての当然の権利となるわけです。

     はたから見れば、問題は明らかなのですが、当人はそれが、正常だと思っていることが多いようです。悲しいことに自己充足と顧客満足度の追求が、信仰の成長に置き換えられていることも。「自分を喜ばせることは中心としたおいしい蜜を求め続ける信仰生活」、それは信仰の中心である神を愛し、隣人を愛する歩みとは、正反対のように思えてなりません。

     どうもこうした教会生活は、「とまれよ あそべあそべよ とまれ」との歌詞の通り、遊び、レジャーの類ではないかと心配です。それは、目指しているのが、「神に従う生活」でなく、「神の恵みを利用して自らが楽しむレジャー」であるかのように観察するからです。
     
    | | 健全信徒・教会・コリント化シリーズ | 16:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - |









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