命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
<< 「クリスチャントゥデー」紙が教会に | main | 脳死移植、自己の延命と他者の脳死を願うことの葛藤 >>
移植医療は現代のカニバリズムか?
0
     先日「本当は怖い漢字」という本を拝読。「本当は怖い」どころか「怖すぎ」ました。一例を紹介しましょう。それは「」という漢字の起源であります。この文字の上の部分は元来「人」が四つだったそうです。下の部分は「」ですから、この漢字の意味は複数の「人」を「日」に干す事を意味したのだとか?では、なぜ、それが、過去から現在の時間の経過を意味する「」となったのでしょう?

     それは古代中国の飢饉と関係するのだとか。飢饉になり食物がなくなれば、家畜のを食べてしまいました。さらにそれでも飢餓が続くと、人間を殺して食べたのだとか。犠牲にされたのは子どもや老人や奴隷階級など社会的弱者でした。さらには安定した食物配給のため、人間の肉を食肉のように日干しにして保存したのです。良心の葛藤もあり、その干し肉が完成するまでの時間は、大変長く感じられました。

     もう、お分かりかと思います。四つの「人」は殺され食肉とされた人間。「日」は日干しのための日光であります。干し肉が完成するまでのその時間感覚が「昔」という字となっていたとのこと。世にも恐ろしい漢字の成り立ちであります。

     人間が人間を食べることを「カニバリズム」と呼びます。前述のように飢餓のような極限状態でそうした行動を取ることもあれば、宗教的、儀礼的ななど人間の食肉化とは別の意味でのそうした文化行動もあります。

     実は、移植医療自体が文明論的視点から「現代のカニバリズム」ではないかという批判を受けることがあります。神の形に造られ、神の霊を要する人間をそうではない他の動物のように食用にするカニバリズムは人間の尊厳に反する行為と言えるでしょう。移植医療はそれと同様ではないか?との指摘なのです。

     確かに移植医療は他者の肉体を自らの肉体取りこむことによって、生命の維持をするわけですから、その点ではカニバリズムと共通点があります。では、本質において同様の行為であると言えるでしょうか?

     厳密に考えてみると移植手術と食物摂取とは大きくことなります。食物摂取は体や臓器を破壊し、栄養として取り入れますが、移植は臓器を破壊せず、その機能を維持して体に取り入れます。
     分かりやすく考えれば「輸血」と「人の血を飲むこと」は明らかに異なります。もちろん、体で製造可能な血液と失ったら作り出せない臓器とは意味が多少は異なるでしょうが、移植と飲食の本質的な違いは明らかではないでしょうか?他者の肉体の一部を自分のものとすることの是非は考えられなくてはならないでしょう。しかし、それをカニバリズムと同一視してしまうのは乱暴な論理だろうと思うのです。

     私は現段階では、脳死移植には反対ですが、それ以外の移植医療については容認・慎重派であります。ただ聖書の人間論や身体論を考えると、手離しで移植医療を全面的に肯定することには躊躇を覚える面もあります。

     明日はある躊躇を覚えた移植希望者のことを記してみたいです。
    | | 脳死問題・臓器移植 | 09:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - |









    http://blog.kiyoshimizutani.com/trackback/2042
       1234
    567891011
    12131415161718
    19202122232425
    2627282930  
    << November 2017 >>
    + SELECTED ENTRIES
    + RECENT COMMENTS
    + RECENT TRACKBACK
    + CATEGORIES
    + ARCHIVES
    + MOBILE
    qrcode
    + LINKS
    + PROFILE