命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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育てよう健全信徒(5)
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     第五回としてとりあげたいのが「ムーディークリスチャン」であります。このクリスチャンの行動原則は「ムード」すなわち「外側の雰囲気」に支配され「内面の気分」ですべてを決めてしまうのです。

     こうした「ムーディークリスチャン」たちにとっては、讃美も「ムード歌謡」ならぬ「ムード讃美」。礼拝讃美などもその音楽ジャンルに関係なく、空しいものとなります。「主よ、愛します」と歌っていても、心情的な愛だけで、実際に愛の行動をすることはありません。「主に従う」「この身をささげて」と讃美しても、その歌詞の意味を知的に理解して、自らに当てはめて、葛藤することもありません。歌っている時だけの「従ってます気分」「この身をささげて、なんちゃって献身モード」なのであります。

     音楽は雰囲気、歌詞は主観的気分を形成するだけ。このように「ムーディークリスチャン」には実質的な讃美も、讃美を通じての成長もありません。考え方によっては礼拝してないも同然なのかもしれません。

     これは聖書を読んでも同様のこと。語句の意味を理解したり、何らかの原則や教えを読み取り、生活に適用することはしません。すべては「ムード」ですから、客観性や原則という観念自体が欠如しているようです。聖書に書いてあること、それを通じて伝えられている真理より、自分が感じた印象や沸き起こった感情が、すべてなのです。当然、そこからは聖書から逸脱した独りよがりな信仰が形成されます。でも、それを「自分の信仰」などと称して、擁護します。さらに困ったことに交わりの中での矯正を受けようとしません。

     ですから、説教や学びをしていても、聖書の明らかな真理さえも、自分が御言葉の上に立って主観的に取捨選択します。まさに「右からやってきた御言葉を、僕はそれを左に受け流す」の「ムーディー勝山」状態。これでは「馬の耳に念仏」ならぬ「ムーディークリスチャンの耳に御言葉」であります。

     テレビ画面からは遠ざかり、既に忘れかけられ、思い出すのも難しい「ムーディー勝山」であります。しかし、教会には、「ムーディー鈴木」や「ムーディー山田」そして「ムーディー佐藤」などが、それが洗礼名であるかのように在籍し、礼拝や集会でお会いします。そうした信徒が指導者や周囲のクリスチャンにとっては、頭痛の種であることも。

     しかし、ムーディークリスチャンたちには、特効薬も即効性のある手立てもなさそうです。でも、見捨てず愛し、その悔改め(霊的回れ右)を祈り応援したいものです(まあ、かなり大変でしょうが)。

     同時に、大なり小なり自らの内にある「ムーディー体質」についても向き合い克服したいもの。聖書が明確に示す客観的真理より自分の主観的気分を優先してしまう、外的ムードに内的信仰を支配させてしまうなどは、私たち人間の罪深さの現われの一つに違いありませんから。もっとも、これはポストモダンの時代・社会・世代に顕著だとの指摘がされていますが・・・・。実はムーディー体質の克服が次世代キリスト教界の課題なのかも知れませんね。
    | | 健全信徒・教会・コリント化シリーズ | 22:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - |









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