命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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教会不祥事問題、「抽象表現」から「具体内容」へ
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     今日もクリスチャン新聞最新号の「オピニオン」より。不祥事については具体的内容を伝えないという「従来の良識」について記者は以下のような根拠と理論構築で、それが「本当に徳を建てるのか?」と問いかけています。

     「加害者擁護側の隠蔽体質」、「被害者側の内々に済ませたいとの自己規制」この二つの力で、被害事実が外部に具体的に伝わらない。もちろん、内部で健全に対処がなされるならよいかもしれない。しかし、現実には被害者が沈黙と忍従を強いられ、傷をいつまでも残す。こうして悪質行為の温存がなされ、再発防止はできていない。そこで「こうした良識が徳を建てるのか?」と問いかけます。

     実は私自身もこの通りの事例をいくつも見てきました。(被害者が訴えた場合には)具体的な事実が伝えられないと、周囲は誤った認識をしてしまい、加害者を擁護したり、逆に被害者を責めることが少なくありません。それは、ビックリするほどです。

     私自身も過去に具体的事実を知らされなかったために、加害者に間違った同情心をいだいてしまった苦い経験があります。それは、AERAで最初に報道されたK元牧師の件です。

     突然にK牧師がリーダーであった児童伝道の働きがストップしました。公に理由は発表されなかったと記憶しますが、私自身はわりと近い立場にいましたので、関係者から「女性問題」だとお聞きしていました。そして、やはりそれまでの「良識」に従って「特別児童伝道であったので、救われた子ども達と求道していた子ども達を躓かせないために理由は公けにしない」という判断に私も心から同意していました。

     「女性問題」とお聞きしても当然具体的事実は分かりません。当時の状況からして、きっとK元牧師はお子さんを持つような母親である女性親しさのあまり、一線を越えてしまったのだろうと考えていました。つまり、「働きの中での誤ってした合意の上での不適切な性関係」としか考えていなかったのです。

     ですから、私の周囲の方々には「K先生がこのままでは惜しい」とか「時が来たらK牧師を復帰させよう」という声がありました。私自身も、「真実な悔改めがありその実を結べばそれもありかな?」くらいに思っていました。

     しかし、しばらくすると様々な情報が伝わってきます。「相手はスタッフのような若い未婚のクリスチャン女性であったこと」「他にも同様の問題が各地にあるらしい」などです。当然、私の判断は変化していきました。

     事件から何年もが過ぎ、AERA報道の前に、被害者女性の母親の発信を知りました。そこで知ったことはあまりにショックでした。それらは「合意のない性関係であったこと」「明確な性犯罪であること」「極めて悪質で意図的であること」「真実な悔改めのないこと」「被害者女性のそのために自死に至ったこと」などです。

     その時から私は「意図的な隠蔽ではなくとも、具体的な事実を知らせないのは、不当なのではないか?」「配慮の理由でなされるこうした対処が、同様の事件の再発の土壌を作っているのでは?」と考えを転ずるようになっていきました。

     悔やまれることですが、最初から具体的事実を知らされていたら、私自身もその事実に立って周囲に適切な対処ができただろうと思います。中には具体的な事実を知らないにもかかわらず加害者に対して擁護や同情をした方々もおられたように記憶します。

     実際にそうした類似の事例を幾つか見聞きしています。時には被害者女性からの相談を受けることも。牧師による性犯罪の場合、具体的に何があったか伝えられないと様々な不適切な対処が起こります。

     実際は明確な性的接触があったにもかかわらず、抽象表現が為されたために、「先生はハグのつもり、その愛情表現が若い女性信徒に誤解された程度」と信徒が想像して、逆に訴えた女性信徒が非難され傷ついたりすることも。やがて、「具体的な行為」や「悪質な意図」が明らかとなれば、信徒たちの判断や評価は全く違ってきます。

     ひどい事例では牧師擁護の役員たちが、事実さえ調べようとせず、被害者の声を聞こうともせず、牧師からの情報を鵜呑みにして、教会としての判断と実行をしてしまうことも。

     今回の小牧者関係の不祥事も、訴状の内容が具体的に報道されなければ、「ハグやスキンシップが誤解された」「娘に対するような愛情表現にすぎない」「むしろ、それをセクハラ扱いする側が悪い」「加害者扱いされ訴えられた牧師はかわいそう」などの判断をしたり、そうした印象を受けるクリスチャンも少なくないでしょう。

     しかし、今回のクリスチャン新聞の報道により、「事実だとしたら明確な性犯罪」との正確な判断をほとんどの読者はすることができただろうと思うのです。

     従来の「良識」を尊重して、読者に「抽象表現からの想像」に基づく不正確な判断をさせ、事実に立たない印象を持たせるとしたら、それこそ、クリスチャンメディアとして教会の徳を建てることにも神の栄光を現すことにもならないのではないか?とも思います。それは結果的に、隠蔽体質や自浄作用喪失状態を放置し、さらなる再発を生み出す土壌をつくることにも結びつきません。

     確かに、読んで心地のよくない具体的内容ですし、表現です。しかし、それは客観的な言葉であり、訴状における文言そのままかと思います。それが、読むもの聴くものに、より正しい判断や印象を与え、より適切な対処、クリスチャンとしての成熟に導くはずです。

     私個人の苦い経験やいくつかの具体的事例に触れてきた経験からも、従来の良識がもたらすマイナス点はしっかりと認識し、検討されるべきかと思うのです。同時に、具体的事実を伝えることの利点を認識すると共に、どういう条件の下(たとえば被害者による公益通報など)で、どの程度の具体性をもって伝えるべきか?は、これからの課題になっていくかと予想します。

     黒船来航直後の江戸の民のごとき現状の中、まずは現状認識、そして今後の課題の自覚でしょう。時代は「心地よく都合のよい抽象表現」から「あまりに痛い具体的内容」へと移り変わりつつあるようです。そして、それは日本のキリスト教界の成熟を意味するのだと私は信じています。
    | | 教会不祥事&AERA報道関連 | 17:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - |









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