命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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教会不祥事、去り行くべき「良識」と来たるべき「常識」
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     11月のクリスチャン新聞の第三面(オピニオンと意見掲載)は活気付いており、大変、有意義な議論が続き、対話が深められています。一つは、神学教育についてなのですが、もう一つは今回取り上げたい「牧師不祥事における具体的性表現の是非」であります。

     クリスチャン新聞は11月1日号で、小牧者関連の性的不祥事問題について被害者が訴訟を起こした件を報じます。その中で、同紙は訴状の概要を伝える際に「セクハラ行為」や「性的犯罪行為」といった曖昧な表現だけではなく、訴状に記されている「手を捕まれて服の上から・・・」などの具体的な内容をも伝えたのです。

     これに対して二名の牧師から「クリスチャンメディアの目標は神の栄光」「聖書の倫理基準に基づくべき」などの理由で批判的な意見があり、それが匿名で掲載されます。(一名は実名も了解だが、バランスをとり二名とも匿名)

     それに対してさらにFOE関係者が再反論、そして最新号ではアブラハム石原師も二名の牧師に反論。

     そうした激論?の中、クリスチャン新聞編集部自身の見解ということでしょう。今週発行の12月6日付の「オピニオン」は、「教会の良識は徳を建てるか」と問いかけています。

     その論旨は明確です。概要をお知らせしておきましょう。一連の議論の中、寄せられた意見の多くが「被害実体を伝えるべき」「そうでないと隠蔽体質の克服と再発防止ができない」というものだったとか。

     従来は牧師不祥事の場合、具体的でなく曖昧な表現で伝えられ、それは信徒と求道者を躓かせないための「建徳的配慮」とされてきました。そうした「良識」にクリスチャン新聞自身も一定従ってきたことも記されています。

     しかし、「どうもキリスト教界の流れが変ったようだ」とオピニオン記者は記します。多くのクリスチャンたちが、具体的事実を知らせてこなかったことが隠蔽体質や嫌というほどの再発を生んだと考えるように転じてきているのです。

     本ブログもそうした方向性でアエラ記事以降、牧師と教会の不祥事を論じてきたつもりです。公になった限りは具体的に知らせる、それが読者の意識を変えて、結果的に教会の健全化や同種の問題の再発防止につながり、それが最終的に神の栄光をあらわすことになると考えてきたからです。

     今回のオピニオンはしっかりとした論拠をもって、そうした従来の「良識」が徳を建てているか?と読者に問いかけています。

     従来のキリスト教界の「良識」。それは「牧師不祥事、特に性的罪については、抽象的な表現に留め、信徒と求道者を躓かせないことが建徳的配慮

     今後そこへの転換が予想される「常識」。それは「むしろ、具体的に報告し、キリスト教界が広く共有し隠蔽土壌の廃止と再発防止につなげることが建徳的」というもの。

     私は思います。年末年始の「行く年来る年」ならぬ「行く良識、来る常識」だと。

     今回のオピニオンは後になり「歴史的転換点」として評価を受けるかもしれません。 ぜひ、ご一読を。

     去り行くべき「良識」と来たるべき「常識」について、今回のオピニオンを題材にあと数回、論じてみたいと願っています。
    | | 教会不祥事&AERA報道関連 | 15:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - |









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